眠れる神は
欠けない月を望む
01/02/03/04/05/06
(完)
01.
意識が、朦朧としている。
それでも警戒を怠ることは出来ず、朝日に照らされる大地をモニター越しに目を凝らす。
何も無い砂漠地帯が続く風景、光の中の空の色だけが明確に映る。
「他の、マイスターは……」
帰頭途中にヴァーチェの機影すらない。可笑しい。
そろそろ合流とまではいかなくても、センサーに反応があってもいいはずだ。
嫌な空気だ。
のろのろと重い動作でキーボードに手を走らせて通信回線を繋ぐ。
『刹那?』
少女の声が応答する。
不安そうであり、安堵するようであり、疲れきったような声。
「他のマイスターたちの状況は?」
『まだ連絡はありません。こっちで把握してるポイントにも変化なし。多分……』
「そうか」
フェルトの声は言葉にしたくないというように途中で途切れたが、どの道その先は聞きたくなかった。
俺はまた、喪うのだろうか。
朦朧とした意識の中であの日々を思い出す。
聖戦、神、仲間、銃、放送、声、悲鳴、血、瓦礫、死。
沢山居た仲間。転がる首。血まみれの体。
俺はまた喪い続けるのか。
何にもなれないのか。
……そんな自分に意味はあるのか?
(違う……)
俺はもう意味のないものではなくなったはずだ。
あの日見た力。あの日手に入れた力。もう、何者でもなく、意味の無い存在ではなくなった。
「俺は、ガンダムだ」
『……刹那?』
不信を、何かを、感じ取った声。
戸惑ったようなフェルトに言葉を返す余裕はない。頭の中で叫ぶ声が思考を全て占拠している。
即ち、喪失しないための行動を。
『刹那っ!』
叫び声が聞こえたが、レーダーの反応に通信を切る。
――――ここから三時の方向。
敵影がそこにあった。
*
敵影は目視で確認するとモビルアーマーの形をしていた。
厳つく巨大な船のような形をした下半身。だがその上に乗っているイナクトは見知った形をしている。モラリアのPMCから奪われたというAEU最新鋭の機体。
――――それを操るのは。
アリー・アル・サーシェス。
奴か、と悟る。
この疲弊の後に相手取るにはずいぶんと厄介な相手だ。疲労がなくても個人として未だ敵わない。
そんなこと知っていた。いつもあの男は俺の前に居る。あいつに褒められることが一番の名誉だった。嬉しかった。あいつが教えてくれたこの技術で俺は今ガンダムで居られる。
だが、仲間の元に行くには倒さなくてはならない敵だ。
上空からの銃撃を避ける。機体が巨大な分動きのスピードはたいした事はないが、それを補うだけの腕が奴にはある。疲弊の具合もあった。
避けているはずであるのに、気づけば追い詰められていた。眼前に迫った機体で体当たりを食らって砂の上に叩き付けられる。
空中で変形を蜘蛛を連想させる足が、エクシアを囲む。
まずい、と思うが砂に埋もれた状態でさらに上に圧し掛かられるような状態では素早くは動けない。逃げられない。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
身を貫く、衝撃。
痛みとすら呼べない、ただ衝撃としか認識できない、苦しい。息が出来ない。
電撃に身を貫かれながら、それでも譲れない思いがある。
「俺はっガンダムだっ」
もう、何もかもを喪うのなんて懲り懲りだ。また意味をなくした存在になるなど。何にもなれないなんて。
エクシア、エクシア、俺のガンダム。
まだ動く、動く、動く。俺の体は動く。おまえも動くだろう?
ビクンビクンと痙攣する体を、腕を、指先を、全身全霊を込めて動かす。
「退けぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
絶叫が迸る。
痛みを超えて動いたエクシアの右手――――GNソードが過去の亡霊を引き裂いた。
02.
部下がデカブツを抑えるのを満面の笑みで見ていたパトリック・コーラサワーはふとレーダーに引っかかる機影を発見して首をかしげた。
「なんだぁ?」
合同演習と銘打っているからAEU所属機以外も存在する。
一応、どの機体を相手取るか上が決めたようで邪魔は入らなかったが、かといってこの辺りをふよふよと飛んでいないとも限らない。面倒だとは思いつつ、念のため照合するために一瞬の間。
その一瞬の間の間に白と青の特徴的な機影が目前に迫っていた。息を呑む。その形は、その色は。
それを目が捕らえるのと、鋭い刃が降りてきたのは同時だった。
『少尉!』
懸念するような悲鳴が上がる。
その出来た隙に青いガンダムが向きを変え、ガンダムを囲む四機へと突っ込んだ。眩いばかりの光がその剣を包んでいた。ガンダムが発する光と同じもの。その名こそ知らなかったが、例の特殊粒子が関係していることは一目瞭然だった。
(デカブツの拘束が外れる……!)
