流れ星一つ、落ちて
1.
ゆっくりと、それでもその人型兵器は落ちていた。
――――近い。
上空を見上げながら着陸地点を予測して、双眼鏡で確認する。
前に接収したそれは多少の傷はあるが使用に耐えうる。便利なものだ。着地点には岩場が見えるが、この軍用のジープであれば問題は無い。
問題は、ただ一つ。
今日は自分でハンドルを握っているわけではないことだけだ。
面倒だと舌打ちを落としながら運転手に指示を出す。
「向かってください」
「しかし……」
危険です、と言われるまでもなく危険なことくらい分かっている。
それは武力による戦争の終結を訴える、矛盾した組織の要。
新型のモビルスーツに一級品のパイロットを乗せても易々と壊してしまえる相手。もっとも新型も一級も粗悪だっただけといえばそれまでだ。敵わないとは思わない。
興味があった。好奇心。己にはないものへの魅力。
もっと言うのならば欲しい、ただそれだけだ。
運転手を黙らせてやっとジープがたどり着いた時にはモビルスーツはすでにあった。
不調だったのか、不恰好に倒れているそこから這い出してきた人影に声を投げかけた。
「君が、あのモビルスーツのパイロットか」
その存外若い、どうみても子供としか見えない細い体躯。
ありえない、とまでは思わない。子供でもパイロットは居るし、逆に歳を取るとパイロットから艦長や指揮官などとして後方支援に下がる事が多い。生き残る確立の問題もあるが。
それでも乗っている機体が機体だ。
この強さは機体性能だけでは有得ない。どんなに良い機体であっても乗りこなせないのではガラクタもいいところだ。
つまり、この子供は優れたパイロットであるということだ。
歳で判断するわけではないが、それでも彼を見て機体よりもパイロットに興味が湧いたことは確かだった。
「誰だ?」
まるで警戒した猫のように低く誰何を下す相手ににこやかに笑みを向ける。
「人に名を尋ねるときは自分から名乗るものだよ」
「そっちが先に聞いてきた」
「そうかい?」
パイロットかどうかの確認であって、名を聞いたわけではない。それでも正体という意味では確かに彼の誰何と意味は同じなのだろう。
「失礼、私はユニオン軍所属グラハム・エーカーだ」
「ふーん」
反応が薄い。こんなものに乗っている限り、この名前を知らないということはないだろう。同じパイロットならば興味がないとも思えない。ユニオンフラッグのトップファイターの名がAEUのエースよりも通っていないとは言わせない。
「私は名乗ったが、君は名乗ってはくれないのかい?」
「何故、今俺に問う」
見れば明らかである。
そのことを問う意味は確かにない。確認であるならばモビルスーツの中を、周囲を、確認すれば事足りる。というよりもその方が確実ではある。
はぐらかされた事に対して意地になるのでなければ、聞く必要などないことだ。
「尋問なら捕らえてからだろう」
「尋問?その方がいいならそうするが、これはそんなものではないよ」
そう、捕らえれば彼は尋問されるだろう。彼の所業を考えれば、軍とはそういう場所だ。
未知の組織。その情報は今どこも必死でかき集めている。ユニオンも同じだ。
だがそんなことに興味はない。
「君に興味がある」
だから今、ここで問うのだ。
エネルギー切れか、接触事故か、破損か。とにかくアクシデントがあったことはこの光景を見る限り確かだ。
さもなければ刹那がわざと馬鹿をやってみせているのではなければ。
「整備くらいちゃんとしろよあの馬鹿!」
追って捕まえるには些か遠い。現フェイズも完了したわけではない。刹那が離脱した分こっちにお鉢が回ってくる。
いくらもないとはいえ数秒でとはいかない。数秒単位であったとしても落下速度を考えれば空中で捕まえることは難しいが。地球の重力の中ではさすがに重い。
後で回収すればいい。
それで問題が無かったはずなのに、カメラに映った映像は何故か刹那とユニオンの軍人が相対していた。
(まずいな。連れて行かれる……!)
