蔓延る水 |
〜 はびこるみず 〜 |
1.
水飛沫が上がる。
それからいつもの固定場所にエクシアを置き、泳いで、泳いで、海面を目指す。
纏わり付く服がこんなにも鬱陶しいと感じた事は無い。それでもパイロットスーツから私服に着替える事は必須だ。
流石にパイロットスーツでは目立ちすぎる。
もう少し。
傾く体に力を入れる。抜けてしまいそうになるそれを意識的に集中して。
もう少しだ。
体が、重い。
暗い海を抜けたのに、未だ触れる水の筋。
纏わり付くその重さは苦痛ですらあるが、それでもそれは必要だった。
――――乾かす余裕のない今は。
雨が、びしょ濡れの違和感を隠してくれる。
びしゃびしゃと水を飛ばしながらマンションのエントランスに飛び込む。
鞄を盾にしていても十分すぎるほど濡れてしまった。鞄の中身がどうなっているか心配だ。ノートも端末も無事だといいんだけど。
「あーもー突然降ってくるんだもんなぁ」
いやんなるよもう、天気予報なんて当てにならないこの天気。雨が全く降らないとかも困りモノだけど、天気予報は当たらないと意味が無い。
さっさとシャワー浴びないと風邪を引きそうで、先に鍵を出しておこうとがさごそと鍵を探して歩く。あった!と思って引っ張り出して顔を上げたところが丁度家の前。
「あれ?」
白が落ちている。埋もれた黒い色は髪、広がる赤が一瞬どきりとする――――人だ。
しかもそこに倒れてるってことといい、服といい、多分。
「ちょっ……えーとえーと確か隣の……」
なんだっけな前が出てこない。2回も聞いたような気がするんだけど、無愛想な隣の家の人って憶えちゃったから駄目だ!
ええい、別に名前なんていいからまずはどうしたのか確認しないと。
「大丈夫ですか?」
屈みこんで肩を揺さぶる。
その吐息の熱さに驚いて額に手を当てれば間違いない。
熱だ。多分その所為で倒れたのだろう。別に家の鍵が無くて寝てるわけじゃないみたいで。
(えーどうしよう……このまま放っとくわけにもいかないし……)
だってもし死んじゃったりしたら殺人罪とかになるんだろうか。少なくとも罪悪感には駆られる気がする。っていうかこのまま家に入っても気になってしかたないって。
ぐったりとしたお隣さんの顔を覗き込んでうんと一人頷く。
知らない人ってわけじゃないし、別に家に上げてもいいよな。鍵漁るのはちょっと悪い気がするし、勝手に他人の家に入るのもちょっと恐いし。
「問題は運べるかだよなぁ」
壁に寄りかかった人を見下ろす。
体格は同じくらいか?
身長は俺の方が結構高いし大丈夫か。ルイスとどっちが重いんだろう。
そんなルイスが知ったら盛大に怒られそうな事を考えながらその人の肩に自分の肩を入れて持ち上げる。鍵を先に出しておいたのが役に立った。
どっこらしょと担ぎ込んでそれからはたと止まる。どこに寝かせよう。
「……熱のある人にリビングのソファーはまずいよなぁ」
僕の部屋譲るべきか?でも僕もソファーは嫌だし……
ふと、もう一部屋の扉が目に入る。この部屋の間取りは3LDだ。3部屋ある。リビングと僕の部屋ともう一つ、姉さんの部屋だ。
「姉さんの部屋使っちゃうか。どーせまた帰ってこないんだし」
ソレスタルビーイング。武力による戦争の根絶を目指す、最近街やニュースを騒がせている組織。また何かあったらしくて今日も返れないというメールが入っていた。ちょっと不満はあるけれど、世界が変わる瞬間を見てしまったらそれを追う姉さんが忙しいのは仕方がないと思う。
「今日はそれで助かっちゃうし」
でもとりあえずお風呂場にいってタオルを調達しないとだろう。
いくら病人を助けたんだといったって、帰ってきてベッドがどろどろだったときの姉さんの顔が恐い。
※多分グラハムさんに追い掛け回された後。だから疲れたんです(笑)
2.