囲んでいた機体が一機、切り倒される。
その一撃で瞬時にガラクタと化した見方機にパトリックは焦りを覚える。
ガンダムが二機。捕らえられれば手柄だが、逃せば失態。
(大佐に怒られちまうじゃねーか!)
殴られるのは構わないが、できればそれは勘弁してもらいたい。
捕まえてくると言ったら男にしてやると言われた。
つまりこれは大佐の考えならは出来るということで、期待されているということだ。それに答えられないようでは男が廃る。
だというのに一機倒れれば容易く、もう残った機体は最初の攻撃を避けたこの俺様のイナクトしかない。
「またおまえかよ」
ガンダムは四機しかないというから多分そうだろう。初めて俺が負けた奴。
模擬戦では負けなしのこの俺様が、あんなにもあっさりと無様な様を晒したのはあれが最初で最後(にしたい)。
二度目はない。そう意を決して折角の成功をおじゃんにしてくれた青いガンダムに踊りかかる。
「俺はエースなんだぞぉぉぉぉぉ」
次の瞬間、綺麗に右半身が飛んでいた。
*
それをティエリアは見ていた。
苦痛は酷いが、意識は失わなかったためだ。四方からバリアーのようなものを押し付けられ、囲まれたこの状況からいかにして抜け出すか。考える余地は無くともそうする意思はあった。
「何故」
声は思ったよりも掠れていた。
それは唯でさえ戦闘時の疲労がピークであったのに加え、四方からの圧力で苦痛に喉が悲鳴を上げた所為だ。
だが、開放への歓喜よりも、押し殺した声が告げるのはこの場に居るはずがないはずのないエクシアが存在することへの糾弾だった。
「何故、貴様がここに居る!」
手早く繋いだ通信に向けて叫ぶ。
予定ではもうエクシアは太平洋第6スポットを目指し、何事もなければそろそろ海の辺りを飛行しているはずだ。此処に居るためにはルートを反れ、戻らなくてはならない。これは明らかな命令無視だ。
『俺はガンダムだ』
返った答えはそれだった。答えになっていない、文章にもなっていない。いや、文法としては主語と述語で構成された極めて簡潔な構文だった。だが、その意味を理解できる人間は居ないだろう。
ガンダム。それがあの子供の中でどんな存在であるか知らないわけではない。ヴェーダからデータはすでに受け取っている。それでもずっと不適格だと思っていた。ガンダムマイスターとして何故あの子供が選ばれたのか不思議で仕方がなかった。
助けられたとはいえ、ミッションを無視した行動に怒りを覚えこそすれ感謝をするわけもない。
未だ動きを止めないエクシアから察するに奴の目的はこれだけではないのだろう。
「何処へ行く気だ!?」
『もう、喪うのはごめんだ』
不可解な言葉だった。何を喪うというのか。
だが、エクシアの向かう方向を見て顔色を変える。ヴァーチェの軌跡が残る砂地の向こう。
戻るというのか。あの戦火の中に。だとしたら喪うというのは他のマイスターのことか。あるいはガンダムのことか。この子供は自分の乗る機体以外に興味も愛着も無いと思っていたのだが。
どのみち助けられるわけが無い。自分一人離脱することが難しい状況で、救援に向かったとしても同じ窮地に落ちるのが関の山だろう。
それでも向かう子供はできると思っているのだろうか。
全てを救う力を持った、それはまるで神のように。
「神はいないと言ったのはおまえだろう、刹那!」
拳が激しくコンソールを打つ。
どうしてこんな無謀をするのか。分かりきったことだ。ガンダムがあるからだ。ガンダムを彼が全能なるものと位置づけているからだ。
「ガンダムは万能ではないっ」
どんなに性能の良いモビルスーツであっても、どんなに強いモビルスーツであっても、ガンダムは神の代名詞ではないのだ。たった一機でできることなど高が知れている。
今のこの現状がそれを図らずも証明している。
圧倒的な物量に逃げることすらできなかったというのに、それが万能であるわけが無い。
「くそっ」
見えなくなったエクシアに思わず悪態をついて諸々のボタンを押す。
このまま、あの子供を野放しにしておくわけにはいかない。
引き摺ってでも連れて帰らなければ。もはや体力は限界のはずだ。これ以上の戦闘はエクシアを失うだけだ。
その為に。
ほんの少しの逡巡の後、重たい装甲を脱ぎ捨てる。
ヴァーチェではエクシアの速さには追いつけない。重量の問題でこのままでは空を飛ぶことができない。あれを確保するのなら、それ相応のスピードが無くては。
(ヴェーダ……)
思うのはソレスタルビーイングを導くメインコンピュータだ。かのプランにナドレは未だ出てきていない。
一度失態から晒してしまったことはあるが、それを含めその後もまだまだナドレの登場には時間が掛かる。
使うつもりはなかった。使いたくはなかった。
だが、軽くなった機体が浮き上がる。
あの子供が一体何を考えているのか。なんとなく想像はできたが、苛立ちが収まるわけではない。それでも、だからこそ、ナドレを使ってでも引き摺ってくる必要性がある。
03.
