花の散る前日:
すきなの、すきなの、あなたが――――
「アニュー・リターナー」
「刹那、どうしたの?」
ふわりと振り返った女は可愛いとか美人とかそんな形容の女だ。それくらい刹那にだって分かる。
それが直結して恋愛に結びつくわけではないが、ライル・ディランディはその感情を彼女に向けたらしい。別段構わないが(ソレスタルビーイングに組織内恋愛禁止の決まりはなかったはずだ。というかあったらイアンはアウトだ)出撃前に愛してる、なんて口走る男はやはりあの男の弟だ。
というより国柄なのかもしれない。
「人類とイノベイターの違いはなんだろうか?」
「あらどうして?」
一瞬だけ、その顔は不自然に固まった。けれどすぐ可笑しな人という顔を作る。可笑しいわ、そんなことを言うなんて。
だって敵なのに。私たちの戦う敵。違うから敵となった。
「人とイノベイターは同じ形をしている」
「外見が同じでも中身が同じとは限らない」
「それは構成する物質がということか?それとも精神構造的なものがということか?」
「少なくとも作られ方は違うわね」
その情報はソレスタルビーイングの中で問題なく通じる話題のはずだ。
知らない情報を知っていては可笑しい。
彼らが知らない情報も、彼女のアクセスすることができる膨大なデータの中にはあったけれど、アニューは知らないふりをしなくてはならない。
「それがなんの違いになる?生まれが違うから分かり合えないというのは変だ」
「刹那、あなた可笑しいわ」
「そうだ」
可笑しい。刹那は認めた。
自覚があった。何かが違う。何かが変わっていく。
「最近、なんだか分かることがある」
唐突に刹那は言った。何を言い出すのかとアニューは緊張を高めた。
「だからあんたも辛いのかと思っただけだ」
そして出てきた言葉にどきりとした。
(……知っているの?)
まさか、そんなことあるはずがない。
上手くやっているし、何よりもしも知っているならそのままにしておくはずがないだろう。
彼らは今、私たちは今、イノベイターを捉えようとしているのだ。
それにそれにそれに。
(知っているならどうして私が辛いなんて言うの)
まるで私を心配するような。
そう、彼は事実私を心配している。そう真摯な瞳が言っている。
「刹那は優しいのね」
「それは違う」
「ううん。優しいわ――――ライルの次にね」
出てきた名前に刹那は顔を顰める。
「それは微妙な位置だな」
「あら、あなたにはライルは優しくないの?」
「……いいや」
優しい男だ、と刹那は呟く。
優しくて、甘い男だ。
「だからきっと大丈夫だ」
「え……?」
「あの男なら大丈夫だ」
それだけ言って刹那はクルリと踵を返す。
本当に、彼は来るべき日のことを知っているようだ。
来るべき日。
私が役目を果たし、本来の居場所へ帰るとき。
その時が着たら。
ぶるりを身を震わす。
本当は、本当に、愛しているの。
けれど私がイノベイターで彼が人間である以上は必ず別れは訪れる。
来なければいい、と思う。
でも絶対に来てしまうことを知っているから。
「刹那!」
思わず遠くなる背中に叫んだ。
「もし、私とライルが……ううん、私が私でなくなったら……」
「ライル・ディランディは俺が守ろう……あの男はあんたにべたぼれだからな」
刹那の台詞にアニューは目を丸くする。
この真面目な人が、まさかそんな言葉を使うなんて。
そんな、言葉……思わずリピートして赤面する。
だが、その前半の言葉は。
愛しているの、でも来るべき時には敵だと分かりきっている。
私はイノベイター。覚悟も自覚もあった。けれど彼にはきっとそんなものはなくて。あったとしても優しい彼の事だ。
きっと凄く迷うから。
「あっありがとう」
刹那はクルリと後ろを向いた。
彼女は花の様に笑った。
……タイトルは別に前の日って意味ではなく。
▲
背中合わせの恋:
宇宙の暗い空が見える。
展望室は重力設定のため座ってもふわふわと浮き上がりはしない。ひざを抱えて座り込んだ人間も床に張り付いたように動かない。
扉を開いて後から入ってきたフェルトも背中を合わせて同じように座る。
先に座っていた人は何も言わなかった。身じろぎもしない。
彼女がそこにいることが自然なように。空気のように。
そうやって一緒にいても何かを話すわけでもない。