意識が浮上する。
その感覚で眠っていことを自覚する。身を起こすのがおっくうなほどのだるさと、コメカミを襲った頭痛がそれが体調の悪さゆえだということを知らせた。定まらない視界にたまらずぼすんと収まった布団はとても柔らかかった。
だが、動き出した脳は体の欲求には従わず疑問を打ち出す。
(どのくらい寝ていた?……駄目だ分からない)
時間感覚までは戻らない。今がいつであるかの取得は外的情報がなければ成されないだろう。端末は見当たらなかった。知らないどこか別の部屋。ここが何処なのか、なぜ見知らぬ場所に居るのか覚えはなかった。だが、次のミッションが控えていることを考えれば時間は最優先事項だ。
端末がないのなら新聞がいい。日付がちゃんと出ているもの。
テレビやラジオよりは信頼感がある。
どんな形であれこれ以上他人に触れたくはなかった。声という媒体は文字よりも人を意識させる。
人の存在を意識させるのはそれだけではない。
なぜかどことなく見覚えのある天井の下にあるこの部屋には人の生活感があった。
違和感。他人のテリトリー内にあるという恐怖感すらある。
(なんで、こんなところに居るんだ)
分からない。分かるはずもない。ただ思うだけだ。
早く、出たい。この人の匂いのする場所から。
*
「あ、起きたんですね」
ひょいと顔を出した男に見覚えがあってこの場所がどこであるのかやっと知る。どうりで見覚えがあるはずだ。同じマンションであるならば間取りや壁や天井といった基本的なことは変わらない。どうしてこの男が出てくるのかは知らないが。
―――隣の家に住む男。それだけでしかないが、一応顔は覚えている。
「沙慈・クロスロード……」
「覚えててくれたんですね!」
妙に嬉しそうに笑う男は、だがバツが悪そうに口ごもってあのとかそのとか言ってへらりと笑った。
「えーっと名前なんでしたっけ」
眉を顰める。人のことを変な名前と言ったくせに憶えていないというのは理解できなかった。
随分と失礼な話だとロックオンあたりなら言うだろうか。
別段そういったことに興味はないが、それでも面白くないことだとは思う。
「刹那・F・セイエイ」
「刹那さんかっ!」
無機質に名前だけを落としたというのにこれまた笑った男はすっきりしたと喜んだ。
何が嬉しいのか分からないが、喋り出した沙慈の言葉を遮らないように口を閉ざす。情報をくれるというのなら止める必要性はない。
「倒れてるの見つけたんだけど鍵どこにあるか分からなかったしうちにあげちゃったんです」
どうして隣の部屋に居るのかその解説のお陰で理解はできたが、警戒心がずいぶんと足りないらしい。顔と家も知っていると言ったって名前も知らない赤の他人をよくも拾うものだ。
おせっかいという人種が世の中に居ることは十分に知っていたが、おそらくこの男もそういう人種なのだろう。見た目はあの男と似た部分はないがやることが似ている。そう、ソレスタルビーイングに入った当初あいつにも拾われたことがある。多分それからだ。あんなに寄ってくるようになったのは。それこそうっとうしいほど。
思い出して顔を顰める。今回のことを報告すればまた鬱陶しいことになるだろう。
「なにか食べます?」
顰めた顔をどう思ったのか、問われたことに対して体調へ疑問を走らせる。
嚥下することは可能か。
否、固形物は無理だろう。それよりも水分がいい。大分喉がやられている。
その要望を告げると、ちょっと待っててくださいと言い置いてしばらくすると椀を持って戻ってきた。
「リンゴです」
「……」
リンゴがこんな形になるものなのか。固形物であるはずのそれは見る影もない。
付けられていたスプーンを手に取ってすくってみると乗り切らなかった果肉がぼてりと落ちる。
「……」
口に含むとシャリシャリとする。それに普段よりも甘い気がする。
これが本当にりんごの食感だろうか。不思議な気分だ。
「甘い……」
「甘いの嫌いですか?でもりんごとかフルーツの甘みってそれほどでもないと思うんですけど」
「嫌いじゃない」
好き嫌いはなかった。食事は体を動かすための補給であって食べられればいい。
食べられるということは良いことだ。生きているということだ。
だが今は手を動かすのは億劫だった。噛む必要もないというのにスプーンを口元に運ぶという動作だけでひどく疲れる。
次第に鈍っていく手に気づいたのか、沙慈は出て行く意思を示した。
「食べ終わったら机……は遠いか。床でいいんで置いといてください」
出て行った後は少しだけ食べた。大した量ではなかったが終わらない。
だめだ。目蓋が落ちてくる。
隣の家であるならば早く帰って時間の把握をし、ミッションに備えなければならない。前のミッション以前からその知らせは来ていた。そう時間の余裕はなかったはずだ。活動に支障があるようならば連絡を取らないといけない。そのための端末は家の中だ此処にはない。
それでも絡み付く泥のような疲労感に抗えずに瞳を閉じた。
3.