何処だ何処だ何処だ何処だ。
目を凝らす。
敵機はそこかしこに居たが、探しているのはそれではない。
特徴的なフォルム。緑と、オレンジ。
このヴェーチェが作った退路沿いに居る筈だ。
「――――あれか」
妙にフラッグが集まっている。それはつまり目的があるということだ。
カメラが捕らえたそれを拡大してモニターへと映し出す。
押し倒されるように地に縫い付けられているのはデュナメスだ。ロックオン・ストラトスの機体。
鬱陶しいくらいに人をかまい、笑いかけてくる顔が浮かぶ。
握るグリップに力を込めた。
*
押し倒したガンダムを見下ろしてさてどうしようかと迷う。このままこのフラッグで運んでもいいが、それでは部下たちもつまらないだろう。
今はパイロットの意識が飛んだのか大人しい。任せてもいいだろうか。あの圧倒的なガンダムに油断はできないが、後はそれを駐屯地に持ち帰るだけだ。その後のことはエイフマン教授やカタギリのような技術者の仕事。
しばしの逡巡の後、指示を出そうと声を乗せるが――――電波障害。
(これは、もしや……!)
来る。
この捕らえたガンダムとは別にあの粒子を撒き散らすガンダムが。
どこかが失敗したのか、それとも五機目が現れたか。よく見ようとレーダーの範囲を広くし、反応のあった方角へと目を凝らす。
「あれは……」
青い、ガンダム。
初めて目にした、心奪われた――――ガンダム。
歓喜が体中に巡る。
「嬉しいな。やはり君には運命を感じるよ」
『隊長?』
「鹵獲したガンダム、逃がすなよ」
接触回線にしてきた曹長に任せて向かい打つために再び空へ飛び立つ。
「あれは私が相手をする」
運命の相手だ。私が相手をせねばならないだろう。目的がこの眠り姫にあるのであればあちらも私に用はあるはずだ。ここを突破し、救出するというのであれば間違いなく私が立ちはだかる。
ああそうだ。
思い浮かんだ童話の名前を口にする。
「赤頭きんのようだね」
狼の元へ自らやってきてしまう赤い頭きんを被った女の子の話だ。
つまるところ飛んで火にいる夏の虫という。ああ、食べてしまいたい。
突っ込んでくるそれのパイロットはやはり若いのだろう。この状況で仲間を助けようというのは無謀というものであり、作戦も何もあったものではない。
抜いたビームサーベルがガンダムの実刃と交錯する。
このスピードで仕掛けたものを止めるのか。
どんなに無謀であっても簡単には落ちないガンダムに感嘆の声を漏らす。
「さすがだな!ガンダム!!」
嬉しいのかもしれない。楽しいのかもしれない。
刃を振りかぶり、突き出す、避けて、かわされる。例え追い詰められるこの瞬間さえも。
遠距離射撃を主とするガンダムとは違い、実刃とビームサーベルを主力武器とするこのガンダムとの戦闘は酷く楽しい。
「だが倒させてもらう」
勝てないと思ったことは無かった。いくらガンダムの性能が桁外れだとしても、操縦技術としては負けてはいないと思っている。このカスタムフラッグであれば十分対抗しえると思った。
そして何より戦闘開始から十五時間以上も戦い続けているガンダムとは違い、こちらは連続戦闘は無い。物量の違いがここにある。
フェアではないと思う。それだけは残念といわざるを得ない。
だが、欲しいものを手に入れるのに形振りをかまう余裕はない。向こうとてオーバーテクノロジーというハンデがあるのだ。同等、とは言わないが、多少埋まるものはあるだろう。
押し付けられる重力にかまわす持ちうるだけのスピードで繰り出したサーベルでガンダムの実刃を弾く。
大きく孤を描くように大地に突き刺さったそれに次いで、腰部のビームサーベルを抜かれる前に弾き飛ばす。一度踏んだ轍は踏まない。
だが……
「なに!?」
目の前に迫ったビームダガーに、敗北を覚悟した。
*
『ロックオン・ストラトス!』
びくりと体が痙攣する。
通信回線越しに呼ばれたのか。大きいというよりは厳しいその声に気がついた。
意識を飛ばしていたのか。
応答しようと顔を上げ、ふとメインモニターに映ったその姿にぎょっとする。
「ナドレ……?」
声からしてそれがティエリアであることは分かっていた。だが、どうしてその姿なのか。
今回それを使うプランは存在していない。少なくともロックオンは聞いてはいなかった。
ティエリアはそれを見せることを酷く嫌がっていたはずだ。