ただ背中越しに座っているだけ。
伝わるのはほんの少しの体温だけだ。
それでも、それはフェルトにとって十分に心慰められるものだ。
昔からそう。
話すことが苦手だった自分にとって、喋らなくてもいい刹那は一緒にいることが苦ではない人間だった。クリスティナやロックオンとは違う意味で。
彼女たちの話を聞くことは苦ではなかったし、答えられるような話し方をしてくれる。
今は話すことは苦ではない。
それはクリスティナやロックオンが教えてくれたことだ。
それでも、このひと時の心地よさは変わらない。
「フェルト」
彼が呼んだ。
刹那、と私も彼の名前を呼んだ。
それでもお互い振り返ることはせずに、背中から感じる熱だけで互いを認識する。
「人が、また沢山死んだ」
「うん」
「仲間が……アニュー・リターナーは仲間だった」
「うん、悲しいね」
「俺が殺した」
「うん、頑張ったね」
そう刹那は頑張った。
ライルはできなかった。だから恨まれることが分かっていたのに、自分だって悲しくないはずがないのに、刹那は撃った。
人を殺して頑張ったというのは何か違う気はするが、その言葉以外思いつかない。
「リターナーさんは、美人で優しくて技術も持ってた」
ブリッジクルーで、メカに興味があって、女同士で、特別仲がいいというほどではなくても会話をする機会は沢山あった。クリスのように彼女は踏み込んでは来なかったけれど、この船の仲間はフェルトにとって家族だ。
まだなりかけだったとしても、そんな彼女が自分の意に反して愛している人を殺さなくて良かったと思う。
「すまない……」
その言葉は責めているように聞こえただろうか。
零れた謝罪の言葉にあわてて首を振る。見えていないと分かっていたけれど、刹那なら気配で分かるだろう。
「そうじゃないの、ただ、あの……」
何を言っても刹那には責めているようにしか聞こえないんじゃないかと思って口を閉ざす。
ああ、やっぱり言葉は苦手だ。
伝えたいことがあるのに、上手く表せない。
「分かってる。すまない……俺はロックオンのように気の利いたことは言えない」
「知ってる。わたしだって話すことは得意じゃないもの」
ちゃんと伝わっていた。ほっとして言えば、きょとんと目を刹那がまるくする。
小首を傾げて疑問を放つように。
「今は違うだろう?」
「ううん。違わないよ。変わらないよ」
そっと触れ合った背中に体重を乗せる。
今も私は沢山の言葉を話すよりも、この背中合わせの距離が好き。
満身創痍の傷を負い:
「生きてっかぁ?」
気の抜けた声だ、と思った。
わざとそうした声を作ってみせるのはあの男に他ならない。
ロックオン・ストラトス。
あるいはライル・ディランディ。
どちらの名前で呼ぶべきか時々悩む。
そう思って刹那は眩しさに細めながら目を開いた。
「……ロックオン」
「ちゃんと生きてんな」
どこか安堵したような声で男は言った。
徐々に視界を取り戻しつつある中で、まず腕を動かす。次に足。そうして全身を動かしてみて自分の状況を確認する。
コックピットも傷で宇宙にさらされていたし、爆発に巻き込まれたはずだがそう酷くはない。
全身に痛みはあるが、動かない部位も無くなった部位もない。
「ああ。しかも五体満足らしい」
「そりゃ嫌味か?」
見上げてあ、と思う。
男の顔にはもう固まりかけているが、赤黒い汚れがある。
かつてのぞっとするような感覚が一瞬脳裏をよぎる。
右目の傷。
スナイパーの武器である目が傷ついている。
だがあのときとは違い、今は差し迫った戦闘はないはずだった。
今、こうして自分がここに居るということは俺たちが勝ったということだ。
自分たちで選べる未来を手に入れた。
「酷いのか」
「いや、見えなくなるほどじゃねぇよ。ただ、こんなんだからな。俺もさっき拾ってもらったわけだ」
「そうか」
「アレルヤは先に治療済まして彼女のところに行ってる」
知りたいことを先回りで教えてくれたロックオンに感謝の言葉を告げると、彼は肩の荷が下りたかのようによいしょと少しばかりじじくさくのびをした。その拍子にいてててて、と顔を顰める。
「大丈夫か?」
「おまえと同じくらいにはな」
つまりかなり痛いが、死ぬほどではないということだろう。
動かなければいいというわけでもないが、生きているだけましだ。