ピンポーン。
チャイム音が響くが、いつまで経っても扉が開く気配はない。新聞も取っていないのか郵便受けがあふれている気配はないが、それでも人が居るようには思えなかった。刹那であるから無関心なだけということもないわけではないが、端末にも反応なしではやはり結果は一つだ。
「帰ってない、か……」
こりゃまたどこに行ったのか。あいつの行き先など心当たりは数箇所だけだ。それこそソレスタルビーイングの施設か此処、エクシアの隠し場所といった程度。
呼び出しに応じないという事は、応じられない事態であるということだ。
ティエリアには不安要素と言われているし、実際にミッション中も問題行動をいくつかやらかしてはいるが、基本的に刹那はミッションに忠実だ。
死んだだろうか。
その可能性が無いとは言えない。
ガンダムマイスターなどいつ死ぬか分からない。いくらガンダムが特異であって、それを操る己の腕に自信があるといっても、戦争に介入するということは酷く危険な行為だ。そうでなくてもこのご時世、いつ死んでもおかしくは無い。このところ騒がしいテロでということさえありえる。
こつん、とドアに頭を付ける。
死んでしまったとは思いたくは無い。だってあいつはまだ子供なのだ。そのくせ人生の楽しさなんて知らなそうな顔をして、楽しそうなんて顔をめったにしない。笑わない。そんな奴は大勢いるけれど。
「くそっ……どこに行っちまったんだよ刹那」
あれ、と声がした。
隣の家へ入るところらしい。顔を上げればおそらく刹那と同じくらいの年頃の子供が中々重そうなビニール袋を二つ提げていた。
けれども刹那ではない。あの性格からしていくら歳が近いといっても近所づきあいをしていたとは思えないし、関係がないと思った。
(他を回るか……)
そういつまでも人の居ない部屋の前に居ても不信がられるだけだ。
「刹那さんのお知りあいですか?」
だが飛び出した名前に振り向く。
知っているのか、どうして、なぜ、何を。
突然の手がかりに頭が回りきらない。刹那を知っていたとしても、今現在のことを知っているとは限らない。だというのに。
「刹那は何処だ!?」
その勢いのままつかみ掛かった所為で、目を白黒させた相手の手から荷物がドサリと落ちた。
*
靴を脱ぐという習慣には中々慣れない。刹那の奴、よくやっているよなぁと思う。どうしてこの国なのか。軍を保有していないという国はまれではあるし、紛争の多い中東へ飛ぶにはよい位置ではあるけれど。
別にエクシアで飛ぶのであればあの島の施設でいいではないか。それとも一人で生きていく術を身に付けさせるという社会教育のつもりなのだろうか。
「刹那さんー」
玄関から家の中を覗き込んで、沙慈・クロスロードと名乗った少年が刹那を呼ばう。
「なんかお知り合いの人が来てるんですけど」
どうぞ上がってくださいという言葉に従って後に続きながら、大した距離もない場所にある扉をくぐる。
こんな人の気配のある場所と刹那がなんだか結びつかなかった。
(本当に刹那がこんなところに居るのか……?)