「あーったくもう何やってるんだよ。ティエリア?」
『俺に聞くな』
憮然とした言葉で不機嫌そうな答えが返る。
本人に聞かずして誰に聞けばいいんだと思ったが、それより先に見ろと示されてモニターを上げる。
上空。
デュナメスを抑えていたはずのあの黒いフラッグと刹那が剣を交えていた。
「なっ……あいつ何やってんだ!?」
ティエリアがいることにも疑問を覚えるべきではあったのだが、その姿に驚きすぎて失念していた。
だがそれ以上に今上空で戦闘行為を行っている刹那の姿は驚愕に値した。
状況としては上空の戦闘以外はときたまナドレが応戦してみせるだけだ。その程度ですむほどに大分数が減っている。どう考えてもナドレが殲滅したのだろう。でなければエクシアか。
だが流石に刹那もあのカスタムフラッグ相手では精一杯、か。
いや、と戦闘を見上げて思う。そうでもないか。
先程からエクシアは余裕とは言わないが少なくとも追い詰められてはいない。
「あいつ、あんなに動けたか?」
元々動きは悪くない。エクシアに乗るだけの器量を持っている。
接近戦であるならばロックオンよりも刹那の方があのフラッグを上回る可能性は高い。
だが、と思う。
(あいつ、あんなに強かったか?)
強い、というか”速い”のだろうか。
速いとは単にスピードの話ではない。あの速さを出すには相手の出方を読む必要がある。
それは酷く集中力のいる話だ。
集中力は途切れる。疲弊しているときであればなおさら。
刹那は体力が無いとは言わないが、どうしてもその体に見合った体力しかない。自然アレルヤや自分に比べれば無い。
だというのに?
『あれが刹那・F・セイエイがガンダムマイスターである理由か』
そうだろうか。
ティエリアの言葉に疑問を持つ。
生きていることそのものが理由だと刹那は言った。
それは極限の強さだとそういうことなのだろうか。
分からない、が。
今、刹那の奴は酷く無理をしているんじゃないかと思った。
04.
立ちはだかるものを全て切り裂いていく。
その姿をティエリアは目を細めて観察する。
――――全てを、切り裂く力。
そんなものをヴェーダが評価するのだろうが。
こんなにも不安定で、想定外の行動をするというのに?
確かに今の刹那はそれを差し引いても強い。今まで感じることの無かった感想だ。
此処へ来て開花したか。これがヴェーダのシナリオだったのだろうか。
分からない。
だが、少なくともスメラギさんから渡されたミッションプランにはない。
ロックオンもそれには懐疑的な感想を零した。
もっともそれはあの男のいつもの構いたがるくせで、単なる子ども扱いだろう。
ガンダムマイスターである人間がただの子供であるはずがない。それをいい加減気づくべきときだ。
*
注意しろ、という言葉に従って慎重に倒れたそれに近づく。名前を聞いてきたこのパイロットは一体何なのだろうか。その姿をこれから見るのだと思うと少しだけ緊張する。
『少尉、私が後ろから抑えよう。コックピットを外せ』
「了解しました」
回り込む中佐を待ってからコックピットと思われる胸部へと取り付く。
ミシリと分厚い装甲が軋みを上げる。流石に頑丈だ。ビームサーベルを使ったほうがいいか。
そんな逡巡のうちに。
――――アラートが鳴った。
手を止めてレーダーで探せば猛スピードで空から飛来するそれはティエレンではない。
「中佐!」
それはまっすぐに自分と中佐、それからこのガンダムへと向かってきていた。
いち早くそれを見つけたソーマは警告を発するが間に合わない。作業の途中であってもなお、超兵であるソーマの能力の方が認識力が高い。すぐそのままガンダム越しに中佐の機体を突き飛ばすように体当たりをかけて推進力で退避する。
濛々と上がる砂煙の向こうに光る目。人の顔のように作られたカメラ・アイ。
『なんだと!?』
中佐のお考えでも想定できなかった事態のようだ。
こんな焦りを含んだ声を初めて聞いた。
『ガンダム……仲間を助けに来たか』
しかもさらに二機、上空に反応がある。これで四機全てが揃ったという事か。
面白い、とはいえない状況だった。
いくら中佐が優秀であるとはいえ作戦を立て直す時間も要る。しかもガンダム四機相手にこの戦力では。一機戦闘不能だといえ、この羽付きも油断できない。
これを引き摺って帰るのか?