その場で殺すのでなければ、目的は一つだ。情報収集。軍てやつがお上品に聞き出すなんてお優しいことをしているとは思わない。
連れて行かれれば待っているのは尋問か自白剤か。
「刹那っ」
まだ16歳の子供に過ぎない。そんな子供にそんなもの。
守ってやらなくちゃなんぞ欠片も思わないし、刹那にそんなことを思ったことが知れたら瞬殺されるだろう。
それでも、今。狙いを定めているのはエクシアではなく刹那のためだ。
「くそっ近すぎて撃てねぇ……」
モビルスーツの砲撃ではどうしたって接近している人間の片方を撃つ事はできない。
直撃でなくても吹き飛ぶし、吹き飛んだ岩や石があたればお陀仏だ。
対人用兵器ではない、ビームライフルではエネルギーが大きすぎる。
「くそっ」
刹那を連れた車が遠ざかる。
その、前に。
刹那の手を掴んだ金髪の男が笑ったような気がした。
2.
がこんとパイロットの意思のない人形はいつもの台座へと収まる。
外側から物理的に動かしているのだから仕方ないが、いつもよりその動作は荒い。
自分の機体を戻した後に乗り込んで操作してもよかったが、エクシアは刹那の機体だ。不在時に勝手に乗り込むまねは知られたら殴り飛ばされるだろう。機体にとってどうであれ、ガンダムマイスターにとっては機体はただの武器ではない。
(それを考えりゃエクシア持ってかれなかったのは良かったんだけどな……)
どうして機体よりもパイロットの確保を優先したのか疑問が残る。
ジープ一台では持っていけるわけもないが、応援を呼ぶという選択肢だってあったはずだ。
機体に食いついてくれれば問題なく両方を回収できたものを。それが分かったのかもしれないが。
「エクシアの回収は完了」
今現在出ている命令はここまでだ。刹那に関する命令はない。奪還も、排除も。
(静観ってとこかね)
デュナメスも所定の位置に収め、手を握り締める。
目の前で連れて行かれた子供。自分だけが、助けられたはずの子供。
それを、このまま静観していろというのか。
悲壮な顔など浮かばない。見えはしなかったが、どうせ連れて行かれるときもいつもと同じむっつりとした顔だった。きっとそうだ。
(可愛げねーなぁ。せめて想像の中でくらい悲壮な顔で助けの一つも求めてくれりゃ、やる気がでるってもんだが)
そんなもの刹那ではないか。
口でも顔でもなにも言わないから気になるのであり、言わせたくなるのだ。
「どこへ行くの?」
監視のようにデュナメスから外へ向かう途中に王瑠美が待っていた。
後ろには当然のように紅龍が付き従っている。おそらく実力行使に出るとしたらこいつだろう。
果たしてどの程度のものなのか。この俺を止めるだけの力があるのか。そもそもやる気があるのかも想像できない。
「刹那の回収」
悪びれも無く足を止めることもなく答える。とりあえず現段階では紅龍は動かない。
「デュナメスは置いていく。それで問題ないだろ?」
「ないわけないでしょう」
あーもーと瑠美は額に手を当てて溜息を吐く。
「あのね、あなただって自分で分かってると思うけど、実行部隊であるマイスターにはそのときにならなきゃ命令なんて降りてこない。機体に関する技術的なことも最低限しか知らされてないからばれたら困る機密なんてそれほど持ってないのよ」
「ま、そうだな」
「刹那に分かる事なんて高がしれてるもの。大人しく答えていれば危険はないはずよ。一応、ユニオンは穏健だし」
「あのがきんちょが大人しくしてるわけないだろーが」
あの野良猫は反抗的な目で睨みつけたままだんまりを続けるだろう。それはもう本当に知らないこともあえて黙っているんじゃないかと勘ぐられるくらいには。目に見えるようだ。
「それでも、これ以上ガンダムマイスターを失うわけにはいかないわ」
「は、捕まったらもう死んだも同然かよ。俺たちゃパーツか?」
「そんなこと言ってないわよ。ただ、物事には適した期ってものがあるでしょ?助けられる時がきたら命令が来るわ。あんたたちガンダムマイスターが大人しくしてるわけがないっていうのはあたしだってスメラギさんだって分かってるわ」
