成長する背中:
刹那の背を見送る私は一体どんな風に見えたのだろう。
「刹那が気になる?」
スメラギさんの問いに素直に頷く。
思えば年の近い子供との接触は刹那が最初で最後だった。
ミレイナとも年は近いけれど、でも子供として扱われた期間が同じなのは刹那だけだ。
刹那と私は一緒に成長した。
だから気になるのは当然だった。
確かに刹那はある意味で特別だったから。
「怖いんです。刹那が昔に戻ってしまうみたいで」
昔の刹那も嫌いじゃなかった。私だって喋るのは苦手で、同じように人との接触を得意としない刹那は少なくとも苦手な人物ではなかった。
積極的な関わりがなかったからかもしれない。
でも、今では寂しいと思う。
人に触れ合うことを、言葉を交わすことを、教えてもらったから。
優しいことは変わらない。厳しいことも変わらない。
でも……寂しい。
「ロックオンはもう居ないのに」
私がクリスに教わったように、刹那はきっとロックオンから色んなことを教わったのだ。
戻ってしまったらもう無理やりにでも教えてくれる人はいない。
「戸惑っているのよ。変革した自分に」
種として変わってしまった刹那。変わらない私。
一緒に成長してきたはずなのに彼だけが変わった。でもそれは嫌なことではないはずだ。
少なくとも私にとって刹那の存在は変わらない。
彼にとって私の存在は変わってしまっただろうか。話もしづらいくらいに。
それでも。
「彼を想ってあげて」
「……はい」
頷く。私にとっては変わらないから。戻って欲しくはないから。
だから気付いて欲しい。
私を振り返って。ほんの少し立ち止まって。
ロックオンを思い出すためだけでいいから。
無いもの強請りの理屈:
遠くの爆発、それから離れていくオレンジ色の機体とそれに釣られて逸れて行くELSの群れ、さらにまだまだ追ってくる大量の金属に思わず悪態を吐く。
どうしたらいいか、それは今も頭の中を駆け巡ってはいるがまったくもって勝算の高い方法が見つからないのも一因か。
「くそっなんで俺は脳量子波が使えないんだよっ」
イノベイターも超兵もうらやましいなんて思っていなかった。そこに純然たる能力の差はなかった。少なくともそのせいで無力間を感じるなんてことは無かったはずだ。
自分が兄さんでないことに感じることはあっても。
だが今はこんなにも悔しい。
あいつらにできることが俺にはできない。
この手の中のコックピットを、その中に居る刹那を守るために俺はおとりになることすらできない。
誰かがこいつをトレミーまで送り届けなければならないことを考えれば役割分担として決して間違ってはいないのだろう。
それなのにこの引け目のようなものは自分にだけそもそもその力が無い所為だ。
ティエリアのためらいのなさが、アレルヤの当然とでも言うべく無言の行動が、後は頼むとばかりに肩に重くのしかかる。
俺には脳量子波は使えない。もし刹那をトレミーとの合流ポイントに向けて投げたとしても、奴らが群がるのは刹那の方だ。
故にこのままでは追いつかれると分かっていても行動ができない。
「どうすりゃいいんだよっ」
この手の中の奴を守るために。無茶な特攻でこいつを守った奴らの意思を続けるために。
脳量子波がないこと、それはマイスターのなかで自分だけの分野だ。
ただしガンダムマイスターの枠を外せば俺の方が世間的に多数に入る。
だからこそできることがあるはずだ。
何か、方法が。
思考しろ。物理的に不足分があるなら頭で補うしかない。今あるものでどうにかするすべを考えろ。
「後は任せたってわけにゃいかねぇしなっ」
もう自分以外にこいつを守れる奴は居ない。
それに――
答えを、ヒントをくれる刹那の声も今は聞こえない。
どれだけこいつに頼ってきたのか。
自分にも、おそらく艦の誰にも自覚は多少なりともあったが、この状況で痛切するとは。
(鈍いのはあいつじゃなくて俺の方ってか?)