危険すぎる。パイロットを引きずり出しておかないと、いつ動き出すか分からない。
それに機材を使うよりもティエレンの手を使ったほうが装甲を剥ぎ取るのは容易い。もともとモビルスーツとは戦闘用ではなく宇宙である程度繊細な作業をするための機械だ。マニュピレーターでこじ開けるなりビームサーベルなり方法は幾らでもある。
「中佐、どうしますか?」
『つまりはどこも失敗したということか、流石だな』
ガンダム、とどこか満足そうにも思える口調で中佐は言う。歓迎できる事態ではないというのに。
ガンダムが一機も捕われていないことがさすがという。
中佐はこの鹵獲作戦に納得をされていなかったのだろうか。そんな疑問が沸く。
そういえば、あまりの頭痛に暴走してしまったとき、人命救助に当たったのは中佐と後ろの羽付きだったと聞いた。その声も、言葉も、聞いたのだと言っていた。
だからだろうか。
だから本当は鹵獲には反対なのだろうか。
『応戦する。少尉!羽付きは後方に任せて私と共に新たなガンダムを迎え撃て』
「はいっ」
すでに作戦の立て直しは終わったらしい。
いいや違うとその力強い命令にそんな考えを振り払う。
中佐は、命令に忠実な優秀な軍人なのだ。
*
「目標を視認」
誰に言うわけでもなく口に出す。
あえていうのならエクシアに語りかけているといっていい。いや、自分に向けてなのかもしれない。
ガンダムである自分。
視界は酷くクリアだ。敵機の動きも、弾の弾道もまるでスローモーションのように見える。切り裂けないものは無い。また、同時に目標を避けることも簡単だ。敵機との距離が如何に短くとも問題は無い。そのくらい繊細な動きも成功のヴィジョンがあった。
故に羽交い絞めにされたキュリオスに向けてそのまま突っ込む。
濛々と上がる砂煙はモニター越しに位置を特定させないが、存在を隠すには至らない。
下を向いていたメインカメラを正面に向ける。
やがて晴れた砂煙の向こうに立ち上がる二機のティエレン。キュリオスはその後ろ。一瞬で見て取ってビームダガーを構える。武器はもう大分落とされてはいるが……
落とす。倒す。取り戻す。
なぜなら俺がガンダムだからだ。
05.
