時計の針が止まるとき:
戦闘開始から十五時間。
それは人の活動時間においてもオーバーロードに近い。
二十四時間の内、睡眠時間を六時間とすれば活動時間は十八時間。
しかし、そのうち全てを緊張状態に置かれることは想定されていない。モビルスーツを操縦するということは、座っている見かけに対して長距離マラソンをするのと同程度に体力が削られる。
ガンダムが太陽炉のお陰でエネルギー切れが無いとはいえ、パイロットはそうはいかない。
息が乱れる。
回線を今は繋いでいないが、自分のこの息の荒さからしてもう一機のマイスターの疲労度が想像できる。
自分よりもさらに小柄な体躯。
しかもヴァーチェの砲撃と違い、近接戦闘を主とする。モビルスーツの運動量は、自然パイロットの運動量だ。さらにスピードを重視するその機体性能からヴァーチェほどの装甲の厚みはない。つまり、砲撃が当たった際に掛かる負荷が多いということだ。
……分かっていた。
任務とはいえヴァーチェがエクシアの足枷になっていることは。
ヴァーチェを気にしなければもう少し体力の減りは違っただろう。ヴァーチェがGN粒子をチャージしているときは庇うように側に居る。
「もういい。GNフィールドの内側に入れ」
『チャージ状況は?』
了承ではなく確認が来たことに舌打ちをしたくなる。
「……40パーセントだ」
押し殺したように答える。
嘘は言えなかった。嘘は、ミッションひいては生死に関ることになる。
『ならばまだ俺が休むわけにはいかない』
「しかしおまえの活動時間は限界だろう」
『問題ない』
問題が無いはずはなかった。人間であるのならば限界はある。
それでも飛び立ちソードを振るうことを止めないエクシアに、苛立った思いでチャージ状況を示すモニターを睨み付けた。
***
限界はない。
戦えなくなったときが限界だ。
死――――それが訪れるまで、抗うことを止めてはいけない。
『刹那!』
苛立った声を聞きながらまた一つ敵を屠る。
斬っても斬ってもなくならない。その物量に苛立ちはするが、絶望は無かった。
なぜなら今はガンダムがある。
あの時とは違う。銃器一つ抱えて、ナイフ一本で、無謀にも巨大な敵に挑むわけではない。
同じものを持って、それ以上のものを持って、立ち向かうことができる。
一対一であったのならば決して負けない。
それに、と思う。
一人で駆け回ったあの日。
けれどガンダムは一機ではない。目に見える場所で、仲間が側に居る。
ああ、そう言えばティエリアがそれを名前として呼んだことは初めてだったなと思った。
紅に吠えろ:
目的の人間の顔は知っている。知っているというほど覚えてはなかったが、間違えようも無いことに、そんな特徴の人間は此処には居ないことを知っている。
東洋人、小柄、なによりもうすぐ此処を通る。その為にわざわざこんなところに居るのだ。
「へぇ。どんなイカレタやつかと思ったら本気でまだ餓鬼じゃん」
相手から自分が見えない角を曲がってきた瞬間、出会いがしらに手を伸ばして壁に押し付ける。とっさの反応はまあまあだったが任務と同様甘いらしい。楽勝だ。
「誰だ」
「ミハエル・トリニティ。ガンダムスローネツヴァイのパイロットだよ」
少し顔を顰めただけで無言。面白くない反応。もう少し驚いた顔をすれば面白のに。
上から下まで見回せば、本当に子供でこいつがあんなイカレタ行動をとるとは中々思えない。怯えて震えるタイプには見えないが、その方がまだお似合いだ。
「俺よりイカレタやつなんて興味あるだろ」
「いい加減に、手を放せっ」
振り払う、嫌悪にも似た感情が見える。事実、嫌悪なのかもしれない。
ああ、なるほど。
これがイカレタ行動の原点か。所詮子供の癇癪なのか。だとしたらあの時は何がこいつが癇癪を起こさせたのか。イナクトに攻撃を避けられたからだったら笑えるが、そこまで馬鹿でもないだろう。というかそんな馬鹿じゃ流石に興ざめだ。嫌いじゃない馬鹿、嫌いな馬鹿と、馬鹿は馬鹿でも二種類居る。
「でも甘いよな」