「期が熟したら、ね」
もし、尋問が厳しいものであったら。
もし、見せしめにされるとしたら。
期なんてものを待っていて手遅れになったらどうする。人なんて脆いものだ。簡単に、壊れてしまう。壊す側の人間であるからそれはとても実感があった。
「あなた、どうしてそんなに刹那に拘るわけ?」
「仲間を心配するのは当然だろうよ」
当然だ。助けるのが当然の行為であるし、助けられなかった後悔も、助けたいというこの感情も当然のことだ。
なんら疑問に思われるものでもない。
その、はずだ。
「ま、そういうことにしといてあげるとして」
何かを感じ取ったかのように意味深に笑って瑠美が手を振る。
「この後は宇宙に居るスメラギさんたちと合流して彼女の指示を仰ぐのが命令なんだけど」
つまり、どちらかの軌道エレベーターを拝借するというわけか。
命令は出ていないから内部からエージェントが手引きするのか、それともこれからマイスターに命令が下るのか。ソレスタルビーイングのありようを考えればおそらくは前者か。
「出港はあと30時間後。それまでは目をつぶってあげる」
一日と6時間。
刹那が居る場所の特定と、そこへ向かう手段を考えればかなりきつい。ここらで使えるのは船と車でデュナメスのように飛んでいくわけには行かない。
そうして置いて行かれれば宇宙に上がる手段は少ない。それ自体はできないわけでもないが、ソレスタルビーイングに戻る事は難しい。
物理的にも心情的にもだ。
どうしたって時間が掛かるからプトレマイオスは移動するし、その間のミッションが欠席となれば肩身は狭い。なんせ命令無視の結果だ。アレルヤの呆れた顔やらティエリアの冷たい言葉だけですむわけもないだろう。
それを理解している事を瑠美は分かって突きつける。
「刹那か、デュナメスか、選びなさい」
分かっている。分かっている。理解はしている。
けれど選べるようなものじゃないだろう。刹那の手を取り、引いて行く男の顔がちらつく。
笑ったような気がしたのだ。こっちを向いて、刹那を自慢げに見せ付けるように。
――――おまえのものじゃない。
思った、叫んだ。伝わりはしない。
――――渡せるものか。
あいつの無愛想で、可愛げがなくて、素直で、可愛い反応を受けるのは俺なのだ。
誰かが触れていいものではないのだ。
けれど、手放せるものなんてないだろう。元々持っているものが少ない。
何かを選べるほど俺には手持ちの札はないのだ。
たった一つ。
それは俺にとって唯一無二のたったひとつ。
いつの間にか止めていた足を、半歩後ろに引く。
後方へと半身を瑠美の方へと向けて、答えを告げる。
「……決まってるだろ?」
時間はある。向こうもジープだったのだ。そう遠いはずはない。
両方、諦めたりなどしない。
3.
「刹那・F・セイエイ。か……」
歳は16。他は未だ黙秘。名前と歳を口にさせるにもやっとといった有様だ。口はわりと上手い方だと思っていたのだが。
もっともどこまでがどこまでが本当のものかは分からないが。
ただ歳は確かにその程度ではあるだろう。
その若さに驚きもしたが、実際明るい場所でその顔を見るともう少し幼くも見える。
(それであの腕とは……)
尊敬も嫉妬も通り越して驚愕の一言に尽きる。
確かに若いだろうとは思ったが、あそこまでとは。私とは10以上も違う。
若さは人を無謀にもさせる。どこか淡々としながらもがむしゃらな攻撃は若さゆえの強さ、というところか。
「なに一人で笑ってるんだい?すっごく怪しいけど。メロメロだったガンダムのパイロットを捕まえてご機嫌なのは分かるけどね」
やあ、と手を上げる同僚の顔を見て、足を止める。
笑っているだろうか。怪しいと言われた口元に手をやり、それから引き締める。
「なんで機体じゃなくてパイロットなんだい?」
「すまない。カタギリ」
同じくあの機体に並々ならぬ興味を注いでいた男に謝罪を口にする。