止まらない刹那を追いかけてぎりぎりの体力の中、機体を駆る。
それ自体が命令無視であることは分かっているが、流石にこの状態の刹那を置いてさっさと撤退できるわけがなかった。目的が明確であるからなおさら。
ティエリアの話と刹那の行動を見れば残るのはキュリオスだ。そう遠くない場所に居るだろう。
刹那の暴走はいつものこととはいえ、これは……
あまりにも無謀だ。危なげの無い場面ではない。フォローしきれない。
「無茶するなっ!」
援護をしたくてももう指の感覚がなくて射撃の精度が落ちている。
刹那に当たったらそれこそ悲惨で、精々周りが刹那にちょっかいを出さないように牽制するくらいしかできない。
「ティエリア、一体全体なにやってたんだ?」
『どうして俺が知っているんです』
「一緒にミッション組んでただろーが」
『あの暴走は一度分かれてからの変貌です。そもそも子供のお守りはあなたの担当でしょう』
「固定かよっ!」
そりゃ確かにまとめ役めいたものであるし、刹那を見守りフォローするのは自分の役目であると思ってはいる。
が。
(……荷が重いだろこの状態じゃぁ)
溜息を吐いて動かないキュリオスのそばに下りる。
あのピンクのティエレンが居るからアレルヤの意識があるかどうかが心配だった。アレルヤの意識がなければここから離脱するのは難しい。いくらここを刹那が切り払っても、追撃がないわけがない。動かない重たいだけの機体を持って帰るには些か無理のある状況だ。
通常ミッション中はマイスター本人にコントロール権限がある所為で、いくら同じガンダムマイスターとはいえ権限の移行を行わなければオートの命令も受け付けない。
「アレルヤ、おい、大丈夫か?」
『ロックオン……ですか?』
「ああ。良かった、意識はあるんだな」
キュリオスの状態からみてもこれなら離脱は可能なはずだ。
今は少し離れたところで二機を相手にしているエクシアを見やり、敵の状態としても問題はなさそうだと判断する。
すでにうち一機の腕はもぎ取ったらしい。片腕でありながらガンダムとやりあっているとはあのパイロット、中々腕がいいらしい。もっともピンクのティエレンが庇っているというところも大きいようだが。
どちらにしろあの二機とも満身創痍だ。追ってくるような余裕はない。他の機体はすでにスクラップだ。
「本当にあいつ刹那だろうなぁ?ハロ」
「ホントウ!ホントウ!!」
そんな馬鹿なことを考えてしまうくらいに今の刹那は強い。
普段はそんなことは思わない。信用はしているが、心配はどうしたって付いてまわる。ミッションはに戦闘は付き物だ。誰に対してだって同じだろう。ただ心情的に刹那が他より若干気になるだけで。
いや今も心配であることは変わらないし、手を出せないこの状況に苛立ちはあるのだが。
圧倒されている、と思う。
そこに介入する余地がない。フォローなんてできはしない。
そんな考えを振り払うように頭を振る。
「撤退するぞ!」
この声が届くだろうか。一抹の不安はまさにい的中したように繋げた回線から了解の返事があったのは二つのみ。
戦闘に没頭しているのか、それとも前の暴走の時と同じように自分の世界に閉じこもっているのか。
ちっと舌打ちを一つ。どちらにしてもこれは無理やりお持ち帰りするしかないらしい。
「アレルヤ、刹那捕まえられるか?」
『できない、なんて言えないでしょうこの状況ではっ』
モビルスーツ一機を乗せて飛ぶにはキュリオスでなければならない。そうでなければスピードが遅くなる。デュナメスを乗せてきたように、可変型のキュリオスの特徴だ。
*
頭痛は相変わらず酷い。それでもまだ距離があるためか動けなくなるほどではない。
ロックオンの要望通りにピンクのティエレンと離れたエクシアを鉤状のアームで引っ掛ける。本来なら武器であるはずのそれは、今はエクシアを傷つけない。それの利用が禁止されていることなんて構っていられる状況ではない。例えガンダムマイスターから下ろされようとも、命のほうが大切だった。
だって救ってくれたのはこの、小さな、子供である、エクシアのパイロット――――刹那。
引き摺られていってもそこに超人機関はもうないが、それでも戻りたい場所ではない。
だから感謝している。
「ロックオン!」
『あいよ!』
エクシアを引っ掛けたまま上空へ、そのまま帰投経路へと向かう。
その邪魔をされないようにロックオンへ援護を頼めば直撃ではないものの、それでも敵機の足を止めるのには十分な場所へと打ち込んだ。
さすがロックオンだ。
「ってちょっと刹那!暴れないでっ!」
そんな関心をしている場合ではなかった。
こっちはこっちで無理やり連れ出した所為か暴れるエクシアに機体が揺れる。応答が無い以上放すつもりはないが、拘束を嫌がっているのだろうか。それとも敵を倒すことを求めているのだろうか。
もし、そうならと思うとぞっとする。
戦闘に我を失う人間を知っている。
まさかそんなことが、でも、あの十五時間という時間、この異常な戦場で正常な意識を保つことはきっと難しい。あの真っ直ぐな目をした刹那が脆いとは思わない。弱いとは思わない。
だが、彼はまだ子供である。
『放せっ……俺はっもうっ……』
なんだ、と思った。答えが返ったということはこの状況を認識しているはずだ。
だというのに何かに必死な刹那の声。酷く必死で頼りない声に切なくなる。
”もう”なんだというのだろう。
『刹那・F・セイエイ。それはおまえが望んだものだ』
「え……?」
ティエリアの声が唐突に割ってはいるのに思わず疑問符を浮かべる。
『喪失はない。おまえが選び取った』
『俺、は……ガンダムに……?』
『その所業をガンダムとおまえが呼ぶのなら』
そうだ、という力強い肯定。
それを聞いた瞬間、エクシアの抵抗が止まった。
*
キュリオスを拘束していたティエレンを裂いた瞬間、何かにがっちりと捕まえられた。
手応えはあった。緑の機体の頭が吹き飛ぶ。メインカメラの大破。時折近づいてくる他の機体は全て切り裂いた。あとはピンクのティエレンだけのはずであり、それもカメラを吹き飛ばされた機体を支えている。それなのに何故、拘束するものがあるのか。
それが誰のものだか認識しないまま振り切ろうとして、それがキュリオスのアームだと知る。
何故、どうして。
アレルヤがなぜ。まさかそこに乗る人間は別人だとでもいうのか。
『刹那・F・セイエイ。それはおまえが望んだものだ』
混乱する頭に酷く冷静な声が響いた。
その声はいつだって冷静で正確な解答を有する。嘘は言わない。慰めも、気休めも。
ああ、と思う。
それならば俺の意味は成されたのだ。
06.
