凍える魚にキスで愛は目覚めるか:
――――俺たちは世界に喧嘩を売ったんだ。
――――分かってるよな?刹那。
返って来た肯定の言葉は、これから一緒に仕事をしていくのに申し分ないお言葉だ。
けれども張り詰めたその表情はいつもと同じ。幼い顔に無表情を浮かべて、今なら気負いであるとかの子供らしい感情を見せない。それが時々気になることがある。
「かったいねぇ」
大仰に吐いてみせた溜息に、刹那が眉根を寄せる。
そのココロは何を言っているのか、その軽い態度は何か、まぁそんなところだろう。
刹那の表情は読めなくは無い。読みやすくすらある。
ただそれは感情の種類が少ないからだ。無いわけではない。己で制限している訳でもない。ただ、凍えているだけなのだ、きっと。
ちょいちょいと呼べば、不承不承ではあるが刹那は大人しくそばに来る。
(こういうとこはやっぱ素直だよなぁ)
完全に捻くれてしまっている自分とは違う。いやぁ可愛い、可愛い。
まるで野良猫のように警戒心が強いくせに、真面目で素直だから言われた通り行動してくれる。もっとも一歩手前なのが刹那だ。
だが最後の一歩くらいはこっちから伸ばせばいい。手を伸ばせば簡単に引き寄せられる。
何をするんだと暴れる前に素早く唇に噛み付く。
驚いたのか抵抗はない。
ただ少しつりあがった大きな刹那の赤い瞳が、常よりさらに開かれていた。
こいつもしかして何をされているのか分からないんじゃないだろうかという疑問が若干浮かぶが、生きていてキスシーンの一つもお目にかかったことがないなんてありえないだろと否定する。ソレスタルビーイングの中でだってできてる奴は居る。
1秒、2秒、3秒。
触れるだけの唇を離してニヤリと笑う。
「ガス抜き」
はたしてこの意味が刹那に理解されているのか。
唇と唇を付けるというその行為は単に体の一部が接触するというだけではない。愛を伝える行為である。
親愛であったり、友愛であったり、恋情であったりと国によってはキスの範囲は違うが、それでもどこへ行っても愛を伝える手段には変わりは無い。
さっきよりは少し離れた場所にある刹那の瞳を覗き込む。
そう、しようとした。
「殺す」
反応はたった一言。
ただし伴った行動がそれだけでは済まさない。言葉は単なる売り言葉に買い言葉ではない。
「すみません、すみません、悪ふざけが過ぎましたっと」
ヒタリと首筋に当たる爪の感触に両手を上げる。
人の体の中で武器になるのは歯と爪だ。ひっかけば血がでるくらいだ。技術があれば爪でも動脈を切る事はできるだろう。
――――刹那ができるのかどうかは知らないが。それでも子供に構うときは引き際が肝心なのだ。
謝意など微塵もないが、それでも一応下ろされた手にどーもというようにひらひらと手を振る。
そこまでの行動が伴っていたとしても、それだけで殺すことなど刹那にはきっとできないけれど。
命令だけではない。行動を共にしなくてはならないからでもない。そう、少しだけ自惚れている。
「でもさ、刹那。一日一回キスしたらおまえもうちょっと柔らかくなると思わねーか?」
毎日、毎日、少しずつ。
世の中を泳ぐには凍えた魚も同然の刹那にそうやって愛を注いだら、温まって少しは柔らかくなりはしないか。
「どこにそんな必要がある」
一刀両断。
ああ、感情の凍えた魚にキスで愛は芽生えるだろうか。
天使の羽衣:
一目ぼれだったと言ってもいい。
光を纏って降りてきて、またすぐに飛び立っていったその機体がずっと脳裏に残っている。
「あの光……」
「なんだ。そこが気になるのかい?」
ジープを運転しながら、横に座るカタギリがしきりに話すさっき見たあの機体――もちろんAEUのものではなく、ソレスタルビーイングというイカレタ放送の入った組織の所属のものだ――の話にふと言葉を零す。
機体名・GUNDAM。
機体性能が現用MSに比べ非常に良い事は分かったが、見られた部分は少ない。武器もノコギリのようなナイフを見ただけだ。
それでも明らかに通常とは違う、あの光。
「まぁ推進剤が無いのに飛ぶっていうのは可笑しいから、あの光が推進剤になんらかの関係があるんだろうね」
「さながら羽衣か」