疑ってみても仕方が無い。手がかりはここにしかない。
「あー寝てるみたいですけどどうします?」
「刹那っ」
先に立っていた沙慈クンを押しのけてベッドを覗き込む。
本当に刹那が眠っている。
息が多少荒いのと、頬が赤いようではあるが、鼓動は安定しているようで、無事だった。
思わずカーペットの上に膝を突く。
これでも結構心配していたのだ。いつ召集がかかるかわからないスケジュールの中で見に来てしまう程度には。
「ったく平和な顔しやがって」
こつんと頭を小突いてみても起きないのは相当に体調が悪いのだと理解したけれど(そもそも人の気配で飛び起きないところが異常だ)最悪の想像をしていただけに良かったと思う。
一通りの安堵が通り過ぎて、常識的な思考を取り戻す。すなわち後ろでぽかんと立っている家の住人への挨拶だ。
「ありがとうな」
「え、いえ。お隣さんですから」
「いやーこの無愛想なガキ相手じゃお隣さんっても本当に隣に住んでるだけだろ?」
「まぁ確かにあんまり話す機会はないですけど……」
さすが経済特区日本。平和ボケが進んでいる。
そんな関係でよく家に上げたものだ。こんな無警戒さは他の国では中々無いだろう。個人の性格によるものが大きいことではあるだろうが。
(こりゃあいい”お隣さん”だな)
にんまりと笑みを作ってなんてことのない世間話を振ってみる。
刹那が目を覚ます前に俺のやるべきことが決まった。
刹那じゃ良好な隣人関係なんて築けないだろうが、この繋がりは維持する必要がある。それを構築するのだ。
――――俺がそばに居られない間の刹那の健康管理のために。
4.
絡み付く。
その溺れるような水が喉に絡みつくような息苦しさに手を上へと伸ばす。
引き上げて欲しいわけじゃない。自力で上がれるだけの力がある。その自信はあった。
だが、生理的に伸ばされた手が捕まれて引き上げられた。
「お、目が覚めたか?」
どうしてこの男が居るのだろうか。繋がれた手の、その先を見る。
おぼろ気な視界の中でも流石に見間違えることはない、少し長めの茶色い髪と揶揄うような目。
いつも居ることが当たり前だった頃とは違い、今は待機場所が違うためミッションの時に少しだけ会うだけだ。
まして此処はこの男とはまったく関係がない場所だ。CBのエージェントが探し出したのならば話は別だが、個人的に調べるには手掛かりがない。隣の家など他人である。居るとはまず思わない。
今度の眠りは寝苦しさのわりに現在地を不明瞭にするほどの眠りではなかった―――やはり時間の把握はできていなかったが。
ミッション以外では夢でもなければ会うことは無いだろうが、夢と断じるには出てくる理由もなく、また現実味がありすぎた。
夢と現実の区別はつく。
だが、夢の中で俺を引き上げた手はこの男のものだったのだと知った。
何故か。他人の夢の中など見えるはずも無いのに、何故この男は引き上げたのか。
疑問だらけの上に人の体温は不快なだけでしかないはずなのに、今は振り解かねばとは思わなかった。
「集合時間はとっくに過ぎてるぜ」
「……すまない」
そうか。ミッションの時間はもう過ぎていたのか。
ぼんやりとそれを認識し、素直に謝罪を口にする。間に合わなかった事に関して不思議なほどなにも感じなかった。
何故だろうか。もう一つ疑問が湧き上がる。
痛くても、辛くても、戦えない事は無い。それなのにミッションに参加できなかったことは不本意な事態であるはずだ。
不甲斐ない苛立ちも無い。
謝罪に対しては肩を竦めただけで返したロックオンはまるでミッションの時のような真剣な顔で俺を見下ろした。
「怪我か?」
「いや……怪我はない」
自分が参加したミッションは問題なく行われた。
腕の一振りで倒せない敵は居なかった。
ただ敵は人間だけではなかったということだ。
「機体を海に隠していた」
「……おまえまさか……」
引きつったような顔に首を傾げる。
ロックオンの辿りついた答えはおそらく正しいだろう。当たり前のことだ。
「泳いだのか?」
「当然だ。泳がなければどうやってエクシアに乗り込むんだ」
当たり前のことを批難するように言われて顔を顰める。
と、ロックオンもガバリ身を乗り出して盛大に顔を顰めた。
「おまえなぁ!いくら子供は風の子っていったってこの季節になにやってんだ!?」
「子供じゃない」
「ならなおさら体調管理はしっかりしろ」
冷静に、突き放したように、命じる様に、押し殺した声で告げられた言葉に押し黙る。
ガンダムマイスターを纏めるリーダー格であるロックオンが怒るのは分かる。
だが必要な処置であり、可能な処置であった。指令にもそうあった。
それをロックオンの言葉で覆すわけにはいかない。
「頼むから……」
あーもうと項垂れた男のつむじを前にまた湧いた疑問。
どうしてそんな掠れた声をしているのか。
どうしてそんな泣きそうなほど安心した顔をするのか。
「でないと俺の寿命が縮む」
そんなこと知ったことか。そう答えても良かったはずだった。
普段ならそう答えたはずだった。
だが……
「ホントお前が死んでなくて良かったよ」
それが限りなく本心だと分かったから嫌だとは思わなかった。
何故だろう。
今日は疑問ばかりが湧いて消える。
5.