くたりとシートに身を凭せ掛けて動かない刹那を三人で顔を突き合わせて覗き込む。
着艦にはマイスターのコントロールがいるからそれまではかろうじで意識があったのだろう。
「まったく……」
言いたいことは沢山あった。説教もたっぷりとしてやる必要があるだろう。それをできることが、こいつのお陰であっても。だがこんな疲れきった意識の無い姿を見てしまえば今は何も言う事はできない。
同感なのだろう。一番怒り出しそうなティエリアがふいと顔をそむけるのに苦笑する。
「さて、と。こいつ医務室に届けてやんないとな」
肩に手を沿え、膝の裏に手を当ててよいしょと持ち上げる。本人の意識があったらかなり嫌がられるだろうが(横抱きつまり所詮お姫様抱っこだ)、この体勢からならこうやって抱き上げるしかない。
走る気力は無いが、踏み出す足も揺るぎはしない。疲れてはいたが、刹那くらい落とすことはない。
刹那はそれくらい軽い。
「ったくこんな細っこいくせに無茶すんなよ」
「あの命令無視への非難は同意しますが、その形容詞は不適切です」
「不適切?何がだ」
「刹那・F・セイエイはガンダムマイスターだ」
「分かってるよ」
分かっている。いくつも共にミッションをこなして、あれだけの強さを見せられて、それを否定するわけが無い。
本人もいつだってそれを主張する。
あえてそれを口にしたティエリアが何を言いたいのかは分かっていた。
「けどな、どうしたって子供に見えちまうだろうが」
実際刹那はまだ16歳だ。子供といっていい年だ。
子供を子供とみてしまうことは、ガンダムマイスターとしていけないことだとでもいうのだろうか?
*
音が、した。
シュンという扉の開く電子音。
「あ、目が覚めたんだね、刹那」
ぼんやりとした視界が徐々に像を結ぶ。
その声と記憶を結びつけるのど同じくらいに視界はその姿を判別した。
「アレルヤ・ハプティズム……」
体を起こそうとして動きが止まる。
体中に走る痛みだけではない。純粋な重さが行動を阻害している。視線をアレルヤから自分へと下ろし、そして上体に乗る大きな手を見つけた。
いつもならそれは手袋に収まっているはずの手。スナイパーの手は大切なんだだと言っていた男が、パイロットスーツを上だけ脱いだ格好で人の上に突っ伏している。
「ああ、ロックオンそのまま寝ちゃったんだ」
疲れている。それは当たり前の事だが、だからといってパイロットスーツのまま人の上で寝ていることの説明にはなっていない。疲れているのならなおさらベッドで眠っているはずだ。これがまだ私服に着替えた後だというのなら別だが……実はそれほど時間は経過していないのだろうか。
「どのくらい経った?」
「まだ、八時間くらいだよ。刹那よく起きたね」
八時間を”まだ”と呼ぶくらいに消耗が激しかったということだ。きっとこの男以外はまだ活動していないのだろう。というかそれだけの時間をロックオンはこの状態で眠っているのだろうか。
「あんたは……」
「大丈夫だよ。ちゃんと眠ったし、僕は頑丈にできてるから」
大丈夫なのかと問う前にニッコリと笑う。多少の疲れは残っているだろうが、確かに見るからにやつれている様な事は無かった。頑丈という言葉はそれほど関係ないのではないかと思いはしたが。
「一番刹那が酷かったんだよ」
その理由に思い当たってギクリとする。
アリー。あの男はあれで倒れただろうか。そうであって欲しいという思いと、そんなはずがないという思いが拮抗する。切り裂いた手ごたえはあったが、あの男があの程度でくたばるとは思えなかった。いつだってあの男は余裕の顔で笑っていた。
「感電死寸前だったって……なんで」
「別に。あんたたちだって攻撃にはあっただろう」
アレルヤであるならば頭痛という形で人よりも多く襲ってきただろう。
報告書は刹那も読んだ。
あの戦闘の記憶はハッキリと残っている。