パイロットはそのパイロットの腕にも興味を持つが、技術者は機体にのみ興味を示す。
「しかも君のところで預かるって?」
「空き部屋なら幾つでもあるからな。多少かび臭いのは我慢してもらわなくてはならないが」
「家に帰らない男がよく言うねぇ」
軽口にもっともだと苦笑する。
報告には来たが、刹那は連れてきては居ない。既に家に置いてきた。
それなりの地位と実績はこういう時に重宝する。引き渡さなければなんとでもなる。少なくとも簡単に切り捨てられはしないだろう。
引き渡さないためにあの子供は置いてきたのだ。離れるのはすぐに逃げ出されそうでしたくなかったのだが。
軍に引き渡せば口を割らせる事は簡単だろう。自白剤を使う。
――――それでは面白くない。
「で?パイロットはどうだい?」
「機体以上に興味深いよ」
そう、とても興味深い。
まっすぐに睨みつけてくるあの瞳。感情が豊かとはいえない。だが、あの瞳には引き込まれるものがある。ソレスタルビーイングという組織は矛盾しているというのに、あの子供の瞳は真っ直ぐだった。警戒心の塊のような態度が人に懐かない野良猫のようで可愛いとすら思う。
「なんと16歳だ」
「偽装プロフィールじゃないの?」
「見れば分かる。それ以下には見えてもそれ以上には見えないよ」
「へぇそれじゃ一度見てみたいね」
「野良猫に噛まれてもいいならどうぞ」
「そんなにおっかないのかい?」
「私は可愛いと思うけどね」
「うわー本当メロメロ。当てられそうだから遠慮しとくよ」
ひらりと手を振ってすれ違う。
「それじゃ君の子猫ちゃんによろしく」
子猫ちゃん呼ばわりに声を上げて笑う。
野良猫と称したのは自分だが、他人に言われるとこうも笑えてくるものなのか。あまりにもイコールで結ばれない。子猫というほど可愛らしい生き物ではない。
*
家へ戻って、見張りにおいて行った兵をご苦労と労う。
幸いなことにちゃんと彼は部屋で大人しくしていたらしい。
安堵し、もう戻っていいと告げてから部屋に入る。自分が此処に居るのであれば見張りなど引き取ってもらっていい。むしろ邪魔ですらあるだろう。
「私が君の監視人だ。刹那クン」
足音に振り返りはしたが、これも興味がなさそうに黙って聞いている。
興味がないのではない、か。単に警戒して口を開かないだけだ。その証拠にギラギラと瞳は輝いている。
迂闊に口を開く事を恐れているのか、それともよっぽど信用できない顔をしているのか。
(これは……なかなか長期戦になりそうだな)
望むところではあるのだが。それだけ手元に置いておく期間が長くなる。もっとも成果は多少なりとも上げていかないとならないが。果たしてどうやって引き出そうか。
「部屋は私と一緒に使ってもらう。手錠でも借りてこようかと思ったのだが、必要かい?」
「――――あんた、何を考えてる」
「言っただろう?君に興味があるんだ」
「俺に何の興味だ?」
ひょいと肩を竦める。
そこまで追求するのは理解できないからだろう。警戒心の中に疑心が見える。
もう少し甘い言葉にとらえてくれてもいいんだが。機体にではなく『君』に興味があると言ったのだから。
「興味に名前はないよ。君のことが知りたい。それだけのことだ」
膨らむ疑心が見えるようだ。胡散臭いものをみるような顔をしている。
ふむ。
「そう、例えば……」
この子供の興味を引き出せそうな話題。
瞳を覗き込んで考える。無表情に近いそこから読み取れる事はそう多くはない。だが存外プライドが高そうだ。
それをくすぐるのは同じパイロットとして、それなりにある軍歴からして、性格からして、非常に簡単だ。
「君が優秀なパイロットであるのか、機体性能のなせる業なのか」
ピクリ。動いた眉にニヤリと笑う。今度は口角が上がっているのを自覚する。
当たり、だ。
「俺が機体性能だけの強さだというのか?」
「知らないから知りたいのだよ」
少しでいい。少しずつ、少しずつ。急ぐ必要はない。
掴んだ、この手の内に居るのだから。
4.