笑えない冗談だ。
だが、今気付けてよかったと刹那に一言いえるくらいに俺は今をどうにかしなければならない。
無いもの強請りの理屈2:
そこを通るのは最早日課になっていると言っていい。
そうしてそこにピンク色の少女が居て、一言、二言、交わす。
だが今日はピンクの色はなくて、その代わりに見慣れない軍服の男の姿があった。フェルトの不在とあわせてその存在を不信に思う。
ここが格納庫やメカの並ぶ部屋なら分かる。ソレスタルビーイングの技術は連邦や一般の技術と比べかなり特殊であるから、イノベイドたちが母艦にしていた月の船を徴収していたとしても興味がそそられるかもしれない。
しかしここは刹那がただ眠っているだけだ。医療ポッドに用があったというなら別だが、倒れた人間をただ見ているだけなど、退屈で辛気臭い。
「あんた、何をしてる?」
男は悠然と振り返った。
顔に大きな傷があるが、全体的に整っていて軍人という職種にしては優男に見える。
その顔は知っている。俺たちを助ける形になった、地球連邦のソルブレイブス隊の隊長だ。彼が刹那に興味を持つのは分からないでもない。自分が助けた人間に関心を持つのは至極当たり前なことだ。生きているか、怪我はないか、折角助けたのだから無事であればいいと思うだろう。
ただ、連邦軍人たちは刹那の顔は見ていないはずだ。ここにいる事も、刹那がそうだということも、誰かが刹那のことを教えたのだとしか思えないが。
「そこには入れないぞ」
「そのようだな」
刹那の眠りを守るのはただガラス一枚だ。特殊ガラスはマシンガンくらいでは壊れない強度があるが。
そのロックを開けられるIDはそう簡単に発行されるものではない。
我々以外は入ってこないことは前提だが、二年前のこともある。セキュリティは入念にしておくに越したことはない。
「こうしていれば伝わるかと思ったのでな」
「何が?」
「私の思い――思考がだよ。もっとも私に少年のような力はないが」
少年、という呼び方には激しく違和感があるがそれが誰を示しているかは一目瞭然だ。
男の視線からも、思考が届くというその能力からも。
そうしてその言葉から推し量れるもう一つの事実。
「あんたも脳量子波は持っていないのか」
「ああ。あったらもう少し早く助けられたろうに」
男が口にしたのは同じ後悔。
滲むのは同じ悔しさ。
俺にも脳量子波があれば、と思ったのはあれが初めてだったけれど本当だ。
イノベイターは確かに凄いと思うが、成りたいと痛烈に思うことはなかった。
脳量子波だって同じだ。アレルヤを見て、マリーを見て、不便だと思ったことこそあれ便利だと思ったことはない。だというのに。
「まぁ君のように彼の側で守る人間が居たからこそ彼は今そうしているのだろうが」
突っ込んでいった自分のことはまた別物として分離する。
確かに、男の言うとおりではあるのだが。
(死より重いもんはないからなぁ……)
より重いものを捧げたいわけではないけれど、仲間が次々と決断していくのに自分だけが取り残されるのが罪悪感だ。
それだけじゃなくて、きっと、他に一番いいやり方が思いつかなかったのが悔しいだけだ。
「おとりばかり買って出て、彼が目覚めたときに誰も居ないのでは意味がない」
彼が泣いてしまうよ、と男は苦笑した。
その発言にはだから酷く違和感があって、刹那が泣くようなタマかと言いたくなるような口調ではあったが。
だが、その空虚さを思う。
誰も居ないことの寂しさを。
世界でたった一人生き残ってしまったらそれはそれで拷問だ。
コールドメッセージ:
ジャリジャリと耳障りな音を立ててジープが走る。しっかりとタイヤに巻かれたチェーンが氷を削り、滑らないようになってはいるが、それでもスピードはあまり出せない。何より速度を出せばそれだけ風が当って凍えるほどに寒い。
球体である星は自分が影になって太陽の光が当らない時間がある。それが長いため、この星の季節は二分される。
即ち灼熱の世界か、極寒の世界か。
地球とは回転の周期が違うのだ。だからこそ此処はコロニーでも辺境の地と言うわけだ。
(いやーそれにしても本当にこんなとこ開発してんのかねぇ)
居住区は此処しばらく見ていない。この寒さでは寝たら終わりなので、休むわけにもいかずここ数時間は眠っていない。2、3日眠らなくとも死にはしないが流石に体力は削られる。そんなことになる前に住居区に出ればいいのだが。
「なぁ刹那、おまえなんか調べてねぇのって……」
ハンドルを握る刹那の血の気の無い顔を見て慌てて言葉を止める。
さすがにこの寒さで血色が良くなる人間が居るとは思えないがそれにしても。
「おまえ、大丈夫かぁ?」
平然とした顔――に見えなくも無いが、いつもに輪を掛けて無表情なのと、顔が青白い。どちらかという寒くて固まっているが正解だろう。
熱いときはもう少し動きがある。
(そういや、こいつ砂漠地帯の出身だったっけか……)
砂漠の夜も寒いと言うが、雪の振る寒さとはまた違う。経験してみて分かったが、湿気の有無で相当な違いだ。
この寒さは宇宙の寒さとも、別物だ。
刹那はきっと雪の降る寒さを知らないのだろう。
(仕方ねぇなぁ)
北方の国出身者としてはまだ寒さに耐性がある。温める術も多少なりとも知っている。ここでできることなど限られているけれど。
「手、貸せ」
アクセルから足を離させてハンドルを握っていた手を取る。この道じゃ人を轢く心配は無い。崖沿いの道でもないし、推力で進むくらいは大丈夫だ。
手袋を取ると案の定冷たい手は、俺の体温を奪う。
そのくらい凍えた手に口を近づけて息を吐きかける。
体内の温かい息が外気との気温差に伴って、白い息が舞った。
「ちょっとあったかいだろ?」
「……確かに少し指が動く」
「っておまえ、どんだけかじかんでんだよそれ!」
慌ててよくよく顔を離して手を見る。
「ほら、ちょっと指まげて見ろ。ちゃんと動くな?」
「……ぎこちない」
「それじゃぁナイフも上手く扱えないだろ」
そんな事態になどなって欲しくないし、そもそもこんな寒いところに追いはぎも居られるとは思えないが、治安を考えれば用心しないわけにはいかない。ましてこの湿度と気温じゃ火気は怪しい。期待すべきはやはり刹那のナイフになるはずだ。俺の近接戦闘は到底刹那に及ばない。
だから、と言ってまた息を吹きかける。
包み込んだ手は冷たくて、まだ俺が必要なんだと思えた。