振り払われた手の代わりにトンと肩に腕を乗せる。
なかなかいい具合。ネーナと同じくらいの高さか。言ったら怒られる気がするが、ネーナよりも体が薄い。
(んーま、あいつけっこうスタイルイイしな)
そもそも男と比べたら怒り狂うに違いない。
「アザディスタンの一件、あんなんやるためにガンダム乗ってんの?」
身を屈めて顔を近づければ肩に力が入って硬くなるのが分かった。最初の想像のように怯えているのかと思ったが、睨み付けて来る瞳を見た瞬間そうでないことを知る。これは怒っている。
これはいい。あの行動は確かに意味のあるものだと、正しいものだと、思っているわけか。
じゃないといくら命令があってもあんな馬鹿なまねはしないだろう。
馬鹿じゃないかと耳元に囁こうとした瞬間。
「何をしている」
後ろから見ればキスしているようにも見られる体勢。
小柄なイカレタ餓鬼なんて見えるはずも無いのだが、ヒヤリと掛けられた声に一瞬背筋が凍る。何か刃物を突きつけられでもしているかのような感覚が襲ったが、そんな事実はない。
何より気配がなかった。いくらこの餓鬼で遊ぶことに熱中していたといえ、この俺が気づかなかったなんて。両手を上に上げ、降参のポーズを取りながらゆっくりと振り返る。
「別にあんたらの大切なガンダムマイスターに何もしちゃいねーよ」
じろりと一瞥される、それがまさに刃物の正体か。
眼鏡の奥あるそれほどの眼力。
「おっかねぇなぁ」
さすがにここは撤退しておくべきか。それなりに楽しめたことだし、時間的にもそろそろ戻ったほうがいいだろう。にしてもあの餓鬼はどうやらずいぶんと可愛がられているらしい。
これは、面白くなってきた。
*
「あー!ミハ兄どこ行ってたの?」
「ちょっとな」
ヒラヒラと手を振って答えてみせながらにんまりと笑ってみせる。
「なになに何か面白いことでもあった?」
「まーな。で、おまえはこっちに何しに来たわけ?わざわざ俺を探しに来たってことは……」
「無いよ。探し物v」
いつものブイサインをしてみせるネーナにちぇっと返しながら何をと問う。しかえしに教えてくれないかとも思ったが、よほど楽しみなのかネーナは流れるように口にした。
「私が助けたエクシアのパイロット君。ちょっと見たいなーと思って」
エクシアのパイロット、つまりはあの餓鬼。
あのイカレ具合と、子供加減と、甘さが最高に面白いあの餓鬼。
「いくらネーナでもこればっかわな」
楽しそうに口にするネーナには悪いが、気に入ったのはこっちが先だ。後でごちゃごちゃ揉める前に釘を刺す。
「あれは俺のだ。手ぇ出すなよ」
「ミハ兄がそんな気に入るなんてめっずらしー」
「そ、珍しいだろ?だから大人しく……」
「でも、私もあの子気になるんだもん」
だからダメ、とニッコリ笑った妹の頭をくしゃくしゃと撫でまわす。可愛い奴だぜホント。
抗議を喚く言葉を聞きながら、だけどなと思う。手を引いてやってもいいかとは思わない。
ネーナの言う通り、それは酷く珍しい感情なのだ。
※でもね、ミハ兄。伸ばしたあの手が何を掴むのか私は知りたい。
その代わりに何を殺す:
体中の血液が頭に上っていく気がした。
刹那が仇の一人。
トリニティの言葉を信じるわけではない。同じ通信を聞いているのに刹那が何も言わないということは別段証拠にもならない。
聞けば違うと一言返す可能性はある。その方が刹那らしい。
だが考えてみれば、その情報を肯定する要素は多い。
中東の出身であること、アザディスタンを故郷と言ったこと。クルジスはいまやアザディスタンに併合されている。
もし、それが本当だとして俺はどうする。
復讐を掲げて刹那を撃つのか。
俺が、あいつを守ってきたこの俺が。
守りたいと思った。思っていた。
家族を失った俺が初めて、手に入れたその相手を俺が殺すのか。
ただ所属していたというその理由だけで?
同じだという感情はある、でも冷静に考えろ。刹那はまだ16歳だ。当時何歳だった。あの時点で既にKPSAに所属していたのか?所属していたとして、活動していたのか?