「なんであんな言い方するんですか!?」
刹那が眠る部屋を出た瞬間、そんな声が飛んできて苦笑する。
水の入ったコップが乗った盆。それは刹那が起きたときのために持ってきたものだろう。
自分のことでもないのにずいぶんと必死なその顔が少しだけ羨ましい。
「おーい盗み聞きは趣味が悪いぞ。いくら家主っていっても」
「不可抗力です!あれじゃ刹那さん誤解しますよ、あんなに心配してたのに……」
分かっている。彼が聞いたのは最後の方だけだろう。
いくら動揺していたとはいえ、素人の気配を見落とすほど落ちてはいない。
それに、彼の言うように刹那は誤解なんてしないだろう。
そんなものをしてくれるほど、刹那は俺に心を許してはいない。
だから、刹那が手を伸ばしてくるとは思わなかった。
よっぽど苦しかったのだろうか。嫌な夢でも見たのだろうか。
思わず、掴んだ。
眠っているとはいえ、刹那から手を伸ばされたのは初めてだった。
立て続きのミッション。ガンダムの敵ではないとはいえ精神的にも肉体的にも疲労は溜まる。慣れない一人暮らしもあっただろう。
いくら最低の暮らしに慣れているとはいえ、他のマイスターよりも体の出来上がっていない刹那が体調を崩すことは予想できたことだ。
特に刹那が自分のことについて頓着しない性格であることを考えれば分かりきっていたといってもいい。
なのに気づかなかった。そこに酷く苛立つ。
所詮自己嫌悪だ。
「あいつさ、甘えるのすげぇ下手なんだよなぁ」
「はぁ」
「だから俺としては思いっきり甘やかしてやりたいわけよ」
「すればいいじゃないですか……?」
「けどまぁ、立場上そういうわけにはいかなくてな」
「立場上ってあなたと刹那さんってどういった関係なんですか?」
「上司って訳じゃないけどまぁ仕事関係の先輩ってとこかな」
ガンダムマイスターの間に上下関係はない。
そもそもソレスタルビーイングは組織立った命令系統はあるが、軍隊と違って階級といったものがないからその関係は時に酷く曖昧だ。
それでも纏める人間は必要で、最年長ということから買って出たというのか押し付けられたというのか、まとめ役のようなものに納まっている。ティエリアは幾つなのか知らないが、人を纏めるタイプではない。参謀といった役どころは似合いそうだが。
そんな仲で甘やかそうとしたって刹那が良しとはしないだろう。
現に俺がいくら甘やかそうとしたって刹那は甘えてこない。
「仕事?刹那さんて僕より下だよな……で、留学生でしょう?え、何の仕事だよ……ファミレスとかじゃなさそうだし……」
ぶつぶつと沙慈が疑問と想像まみれの独り言を漏らす。
刹那の歳じゃ精々バイト程度だろう。俺と刹那の接点も外見や年齢からはとうてい見出せないところも原因か。
(ガンダムマイスターなんての答えがそりゃ出るわけないもんなぁ)
仕事内容を聞かれたら中々難しい。まだまだ纏まらなそうな沙慈の頭が、こっちへ向かないように話を纏めてしまうのが良さそうだ。
「まあそういうわけで俺は多少厳しいことも言ってやらなきゃならないわけだ」
「そうですか?」
ぱちくり。
納得できないという表情。そんな事はないんじゃないかという疑問。どうして当然の事ができないのだろうとでもいうような。
「別に心配するのって普通だし、普通に伝えたっていいんじゃないんですか?」
なるほどそれが”普通”か。
でも俺たちは普通ではないのだ。”普通に”なんて伝えられない。
刹那はきっと彼のいう”普通”を理解しないし、俺もまたそんな”普通”とはもうしばらくご無沙汰だ。今更、もうどうすることが普通であるのかなんて分からない。俺の放った言葉が刹那にどんな風に受け取られたのかも分からない。
ただ、刹那は何も言わなかった。
いつものように突っぱねはしなかった。
だから、そんな”普通”ではなくても伝えることは簡単なことなのかもしれない。
6.