天女が空へ上がるために必要な道具。
パイロットが女であるとは考えにくいから、天使というのが妥当だろうか。
(天使の羽衣とはまた……)
似合う、と思う。
あの機体にとても良く似合う装備だと思う。どうせ解明をするのは科学者だ。パイロットがどう考えようと関係はない。
気に入って確かなこととして口にする。
「天使が飛んでいってしまう羽衣さ」
「殺戮の天使ってやつかい?」
詩人だねぇと笑うカタギリにそうかもな、と適当に相槌を打つ。
相対したとき、その羽衣を奪うのは自分だと思う。AEUのエースは簡単に負けた。ならば他に誰が勝てるという。
そのとき、あの天使の羽衣をもぎ取るのはさぞ気分が良いだろう。
理解不能/認識拒否:
刃が交差する。弾き返しながら、ヘルメットの中で嫌な汗が滑り落ちるのを感じ、拭えない事に不快感を覚える。
――――このMS、強い。
だが、ここで落とされるようなことがあってはならなかった。あるはずなど無かった。
(俺はガンダムマイスターだ)
戦争を根絶し、武力によって戦争行為を終わらせるソレスタルビーイングの刃。
故に、故に、故に。
火花が散る、その瞬間。
『綺麗だね!』
拾った声に眦を吊り上げる。
何をのんきなことを。そもそもなんに対しての言葉だ。
低い相手の声が酷く癇に障る。落ち着いたとは言い難い、戦闘に高揚はしているかもしれない、だが決してそれは泣き言や自己への鼓舞ではない。
つまり相手は余裕だということだ。
『君に好意を』
「好意、だと?」
言葉の意味は分かる。だが、そんなものを感じる要素がどこにある。
ソレスタルビーイングは、憎しみを受ける。世界を敵に回すだろう。ユニオンからも敵視されているはずだ。
故の戦闘行為であることは間違いなさそうだが。
『興味以上の感情さ』
困惑に返される答え。興味の上級称はなんだろうか。
わからない。
だが、理解する必要もないはずだ。
この目の前の敵を倒す事。それが最優先事項だ。
この戦闘行為事態はミッションではないが、帰投するまではミッションと考えるべきだ。
『素晴らしいと思わないかい?』
「――――」
『その機体。それを乗りこなす、君』
答えている余裕など無かった。
機体が沈む。押し付けられる相手の機体とその推進剤の力によってまるで重力に従うように海面へと向かう。
宇宙空間でも問題ないのだから水中での戦闘も浸水の心配はなく、シミュレーション上では一通り行ったが、できるだけ水中戦は避けたい。回避せよ。
『私はとても手に入れたいと思うよ』
ぞわりと背筋を走った悪寒に従って、全力でのしかかる機体を跳ね除ける。
『さすが、良く避けたね。けれど――――次は、ない』
言われなくとも分かっていた。
それでも捕食される小動物のように背中を見せて逃げるわけには行かない。向かってくる敵を撃破しなければ先へは進めない。
実剣が互角ならシールドで叩き落す、か。ビームサーベルに持ち変える間はない。ビームライフルならば持ち変える手間はないが、当たらなければ意味はない。得意とする剣での攻撃で相対するほうが確実だ。
「こいよ、叩き落としてやるっ」
意を決して、己を奮い立たせるようにそう叫んで構える。
再び接近するフラッグとエクシアの間を裂くように一条の光。
『刹那!』
次いで呼ばれた名前と、見慣れたデュナメスの機影。
さらに後ろから二機、近づいてきているのがレーダーで確認できる。
『おしいな……さすがに私も4機を相手にするのは荷が重い』
安堵はまだ早かった。敵が去る前に気を抜くことなど愚の極みだ。
けれど、ロックオンの声を聞いた瞬間助かったと思った。実際に助かった砲撃よりも、機影よりも、その声に――――安堵した。
ヘルメットのシールドを開け、汗を払う。ミッション終了後だとはいえ、酷く汗を掻いていた。
屈辱だ。見据える、フラッグの機体を。
それはすでに反転し、離脱する気配を見せている。
『また会おう、”刹那”』
名前を知られた。それ自体に意味はない。著名なわけでもない、紛争地帯で生まれて育った子供のデータなどありはしない。
だが、呼ばれたというその事実がどうにも気持ち悪くて。
(ロックオンのクソ馬鹿野郎!)
