博士の愛した人形
−「少年のような少女の5題」(配布元:鳥篭)より−
俺を作るのは特殊な音素である。
人から作られた俺は、たった一つの音素でできている。
たった一つの音素と与えられた情報によって、その人間と音素振動数までまったく同じものができるのだ、と。
俺を作った博士が言った。
「ルーク、あなたは私の今のところ最高傑作ですよ」
髪を見、眼球を見、音素を確認し、全ての検査をしながら、博士はいつもそこから始まる。現れては消え、消えては現れる記憶は、だからなんとなくその言葉だけは認識していた。
「多少の劣化は想定内ですし……まぁアッシュのような色よりもこの方が綺麗ではありますが……」
ぶつぶつぶつ。
ああでもやっぱり問題が一つ、と博士は俺の胸元を見てため息を吐く。
「貴女はとても綺麗ですが、アッシュは男です……これは問題ですねぇ」
さてどうしようかとぶつぶつと考え出した博士は、おもむろにぽくんと手を打って俺の髪を切った。
―――それが髪というものであることは後で知った。
「まぁ印象が変わってしまいますが、それはアッシュの髪を切らせればいいでしょう」
満足そうに言って、さすが私、何をやっても上手だと自画自賛しはじめた博士は、俺に黒い地に赤いラインが入った服を着せ掛けた。
それからぐりぐりと俺の眉間にしわを寄せて。
「まぁこんなところでしょうかねぇ」
さらに満足気な顔で頷く。
本当は被験者と同じ環境を用意してどこまで性格が似せられたかを見たいが、これでは無理だろうと博士は言う。
それ以上にこのよくできた人形を手放す気はまったくないと言っていて。
「あとはどこまで能力が複製できているか、ですね」
アッシュはアルバート流剣術を使う。
アッシュは譜術を使う。
アッシュは、アッシュは、アッシュは……
「ふむ。こんなものでしょうか」
そいつのできることを全て習って。
そして俺は俺になった。
研ぎ澄まされた刃のような目に、時々息を呑む。
アッシュは触れれば斬れてしまうような瞳だが、ルークは刃に物を映すようなそんな瞳だ。
「ふむ。一応成功なのでしょうかねぇ」
まったく違う人間だけれど。
そう、ルークとアッシュはまったく違う。性別だけでなく性格も印象も。それが性別によるものであるならば改善すべきところは一つだが、やはり生活環境の違いなのだろう。
彼の目指す……ネビリム先生にはまだ遠い。
この人形に記憶は無く、別のものになっていく。自分の目指すものへの研究としては失敗だろう。だが失敗作というには勿体無さ過ぎる。
「ルーク」
「はい、博士」
「アッシュはそんな風に私を呼びません」
そう言ってやれば、記憶の中を検索しているかのようにしばし黙って。
「んだよ、ディスト」
眉間の皺は無かったけれど、言い方はアッシュに似ているような気がした。とりあえず小憎らしい。
「キー!可愛くありませんねぇ!!……やっぱりそのままにしましょう、そうしましょう」
別に戻す必要がないなら似せる必要など無いのだ。これはアッシュとは同位体ではあるが別物である。それが分かるということだけなのだから。
やはりルークは可愛いほうがいい。お気に入りの人形をわざわざ小憎らしく仕立て上げるなど狂気の沙汰だ。あの反応もアッシュ本人で事足りている。
そんなことをうなずく人形を相手に力説する。
「……なにをやってるんだ……?」
そんな声に振り返れば(そういえばここは廊下だったのだ)引きつった顔でこっちを見ている少年が居た。
「おや、これはガイ」
譜業を理解する教養のある人間としてディストは彼を評価していたが、それ以上に彼にはここでの価値があった。ヴァンが唯一膝を屈する人間。それがガイの価値だ。
自分たちのような者は利害の一致でヴァンに従い、ヴァンは誰かに従うわけではない。ガイはガイで任せきりで自分から何かをしようとすることはあまりないが、時折要望を挟む。
それが自分たちの関係だ。