人の手を自分の手で拘束したまま器用に眠る男の顔を横目で見る。一つのベッドに押し込められている上、捕まれた手の所為で大した距離が取れない。
人が側に居る。温もりと匂いと音。全てが一人にさせてくれない。そのことが酷く苦痛だ。
(俺に、触れるな……)
叫びだしたくなる言葉を押さえる。無為な発言は弱みを見せるだけだ。こちらに選択権はないのだ。ならば口を開かない方がいい。
早く此処から出よう。どうせ見張りはこの男一人だけ、拘束具もこの手一つだ。
よほど侮られているのか、単にガンダムの付いていないパイロットなど重要視されていないだけか、ずいぶんと安易な拘束だ。
頭にはくるが、好都合ではある。
仕事は一つだけではない。この男も張り付いてばかりも居られないはずだ。現に放置されて一度は離れた。あの時は様子を見たが、チャンスはある。人間のやることなに穴が無い事など有得ない。
そう、今だって。
無防備に眠る男の首を掻っ切ればそれで終わりだ。あとは逃げるのに必要な手段を探せばいい。そうしなくともこの手をどけるだけで簡単に抜け出せるはずだ。
そっと体を起こす。その僅かな振動で、次の瞬間はっきりとした言葉が放たれた。
「眠れないかい?」
「……別に」
眠っていなかったのか。眠りが浅いのか。
さすが軍人というべきか、油断なら無い。今は駄目だ。やはりこの男が側を離れるときでなければ。
外れないこの手の拘束から、素手同士では敵わないことは自覚している。
「私は何もしない。この手が君の手を掴んでいる限り、軍も君に何かをすることはできない。だから安心して眠るといい」
「それの何処に安堵する根拠がある?」
「寝て起きたら薬付けっていうことはないよ」
軍人の口約束を信用できるわけがない。しかもこいつはそれなりに地位があるようではあるが、それでもおそらく上から命令される側だ。
確かにこいつはしなくても、命令されればやらざるを得ない。
ガンダムには、ソレスタルビーイングには、それだけの価値がある。それは身内贔屓な認識ではないはずだ。
「その代わりにあんたの尋問か」
「まあね。私の興味を満たしてくれるまで付き合ってくれるといいんだが」
「あんたの興味ってのは理解不能だ」
「それなら君の好きなものは?」
「……」
なんでいきなり話が飛ぶんだ。そういうところが理解できない。
軍とはそういう場所なのか。
だんまりにそれならばとまた再び奴は代案を示した。
「なら今は答えなくていい。私の名前を呼んでくれ」
それならば答える必要はないだろう。言っていることは分かるが、その要望も意味が分からない。そんなことに何の意味がある。
俺の名前を聞き出すというわけでなく、自分の名前を呼ばせたいなどというもはや願望であるだけのものなど。軍人が行うべき尋問ではないことは確かだ。
この男、本当に頭は大丈夫なのか。
「……本当にこんなとこに居るのかぁ?」
屋敷というのが相応しいだろうか。少なくとも軍事施設ではない。まぁセキュリティレベルは高そうな家ではあるが。一通り外からのぞいて見て、双眼鏡から暗視スコープに切り替える。
「入ってみなくちゃ分からないってね」
信用しなくては先へは進めない。此処が一番可能性が高いのだ。駄目なら次に行くしかない。この程度なら入るだけならそれほど手間の掛かるものでもないし。これ以上はデータからの推測は不可能だ。もはや時間との格闘だろう。
(頼むから当たってろよ俺の勘……!)
窓ガラスを刳り貫き、窓の鍵を開けてそこから滑り込む。音を出すことは極力避けねばならない。
1階ということはまず無いだろう。窓から簡単に逃げられてしまう。だとすると二階もないか……とりあえず上から見るのが定石だろう。
いくつかの部屋を扉から音を伺い、細く開いてから見ていく。刹那どころか人がまるで居ない。
夜だからであるのか。それにしてもこの規模の屋敷にこれほど人が居ないというのはどうしたことか。通いってことはあるだろうが、なんだ人手不足か?