「よく生きてるよなぁ俺たち」
「元々死ぬつもりはなかった」
「そりゃそうだ」
死ぬつもりで戦っていたら、明日などつかめない。
覚悟と意気込みは別物だ。
「でもエクシアは想定外だったな」
「R2か?」
「ああ、俺のガンダムだ」
その魂とも言えるGNドライブはずっと一緒に戦っていたが、そのフォルムはやはり懐かしい。愛着も、所有欲もある。
ずっと一緒だった。神聖視すらしていた。
ダブルオーも俺のガンダムだが、やはり始めたもので終わらせるというのは何か因縁めいている。
相手もまたその因縁があったのだ。
その相手を思い出して、もう一人の仲間のことを思い出す。
「ティエリアは?」
「回収はしたが……どういうことなんだ?」
そんなことを聞かれても刹那だとて分からない。
見たのは美貌を血に塗れさせた姿だが、声は居たって元気に勝手に殺すなと言っていた。
刹那に分かることは彼の意識は生きているということだけだ。
「まぁ本人から説明があるだろ、さすがに」
「……そうだな」
少なくともティエリアなら聞けば説明してくれるはずだ。
ヴェーダと完全にリンクしてすべてが分かったとも言っていたのだから。
きっとすべて分かる。
これまでのことも、これからのことも。
ああ、そう思うと居ても立っても居られない。
「みんなのところに行きたい」
「……俺ら動けないだろ?」
「痛いが動けないわけじゃない」
痛みに顔を顰めながらも起き上がる無重力がこんなときは役に立つ。
ふわふわと漂うだけなら足が折れていても多少は動ける。
「ったく……医療ポッドに直行した方がいいと思うんだけどな」
ひょいと手が伸ばされた。
起こす体制だとするには少しばかりおかしい角度だったし、なによりも同じくらいか俺よりも重症な男に引っ張り上げてもらう要素はない。
「……なんだ?」
「五体満足な刹那君。なら俺を引っ張ってってくれよ」
「は?」
「歩くにゃ見づらいんだよ」
顔を顰めた男の目をもう一度見て納得する。
赤く濁った瞳を一瞬開けて見せてきたが、ずっと開けているのはつらいだろう。
「……なるほど」
片目での歩行は難しいと判断してその手を取る。
”みんな”の区分にはこの男も入っているのだ。来てくれるというのなら手を引くくらいなんてことはない。
力を入れることで少しの痛みを堪えながら床に足をつける。
ふらつく体を支え合いながら仲間が待つ場所を目指した。
赤い薔薇は狂気に咲く:
白い壁。浮かぶ真っ赤な花びら。
黒と褐色。透明な水。
点々とした赤だけがその肌を隠す。
倒錯的な絵。絵のような光景。
「刹那っ!」
駆け寄ろうとして、けれどこの手が届く前に伸びた手が刹那に触れる。
金と青がその絵に加わった。
眩しい金髪と、青いユニオンの軍服。
「綺麗だろう?」
それ以上進めず、唇を噛む。
自分のもののように刹那に触れる男。
確かにそのコントラストは美しい。
だがそれは狂気の美しさだ。
これを愛でる趣味は無い。
「ずいぶんと悪趣味な趣向だな」
「そうかい?」
首を傾げる。
心底、理解されないことが不思議なように。
「彼にはこの赤が相応しいと思ったのだが」
残念だ、と言いながら刹那の髪を一房つかんで口付ける。
なすがままの刹那はまるで死体のようだ。
ぶるりと身を震わせる。縁起でもない。
「ただの変態だろ」
吐き捨てると、やれやれと首を振る。
「君とはやはり相容れないようだな―――私の恋を奪
「当然だろ。あんたは俺の家族を奪った」
家族を失った俺にとって、トレミーの住人が家族のようなものだった。
フェルトのように口にしたりはしないが、そう思っていた。
なのにこいつは……エクシアを落とし、刹那を連れ去った。
「家族!」
男はくっと笑う。
「その感情が家族に向けるものだというのなら、黙ってみているものだ」
「んだとっ!?」
「恋による愛は奪うものだからな」
なんて独善的な愛だ。
そんな狂気に刹那を巻き込むなど冗談ではない。
刹那の本位でない感情で縛られるなど。
「黙ってなんかいてやるかよ」
「ならば私の恋敵ということか」
「テメーと一緒にすんな」
こんなイカレた奴と一緒にされるなどごめんだ。
俺は刹那に幸せになって欲しい。
幸せを知って欲しい。
幸せにしたい。
これはそういう愛なのだ。