今はそんなのは関係ないと、同罪だと思っていることを棚に上げてでもその可能性に縋りたかった。俺の家族を奪ったのは刹那じゃない。刹那は関係ない。
なんて都合のいい復讐心だ。
刹那が一言否定すれば俺はそれを信じるだろう。けれど同時にそれがありえないことだとも知っている。言い訳をしない奴だ。必要なことですら。
所属していたことが真実なら、刹那はそれだけを肯定するだろう。
自爆テロだ。実行していた奴らは残っちゃいない。復讐をするとしたら組織ということになる。それは初めからわかっていた。
全て殺すのか。
刹那を含めた利用されていた側まで全部全部全部。
そいつらを利用して富や権力を求める浅ましい奴らだけでなく、殺し続けて、そして俺の復讐は終わるのか。
終わらないだろう、きっと。
だから世界を変える。歪みを失くすために。
その為にガンダムマイスターになった。そしてやっと俺の復讐は終わるはずなのだ。
「くそっ……」
だというのに。
必死に否定の理由を探す。探せば探すほど、刹那がKPSAに所属していた可能性が高くなる。だがあくまで可能性だ。秘匿義務のあるマイスターの限られた情報の中で正しい答えなどではしない。
共に帰投するエクシアに否定してくれと願う。俺が問うよりも早く、違うと一言言ってくれ。
そうでなければ殺してしまう。
復讐をよりどころにする俺のアイデンティティはそうでなければ成り立たない。
けれど、ああ。だとしたら刹那を殺すことで、あの子供を愛しいと思っている俺の復讐心は何処へと向かうのだろうか。
半分だけの世界で一体何ができるというの:
コードネーム「ロックオン・ストラトス」。
この名称はおそらくその技術的要因によって付けられたものだ。
「はっこれで名前返上かね」
包帯で覆われた右目を手で触れながらそう嘯く。
ギリギリと焦る心情に従って、自然強く握るようにその白い包帯に爪が食い込む。
痛みは感じない。
分厚く撒かれた包帯がその爪さえも阻む。
その包帯が取れても見えるか分からない視界は、今は完全に闇の中だ。
戦線離脱か。
例えそうなったとしても後悔はない。防御の体制も取れないヴァーチェに直撃するよりはましだっただろう。実際俺は死んだわけじゃない。
ただ綺麗に修復されたデュナメスを見て、こいつに他の誰かが乗るのかと思うと、少し沈む。
「そりゃ刹那みたいにガンダム馬鹿じゃないけどな、俺は」
こだわりがあるわけではない。けれど銃に愛着があるように、こいつにも愛着がある。
共に世界を変えていくのだと、定めた武器だったのに。
突撃していくあいつの背中を、守るための武器だったのに。
「これで子守も返上か?」
アレルヤ辺りにちゃんと頼んでおかないとなと思う。
後継が誰になるか分からないが、やはり今までの仲間の方があの無愛想な餓鬼は安心できる。
無愛想で、でも少しだけ笑った。
ガンダム馬鹿、その言葉にはにかんだあの笑顔を覚えている。可愛かったなと思う。
いつもそうやって笑っていればいい。
そんなことを考えていた所為か。ドッグに入ってくる小柄な姿を見つける。
「刹那?」
いつもならもっと明確に捉えられる姿にイラつきを覚える。
急に遮られた視覚で、足元もおぼつかない。
それを見越したのか俺の方へと向かってくる姿に手を差し出す。
「あんたはロックオン・ストラトスだ」
「なんだ突然?」
ついに俺にガンダムマイスターを下ろされる命令が下ったのだろうか。
だとしたらなんだ俺にどうしろっていうんだ。
「デュナメスはあんたの機体だ」
普段なら掴まないはずの差し出した手を超え、刹那は人の腕を掴む。痛いとは思わない。
ああ、これでは痛覚自体が麻痺しているのかもしれない。
刹那の腕が小刻みに揺れるほど力が入っているというのに。
「あんたが生きている限り、あんたが乗るんだ」
まるでそれは戦いを強要するような言葉だ(なんだ刹那、おまえそんなに俺に戦わせたいのか)。
けれどもまるで縋るかのようなその手がそれを否定する。
強い力は、ただ失くさない様に必死にしがみついてくる子供のものだ。
ただ、ただ。
居なくなるなと切望する。孤独を恐れる子供の。