コツン。
足音。今まで人が居ないことに文句を言ってみたが、人に鉢合わせるとなれば話は別だ。しかも丁度袋小路。奥には部屋一つしかない。
(くそ……声出される前にのさないとまずいな……)
拳を緊張させる。待ち伏せして振り下ろす事で昏倒させる。
あと5メートル、3メートル、2メートル、1……
ふと、違和感に気付く。
――――妙に足音が軽い。
「刹那!?」
掴んだ腕と、受け止めた手ががっちりと噛み合う。どちらかが力を抜けば片方に当たる、そんな体勢。
何をしやがるとは言わなかった。そりゃそうだ、こいつが大人しくしているわけがないと言ったのは俺だ。
逃げてきたというわけだ。探す手間が省けた。
「さっすがレジスタンス」
「俺はレジスタンスじゃない」
「そうだな。おまえはガンダムマイスターだ」
褒め言葉のつもりだったのだが、むっとしたように返された答えに悪い悪いと調子を合わせて返す。
これがこの子供の難しいところだ。
どう違うというのか。
所詮ソレスタルビーイングは世間から見たらテロリストだ。それでも俺たちはそのことに誇りを持っているのだから、否定をするわけにはいかない。
「追っ手は?」
「男が一人」
「あの軍人か」
こくり。肯定に頭の中が熱くなる。
だから、この屋敷に人が居ないのか。こいつと奴、二人だけだったのか。
他に人がいるならば、追っ手が一人だけということはありえない。俺が探している途中に人がいなかったことといい、まず間違いないだろう。刹那が追っ手の数を間違えるとは思わない。
それは許されざる事体だ。
俺にとって、それは無視できない行為だ。時間さえあれば絶対に許してはおかないものを。
追っ手が一人ということは、こちらから攻撃してやることもまた可能ということだ。
だがしかし如何せん時間がない。今争うべきはあの男ではなく時間の方だ。
「こっちは行き止まりだぜ。追ってくるってんならさっさと降りないと……」
(ちっ……遅かったか)
スコープ越しに見えた顔に立ち止まる。
悠然と歩いてくる、あの男。
「飼い主が迎えに来たのか……いや、仲間の猫かな?」
どうして機体よりもパイロットの確保を優先したのか。
二機いることは承知していたはずだ。それゆえ、か。それとも……
疑問はあった。
だが、こいつの刹那を見る目を見て確信に変わる。
「グラハム・エーカー。27歳、カスタムフラッグのパイロットだったな。犯罪ってご存知かい?」
「一応、それを取り締まる側だからね」
「未成年に手出してんじゃねーよ」
「君もたいして変わらないだろう」
「傷つくねぇ。俺ってそんなに歳くってるように見える?」
少なくとも刹那と俺の年齢差は十はない。未成年相手じゃ犯罪まがいといえばまがいだが、こいつの場合完全にアウトじゃねーか。実際連れ込んでるところといい。
「そうまでして、あんたこいつから何か聞き出せたわけ?」
「名前と歳は」
「はっそれはそれはご苦労さまだなっ!」
そんなものは情報とも呼べない。
名前程度ならば誰でも引き出せる。そこから先が中々進めはしないのだ。たった一日、されど一日。やはりその程度の相手に刹那が反応を見せるわけが無い。
「こいつはあんたには手に負えないよ」
この前のお礼だとばかりにこれ見よがしに刹那の肩を引き寄せる。
すぐに叩き落されたが。
「行くぞ、刹那。ミッションスタートだ」
「了解」
それでもあんたにはこんなに従順に言葉を引き出す術さえないだろう。
俺だっていつでも持っているわけではないけれど。
5.
行きに使った車に乗って、可能な限りの速度でぶっ飛ばす。
時間にも、あの男にも、追われる身としては速度制限など守っている余裕は無い。バックミラーで後ろから来る車が無い事を確認して、それでもアクセルは緩められない。
隣から小さな声が聞こえてくるまで。
*
「……どうして、来た」
いつも飛ばすときはガンダムでの移動で、真剣に車を飛ばす男の姿は慣れない。その真剣さは何処から来るものなのか。何時だってある程度の余裕を見せるのに、今はない。本当に真剣で、口さえ開かない。喧しいハロも居ない。
おそらくミッションではないだろう。
助けてもらえるなどとは思っていなかった。
エクシアは奴らには回収されなかった。おそらくロックオンがきちんと回収したはずで、どじを踏んだのは自分だ。
「仲間を心配するのは当然だろ?」
「ミッションはどうした」
「生憎、エレベータの確保に時間喰っててね。あと数時間はフリーなわけよ」
仕事ではないという。おまけに時間が無いらしい。誤魔化した時間は、一桁であることを示している。もしかしたら間に合わないかもしれないと、こいつも宇宙に上がれなくなるかもしれないと、そういうことだ。
「なんでっ……」
「あーはいはい落ち着きなさいって」