思わず一人罵った。
認知完了/制御不能:
「ゼンポウニセントウ!セントウ!!」
けたたましく騒ぎ出したハロの警鐘に、瞬時にモニターをそのポイント地点を拡大させる。
映し出された映像は、見知った機影と――――もう一機。
「ありゃエクシアとフラッグか!?」
刹那の奴、大人しく帰れもしないのか。いや、別段それは刹那の所為ではないかもしれないが。
(一人で先に帰したのはまずかったか……?)
ミッションは忘れていなかったようだが、ずいぶんと興奮していたようだからアレルヤやティエリアに何か言われるよりはいいと思ったのだが。
(裏目にでた、か……)
ユニオンがこっちに向かってくるとは予想していなかったとはいえ、俺の判断ミスだ。
「先に行く」
『一機だ。必要ないだろう』
エクシアなら十分だろうという信頼の言葉を、しかし今ばかりはうなずく事はできない。
確かにいつもの刹那であれば大丈夫だろう。俺もそう言ったはずだ。
けれど、と思う。
今は普通じゃない。それがどう作用するかわからない。
何もなければいい。いつものように殲滅するのならばいい。その腕が鈍らないのであれば。
行って杞憂で終わるならそれにこした事はないだろう。
「子供のお守りは俺の仕事なんだろ?」
『ロックオン』
今そんな皮肉を言っている場合かとアレルヤが嗜めるように呼ぶが。
「おまえらはゆっくり来いよ」
おかえしとばかりに言い捨ててフットペダルを踏み込む。
ガンダムマイスターなんて所詮自己中の集まりだ。
近づきすぎて手が出せなかったが、エクシアがユニオンを引き放したその瞬間、スコープを引き出す。
チャンスだ。威嚇に一撃。
当てようと思えば当てられる距離だが、この状況ではエクシアに近づけさせないことこそ正解だ。
これはもうおまえらだけではないのだという意思表示でもある。
勿論レーダーには映っているだろうが、戦闘中に把握しているとは限らない。どんなに優秀な機械であっても所詮は人間が動かすものだ。ハロのようなAIも積んではいないだろう。
「刹那っ」
呼びかける。答えは、ない。
先ほどと同じようにトリップしているのか、余裕がないのか。
どちらかというと後者の印象が近く、焦りが募る。
『また会おう、刹那』
ピクリ。
刹那ではない。もっと大人の、もっと聞き覚えのない。おそらくはフラッグから聞こえた敵の声だ。
刹那、と。あの子供を呼びつけにした。
知りえる理由は、今の自分の呼びかけだろう。
いらっとした感情がわきあがってきてどうしようもない。
(ある意味こいつの弱点だよなー)
通信が使えないから拡張期で呼びかけるしかないのだが、それがただもれだ。
「刹那、無事か?」
『五月蝿い、遅い』
「へ……?」
余計なことをするなと機嫌を損ねる事は覚悟していた。
けれど、遅いっていうのは、来てよかったということだ。来て欲しかったということだ。
(なんだこの可愛い生き物は……?)
一体全体どんな顔でいっているのか。凄く見たい。画像も繋げていいだろうか。むしろ生でみたい。
畜生なんでここは海の上なんだ。
『なんで名前なんか呼ぶんだ』
「なんでって……」
『ロックオンのクソ馬鹿野郎』
おまえなぁと思うが、妙に饒舌なことに気付く。
まさかまさかまさか。そんなことはモビルスーツが単機で地球に降下できるくらい希少価値だとは思う、が。
こいつなりに甘えているんだろうかと思うと、その口の悪さすら可愛く思えた。
※ガンダムがそんな欠陥品なわけがない……!