ピンク色のティエレン。アレルヤの頭痛の原因は確かにあの場所に居た。
「刹那が助けてくれたんだよ」
「……俺、が」
「そう。君が飛んできてくれたんだ」
ロックオンでもティエリアでもない。俺が助けたのか。
ティエリアが言ってくれた。俺が望んだ結果が得られたのか。
「俺に意味はあるか?」
「あるよ……すっごくね」
そうか、と返す。
そういってくれることが嬉しかった。
*
それじゃお大事にね、という言葉を残して出て行ったアレルヤを見送って、再び自分の上体へと目線を落とす。
「狸寝入りはそのくらいにしたらどうだ?」
ビクリと動いた手を布団越しとはいえ触れているのだ。分からないはずがない。
諦めたのか人の体に体重を預けたまま顔が俺のほうを向く。
「なんだ。気づいてたのか」
むくりと起き上がった男が笑う。
こんな体勢で寝ていた所為だろう。アレルヤほど回復したようには見えないが、それでもいつもの余裕はあるようだった。その余裕の顔が無性に腹立たしいときもあるが、今はその顔を見ることは気分は悪くない。
「なんであんたこんなとこで寝てるんだ」
「やーおまえさんを運んだのはいいんだが流石に俺も力尽きてね」
「……あんたが運んだのか?」
「おお。刹那やっぱもうちょっと食べろ、そんで体重増やせ。辛かったろ?」
「余計なお世話だ」
人が気にしていることをずけずけという男にすっぱりと言葉を返す。
食べる量が少ないとは思わない。だというのに一向に体重が増えないうえ縦にも横にも伸びない理由は、体質か幼少期の栄養不足だ。というかこの男やアレルヤのような長身は民族的に望めないだろう。
縦はこれからこれからと検診のときに医者に言われたが、同時にある程度だとも言われた。
「さて。おまえ体調は?」
「別に悪くない」
体はだるいし重いがそれはこの目の前の男も同じだろう。いやむしろこの男の方が酷いかもしれない。俺は八時間もベッドでしっかりと眠っているが、ロックオンは座ったまましかもうつらうつらしたという程度だろう。
「んじゃあ遠慮なく言わせて貰うけどな」
すぅと息を吸う。人が大きな声を出すときの予備動作。
「暴走も大概にしろっ」
ロックオンの怒鳴り声に迫力が無いわけではないが、それがもたらす効果は人による。
つまるところそれで萎縮するような人間が相手ではなかったということだ。
怒られる事を理不尽だと感じる自分もいるが、当たり前だという自分が強い。別に褒められたくて行動したわけでも感謝されたかったわけでもない。別にどう思われようと構わない。
「おまえがガンダムをどう思ってるのか知ってるけどな」
真剣な顔が近づく。距離が近くなったことでその瞳がよく見えたが、そうとう怒っているのかもしらない。
逃げられない。男はもう身を起こしているというのに体が動かない。もっとも動いたとしてもこの狭いベッドスペースでは逃げ場所は無い。
腕を掴まれた。
「……痛っ」
そう強く掴まれたわけではない。痛みの具合も、力で圧迫されるような痛みではない。傷が痛むようなそんな痛みだ。だがそんなものは無かったはずで。
あのプラズマか。
電流が皮膚に損傷を残したらしい。そういえばアレルヤがこの体は感電死寸前だったと言っていた。思い当ったことに暗澹となる。次のミッションまでに治るだろうか。
「おまえはおまえで十分意味があるってことを自覚しろ、馬鹿」
「……」
答えられない。その言葉を肯定できる要素は無かったが、否定をすることはまた今回で何かを失くしたんだということになってしまう。
押し黙った俺をどう思ったのか、仕方がないと思ったのか、予想の範疇であったのか。
「まぁこうやってられるのもおまえのお陰なんだけどな」
緩めた表情でサンキューと口にされた言葉を聞いてまた失くさなくて良かったと思った。
なぜならこいつの言うようにもし俺自身に意味があるとしても、そう思ってくれる人間がいなければ無いのと同じなのだから。