どーどーとハンドルから片手を放して宥めてくる男にさすがに身を乗り出すこともできずに大人しくシートに寄りかかる。
免許は無いが運転はできる。危険は分かっていた。
せめてもの抵抗はバックミラー越しに大人しく睨みつけてやることくらいだ。
「ここじゃミルクも出せないんだから苛々してもカルシュウムは摂取できないぜ?」
「人を子ども扱いするなっ」
いつもなら動作が付いているだろうそれを振り払うように叫ぶ。
「いつもいつもいつもいつも」
子供扱いだ。今回もその延長線上なのか。
俺はガンダムマイスターだ。決して心配されるような子供ではない。信用されないような子供ではない。実力でガンダムマイスターになったはずだ。
「おまえも、あいつも、なんだっていうんだ」
意味が分からない。
何を言いたい。何をしたい。何を考えているっていうんだ。
*
アクセルに踏み込んでいた足を踏み替えてブレーキを強く踏む。ガクンと勢い良く跳ねえ止まった車に刹那がどんな顔をしているのか確認する余裕は無かった。ハンドルに腕を付いて顔を伏せる。
同列に扱われた。そのことが酷く癇に障った。
あいつなどに手に負えるわけが無いと思った。何時だって、誰にだって。そう思っていた。
それがどうだ。たった数十時間という間だけで何があった。何を言った、何をした――――あの男。
「……刹那」
低い声が出る。抑えられない。
薬の気配も無く、痛めつけられたような傷もなく、良かったと思う。思ったより事体は深刻化してはいない。それでもあの男が、刹那の手を取り奪っていった男が、夢中で仕方が無いというあの目が、冷静にさせない。苛立たしい。腹立たしい。
「あいつってのはあの軍人か」
「そうだ」
「何を言われた?」
何がそんなにもおまえを動揺させるのか。させたのか。
たとえあの男が刹那をどう思っていようと、刹那のこの様子を見て何かがあったとは思わない。ただ、気分が悪いだけだ。
「それが、なんの関係がある?」
関係などない。
興味、好奇心、憎悪、絶望、嫉妬、落胆。そのどれだとしても完全に私情だ。
「何を言われたんだっ」
「俺に触れるな」
腕を掴んで揺さぶる。一度大きく上下に振れた体は、しかし二度目はなく払い落される。それは先刻のような軽い物ではなく、眼光鋭く睨みつけてくるその瞳付だ。
――――しまった。
警戒心の強い野良猫は怯えるばかりだ。益々頑なになるだろう。
(まずったな……これじゃ聞き出せねーか)
命令として指示されるか、報告義務があるところは分かるだろうが、知りたいのはおそらくそうじゃない。刹那がどう感じ、何を思ったかだ。どうしてあの男の存在を今出したのか。
しっぽがあったらば全身の毛を逆立てていそうな刹那の様子に苦虫を噛み潰す。
これはかなり警戒された。よっぽど力が入っていたらしい。
それ以上言葉を重ねるよりもここは引いて大人しく報告書なりを読んだほうが無難だろう。
「そうだな。悪い、忘れてくれ。着いてからじっくりなんて言わないからさ」
警戒態勢のまま、刹那はじっと計るように俺を見る。
そろそろ車を発進させようか。いつまでも止まっているわけにはいかない。刻々と時間は迫ってくる。
「ロックオン」
「おっと時間が迫ってるな。飛ばすぞ刹那」
「ロックオン!」
珍しく食い下がる刹那に、けれども無視を決め込む。
いつもならミッションやそれに差し迫るものがあれば無理に話そうとはしない。だいたいにして口数もそう多い方じゃない。なのに今あえて言おうとすることがなんであるか、平静で聞ける自信がない。いくら年が上だろうと余裕がないときは無い。
「あんた、たまには人の話を聞けよ!」
「いつもってだんまり決め込むのは誰だかなぁ」
「無駄な事をぺらぺらと喋る趣味は無い」
「無駄ってな……」
泣いたろうか。
どきっぱりと言い切られて涙が出そうだよお兄さんは。
俺の苦労はなんなのだろうか。いや、別に好きでやってるんであって刹那に文句を言うのはそりゃあお門違いだけれども。
「俺はっ!訳が分からないが、感謝してないわけじゃない」
「ほーそりゃどーも」
「助かったっ」
ヤケクソのように叫んでそっぽを向く。その可愛らしい動作に思わず頬が緩んだ。
「そりゃ良かった」
現金なものだ。あれだけ気分が悪かったことが嘘のようだ。
感謝しているということはあいつの元は不快だったということだ。俺が迎えに行った事が正しかったということだ。
イコールになるわけではないが、そう思えなくも無い。
「ありがと……」
ギュルギュルと凄まじい音を立てて車が急発進する。隣で刹那がおいと顔を顰めていたが、顔がにやけたまま元に戻らない俺には抑止にならない。
こりゃ間に合わなけりゃ男が廃る。
滅多に無い礼を先に頂いちまったんだから!