子供の手はもう濡れていた:
子供は、会ったときもうすでに人を殺す事を知っていた。
人の喪失を知っていた。
「刹那」
反応はない。
聞こえているのかもしれない。聞こえていないのかもしれない。
いつものように単に反応がないだけかもしれないし、今は返せないのかもしれない。
返せないと思った理由は、つまり泣いているのかもしれないと思った。
たとえ涙を流すわけではなくても、無表情を装ったその裏側で、泣いているのかもしれないと、元々そう思って探しに来た。
ソレスタルビーイングにおいて過去はタブーではない。わけありの人間が多いのは確かだが、そうではない人間だっている。
刹那は拾われた過程もあって、一通りの経歴は有名だ。レジスタンスとして育ち、紛争地域で作戦行動中のガンダムに拾われた子供。
「せーつーなーくん」
だから、しつこくも声を投げる。
子供を一人で泣かせるのは趣味じゃないのだ。最も泣かせる趣味もないが。
子供の涙と女の涙ほど恐ろしいものはない。
子供に夢を見すぎているのかもしれない。
同等でありながら、子供である。信頼はできるが、酷く不安定で心配な存在に。
そうさせるだけの力をあの瞳は持っている。あの目はとても綺麗だ。
「そんなとこに一人で居ないでお兄さんと一緒に戻ろーぜ」
「……まだ、次のミッションは出ていないんだな」
「今はまだ、な。けど、どーせまたすぐあるだろーよ。人使いが荒い荒い。大変だねー人手不足は」
まぁソレスタルビーイングの理念が理念である以上仕方がない。好き好んで憎まれたがる奴なんてそうそう居はしないだろう。集まった連中は多かれ少なかれどこか麻痺しているのだ。疲れ過ぎて。
そんなことを考えて苦笑する。
人の事などどうこう言える立場ではない。なんせソレスタルビーイングでも直接的に矛盾を行使するガンダムマイスター様だ。
(一番麻痺してんのは俺たちかもな……)
”たち”などといって一括りにしてみたが、実際反応を確認したわけではないから所詮己のみか。
平気な顔で笑っていられる。事実、平気である。
刹那の感情を理解と想像はできても、共感はできない。できることは精々、想像して理解したつもりでいて、吐き出させてやるくらいだ。
「疲れたろ?そんなわけで取れるときはさくっと休憩しとくぞ」
答えがあったということは覗き込んでいいということだと勝手に解釈して手を伸ばす。
瞳が見えるように、俯いた顔を後ろに引く。振り払われはしなかったが、露骨に嫌な顔をされたのが少し傷つく。いや、承知でやっているんだが。
「お兄さんが添い寝してやっからさ」
「必要ない」
「遠慮しなくていいぞ」
「していない」
当たり前というか、頑なというか、そんな刹那の返答にうんうんととりあえず頷いてやって。
「恐いときは恐いって言ってもいいんだぞ」
「誰がっ……」
「手、震えてるぞ」
「その手には乗るか」
自分の手を見もせずに即答。
さすがガンダムマイスター。自分の体の事くらい承知しているか。
「うーん。引っかからないか。ならお兄さんが一人で眠れないので一眠り付き合わないか?」
「一人で寝てろ」
「今夜は多分、あんまりいい夢は見れないな」
俺が黙っただけで一拍の空白。唐突に刹那が無言で立ち上がる。
なんだろうなと見送る形で見ていたら、スタスタと戻って途中でくるり。
「なにをしてる?」
戻るんだろうと言外に言われ、俺の眠る案を受け入れてくれたことを知る。
(あーもー可愛い奴!)
「ちょっと待てって!」
肩に手を回そうとしてすかった手がまた悲しいながら、とりあえず並んで歩く事には成功したのでよしとしよう。
子供の手はもうすでに血で濡れていた。
だからといって正常な感情を失くしたわけじゃない。痛いと素直に言えない子供の手が、それ以上濡れないといい。
そんなことは矛盾と知っていたけれど。