(そりゃないよなぁ……)
仲間を失うことを知っている刹那の、仲間を失うことへの恐怖が、痛い。抱きしめて、大丈夫だよ俺は平気だよと笑ってやりたい。
自分の痛みはまるで他人事のようなものだったのに、どうしてこの自分勝手な痛みを俺が感じなくてはならないのだろう。だってそうだろう。おまえのそれは俺を心配しているわけじゃない。自分が恐いだけだそうだろう。
だというのに、それで俺の感情はやっと動く。
麻痺した痛みが、麻痺した感情が。そうでなければ喚きだしそうな自分を抑えるための枷をすり抜けて動かす。
ああ、分かったよ。
おまえがそう言うのなら、俺はガンダムに乗り続けるしかないだろう。
――――例え、見える世界が半分しかないとしても。
赤い空に涙の破片が降り落ちて:
それはまるで、いつかの逆。
死ぬのは嫌だった。でも死ぬのだと思った。
にいにいずが居ないのならば、助けてくれる人なんて居ない。
足掻いて、足掻いて、足掻いて、それでもダメなら。
諦めは絶望。だからしちゃいけないってにいにいは教えてくれた。
でもね悔しい、恐い、怖い、死にたくない。なんでなんでなんでこんなことになったの。
(ヨハン兄っミハ兄っ……)
分かってる、分かってる、分かってる。もう居ない。助けてくれない。どんなに願ったってできないの。
見ていた。見ているしかできなかった。ミハ兄が崩れ落ちる瞬間も、ヨハン兄の機体が爆破する瞬間も。
(こいつがっ……!)
こいつが、全部やった。ミハ兄を殺して、ミハ兄の機体でヨハン兄を殺した。
許せない。あたしまで殺されるなんて嫌っ。
(そんなのは絶対嫌っ!!!)
絶対に放さなかった操縦桿を握る手に力を込めなおした瞬間、唐突に突きつけられた切っ先が消えた。
そして現れたモノに息を呑んだ。
どうして、と思う。
だって刹那はあたしたちを攻撃したんだよ?
排除しようとしたくせに、今更何なの。
わかんないよ、なんでなんでなんで?
それでも助けてくれたことには違いが無くて。
にいにいず以外の誰かの救いの手に――――
泣きそうに、なった。
***
「ネーナ・トリニティ」
コックピットを開いた刹那が上から呼んでる。
あたしの名前を呼んでる。
ネーナって優しい声じゃない。気遣う声じゃない。
きっといつもそうなんでしょう?淡々とした声。
「無事か?」
「無事じゃない」
まるで義務のように無感動な問に即答する。
無事じゃないよ。
だってあたしのガンダムはボロボロで、ミハ兄は動かなくて、ヨハン兄は居ない。これの何処が無事だっていうの。
「……生きているな」
「生きてない」
「ならば其処に居るのは誰だ?」
「……」
なんでもかんでも否定したい気分で、誰かっていう問に押し黙る。
ネーナってにいにいずが呼んでくれるのが好きだった。その当たり前が好きだったんだって今になって思う。違う、分かってた。
『ネーナ・トリニティ』
ヨハン兄とミハ兄の妹。
それがあたしのアイデンティティ。なのに崩れちゃったよ。だからわかんない。
答えられない。それは嘘じゃなくて。
「ネーナ」
呼ばれる。その呼び方に思わず下がっていた顔を上げる。モニターに映った刹那の姿はさっきのまま。そう、声のトーンは変わらないけれど呼び方だけが違う。
「ネーナ。おまえがその名前を放棄するのならガンダムから降りろ」
「なにっ・・・…それっ……!」
なにそれなにそれなにそれっ本当わかんない。
優しくない。
優しくない男は嫌い。ミハ兄が居たら絶対怒ってくれるのに。
「嫌なら立ち上がれ。ガンダムに乗ったまま自分を殺すな」
「死なないわよっ縁起でもない事言わないでよね!」
どいつもこいつもなんて野蛮なんだろう。
ミハ兄の機体奪ってったやつも(あー思い出したら腹立つっ)、そんなこと言い出す刹那も。
男なんてやっぱりにいにいず以上居ないよ。
「それだけ声が出るなら確かに平気そうだな」
画面越しだから確かには分からない。でも画面越しだからこそよく見える距離で、刹那が安堵したように笑ったように見えて。
私はまた息を呑んだ。
※だって君がそんな風に優しく笑うなんて思わなかったの。