日々是日常
―ひびこれにちじょう―
目に鮮やかな赤。
燦然と輝く翠。
彼女を表すその色が焼きついて離れない。
―――その理由を知っているか?
慶国の禁門に来訪者があった。
見事な趨虞と降り立った男の堂々たる振る舞いに、普段なら追い払うところだがしばし逡巡する。
どうも唯人とは様子が違う。
「名前と用件を言ってもらおうか。」
「名は小松尚隆。用件は陽子に会いに来た。」
どうとってもふざけているようにしか取れない男の言葉に門兵は顔を顰める。
大体“陽子”というのは誰だろうか?
陽子と呼ばれている人を一人知っているけれど、その名で呼ぶことを許されているのはほんの一握りの側近だけだ。
こんな外部の男が指す人が、その方であるはずがない。
「ふざけた事を言うな。」
ニヤニヤと笑ったままその男は去る様子もなく立っている。
と、その瞳が何かを見つけたように穏やかになる。
「その方に無礼をしてはいけない。」
突然に聞こえた声に振り返る。
従わねばならぬと思わせるほどの覇気を秘めた凛とした声。
それは小さな人影だった。
ざわりと禁門につめていた兵の間にざわめきが走る。
その人を知っている者もあるし、何より後ろに台輔を従えている。
たとえ主上御本人を知らずとも、その金の髪の意味を知らぬはずがない。
だからこそその赤い髪の少女を間違えるはずがないのだ。
「主上」
「陽子。」
王の名を呼びつけにする男にとっさに剣を抜こうとする。
だが、次の瞬間。
「延王。」
主の言にぎょっとする。
では、この男が名高いかの国の王だと言うのか。
ぽかんとして礼をすることすら思いつかないほどに狼狽する。
かの大国の王に刃を向けようとしていたのか……
いまさら冷や汗が流れた。
ざわつく門兵たちを他所に、陽子登場に笑みを浮かべた男は言う。
「景王自らの出迎えとは痛み入るな。」
「延王。いらっしゃいませ。」
「もう少し早くお知らせ願えますか?」
景麒の不機嫌そうな顔も気にならない。
「ああ気をつけるとしよう。」
口だけなのは見え見えで答えながら、くるりと門兵たちを振り返る。
「騒がせて悪かったな。」
一言門を守る者たちに言い、中へと入って行った。
「それで何の御用ですか?」
ひとのまばらなあたりまで来ると、早速景麒から用事を済ましてさっさと帰れという意味のこもった台詞が飛んでくる。
もちろん延に取り合うつもりはなく、平然と言い放つ。
「景麒は仕事に戻っていいぞ。俺は陽子に会いに来たんだ。」
「そういうわけには参りません。」
絶対に主と二人きりにさせてなるものかという思念がひしひしと伝わってくる。
一見読みずらそうな奴だが、その実意外と思考を読みやすい。
解らないのはきっと彼の主だけだろうとこの主従を知る者は十人に九人は言うだろう。
「延王がそう言って下さるんだ。先に戻っていてくれないか?」
しかし…と言いたそうにするが、陽子の顔を見てぐっとつまる。
彼がここに残ることで溜まった政務のツケは陽子に行くのだ。
不要だと言われてまで残っているより仕事をしろといったところか。
「御意に。」
溜息。
しかたなく頷いて睨みつけるのは忘れずに、戻っていく。
「相変わらずだな。」
「すみません。なんだってあんなに無愛想なんだか。」
苦笑して見送る陽子のその頬にある赤い線に気付いて。
おもむろに手をのばす。
「陽子。」
「なんですか?」
首を傾げる陽子の頬のその引っかき傷の様な赤い線をなぞって。
「これれはどうした?」
「これは……」
ばつが悪そうに口ごもって目が泳ぐ。
何か言い訳を考えているのが分かる。これは嘘など吐けない質だ。
刺客にでも会ったか、街で暴漢でも蹴散らしたか、それとも剣の稽古か。
兎も角も不覚をとったというほどでなく、その名残。
困らせることは本意ではない。故に陽子の答えを待たずに言を紡ぐ。
「あまり怪我などしてくれるな。」
きちんと言っておかないと王だからの一言で済ませそうな陽子にその理由も素早く付け足す。
「俺が嫌なのでな。」
その玉体に傷がつくことが。
許せない。
その髪一筋でも。
「なぜですか?」
「大切なんだ。惚れているからな。」
なんだと陽子はにっこりと笑う。
「そんなことを言わなくても気をつけますよ。」
率直【ストレート】に言ったつもりだったんだが……
完璧に冗談だと思われて内心がっくりと肩をおとした。
―――翌日
「ああ気にするな。勝手に通らせてもらうぞ。」
「はい。」
昨日の騒ぎは軍中全てに広がったのか、ずいぶんとあっさり通される。
雁のとある官史たちからはこんなのでいいのかと言われそうだが、慶の官にしてみれば雁という大国の王相手に不振がる云われも無い。
「あぁ、明日も来るからよろしくな。」
通りぎわの一言に。
そう言われても……
彼らは是とも否とも言えず、ただ後の台輔の冷たい空気を思って震え、見送るしかないのだった。
内殿のあたりで見つけ、早足に近づく。
足音にか気配にか気づいて立ち止まった少女に。
「陽子。」
返事も待たずに頬を手で挟んで顔を近づける。
「よし、流石は……綺麗に直っているな。」
大げさな延王に苦笑してから陽子は言う。
「でもこんなに来ていていいんですか?」
この王が玄英宮にいつもいないことは知っていたけれど、それは何かしら意味のある事だと思っていた。
それが真実か否かは別として。
慶に来ることは今雁にとって別段損失でもない。
いる場所が分かっている分連れ戻すのが楽でいいらしい。
「俺には他の事より大切な目的がある。
ああ気にするな俺は勝手にやっている。政務だろう?」
自分はさぼっても陽子を付き合わせるほど人のことを考えていないわけではない。
即位して幾らも経っていない陽子を引っ張りまわすほど無神経でも傍若無人でもないぞ、と。
「すいません。では後ほど。」
申し訳なさそうに言うからならば、と。
「陽子、終わったら付き合ってくれ。」
にっこりと笑い、はいと答えて背筋を伸ばして歩く少女と分かれてから。
今はまだこの顔をよしとするか。
陽子の笑顔を見て延王はふと笑んだ。
<その後の日常>
延王は毎日やってくる。
すっかり禁門の警備をしているものとは顔なじみになってしまった。
「一体延王はなんだって毎日通ってくるんだ?」
「ああなんでも主上をお気に召してるらしいぞ。」
さてこちらは女官から。
「延王もよくやるわよね。」
「ホント。陽子の鈍さを理解してないのかしら?」
「でも……」
「気付かないでラブラブしてる陽子も陽子よね。」
「ほんとほんと。あ〜んなくっついて恋人じゃないなんていっても誰も信じないわね。」
- 了 -
柚羽さんへ相互リンクお礼……のはずの物。お約束より物〜凄く遅くなってしまって滝汗ものでした。殆どは書けていたのに所々纏まらず苦労した一品です(笑)