ニコニコと笑うロックオンさんと、仏頂面の刹那さんが玄関に立ってヒラヒラと手を振る。
―――尤も刹那さんについては無理やり振らされている、というのが正しい。
「ってことでしばらく俺が泊り込んで面倒見るから。こいつが世話になったな」
こつんと軽く握った拳を刹那さんの額に当てて、ロックオンさんは笑う。
「いえ。お隣さんだし、刹那さん一人……だよね?」
「ああ」
「なら困ったときはお互い様で。いつでも頼ってください。」
「よろしく頼むな」
刹那さんが不機嫌そうにロックオンさんの服の裾を引く。
なんというか、この人相手になると刹那さんの反応は酷く可愛い。日頃はあんなに無愛想なのに。
その言動が特別変わるわけでもないのに、そう見えるのは受けての所為なのだろうか。
「おい。どうして俺の話をあんたがする」
「そりゃおおまえが自分のことを省みないからだろーが」
「だからといってあんたに頼まれる謂れは無い」
「なら俺の縮んだこの寿命を返せ」
「あんたの寿命なら縮んだくらいで丁度いいだろう。長生きしそうだ」
あははと笑いながらその遣り取りを見守る。
部屋の前で倒れてて、固形物も食べられなくて、死んだように眠っていたのに。
どうやらロックオンさんが来たお陰か、大分元気になったらしい。
***
手を振って隣の家に入っていくのを見送る。
仲のよい兄弟のような遣り取りを交す二人に、あのどこか殺伐とした雰囲気は無い。
ロックオンさんも刹那さんも
そういえば結局あの二人の関係ってなんなんだろうか。
「仕事の先輩って言ってたけど結局なんの仕事なんだろ?」
ロックオンさんは答えてくれなかったし、刹那さんに今度聞いてみようか。
だって学生のバイトとしたら僕みたいなピザの配達とか、店のレジとかが多いけれど、刹那さんのあの様子では接客業は失礼だけどまず無理だ。
それに私生活でも厳しくしなきゃいけないような関係を築くような場所じゃない。
悶々と考えているとコツンコツンと足音が近づいてきて、驚いたように止まる。
しまった玄関の扉は開けっぱなしだ。
「あら、沙慈。玄関開けっ放しでどうしたの?」
「えーと」
どうしたのと言われても言葉に詰る。
とりあえず見送ったあの人たちはよく分からない。よく分からないけれど、それなりに上手くやっているように見えた。僕には分からないけれど、そういう付き合い方もあるのかもしれない。
兄弟とは違う(だろう如何見ても)。
でもまるで家族のような厳しくて優しい関係。心配で、心配で、仕方がないと顔に書いてあったのに怒らなくてはなくて、しかも他人だから言い方が難しくて。
怪訝そうな顔で早くどいてと言う姉さんと僕の関係に多分少しだけ似ている。
そんなことを思いながら玄関に入れるようにどいて、凄く久しぶりに見る姉さんになんでもないよと笑ってお帰りと言った。