「あなたにはまだ見せていませんでしたか?」
ルークが部屋をでることが稀なら、自分の部屋に誰かが訪ねてくることも稀なので、当たり前といえば当たり前だ。
アッシュの動きを観察させはしたが、接触を図ったわけではなかった。動くことすらままならない子供の相手など彼にできるわけがないのだ。
個性がなくなることを危惧して、脳に刷り込みをこのレプリカには施していない。だからアッシュを観察させ、ディストが教えて、その他は知らない。必要に迫られて覚えたのだろう。
「ルーク。挨拶を」
促せば、おずおずと出てきた人形はぺこりと頭を下げる。
うんうん本来人間はこうあるべきなのだ。アッシュのような不遜な態度は言語道断。ルークに真似させるなどごめんだ。
「こんにちは」
ガイは驚いたように固まっている
「まだ語彙が少ないのです。アッシュの真似もさせてみましたが、小憎らしくて……キィー!」
アッシュの、とガイが口の中で反復する。
そういえば彼はアッシュにどこか含むものがあるらしいが、詳しくは知らない。
所詮は他人事だ。自分の研究に関わる事ではない事象にいちいち構っていられるほど天才といえど容量は大きくない。
「ディスト……それがまさか」
「ええ。アッシュのレプリカですよ」
「女の子じゃないか……?」
痛いところを、と思わないでもない。
だが、開き直りといわれようがこれは今までで一番のレプリカドールだ。なんせこの人形は完全な同位体で――――美しい。
「これを廃棄するのは勿体無いでしょう」
「……そうだな」
同意の前にもう一度じっくりとルークを眺め、ガイは静かに頷いた。
「必要ならもう一体作ればいい……男をな」
何が気に入らなかったのか、子供の嫌味にムっと顔を顰める。
「原因が解明したら考えますよ」
なぜ完全に音素振動数が同一でありながら、見た目が違うのか解明できてはいない。それよりもルークの成長過程の観察が目下のところの研究だった。
「今までで一番のできなのですからその成長過程を記録しなくてどうするんです!」
そんなことを空気に向けて喋っていた所為で、ガイが彼をじっと見つめるルークに足を止めて、くしゃりと頭を撫でていったのなど、ディストの目には入っていなかった。
「いいですか?本来あなたはアッシュのレプリカなのですから、ちゃんと男らしくなさい」
別に口調や性格は真似なくていいですがというなんとも身勝手な要望を毎日の習慣と口にしながら、ふと目にしたものにディストはルークの手を引いて部屋の外へ駆け出した。
「リグレット!」
「……なんだ」
鬱陶しいという顔を隠しもせずに応じる。
普段はこのマッドサイエンティストなど無視するに限るが、何年か前からこの男に任された件に関しての報告なら受けなくてはならないため、一応呼びかけには応じている。
「ルークはアッシュのレプリカなのですよ?付いているものが付いてなくても分かりませんが、付いていないものが付いているのは大変問題です」
なんて下品な物言いだと眉を顰めるが、ずいと前に押し出された子供を見て、些か考えを改める。
そうかもしれない。
神託の盾の制服は生地が厚く、子供の体型くらいなら簡単に隠れるはずだった。だが、そろそろ胸元が窮屈そうにも見える。
「私がどうにかしておこう」
ルークをディストから取り上げて、戻るはずだった自室へとつれていく。大人しく付いてくる子供は、もう一応の判断はできるはずだった。
「博士といい、リグレットといい、なんなんだよ」
自我が芽生えてきた人形がそう言って頬を膨らませるのに苦笑して、ベッドに座らせて問題の場所にぐるぐると布を巻いていく。
所詮さらしというものだが、これが中々便利なものだ。
「いいか、ルーク。おまえはアッシュのレプリカだ」
「分かってるよ。それがなんだよリグレット」
アッシュに似せているつもりなのか、そう小憎らしい台詞が返るが、どうしたってアッシュにはない可愛らしさがある。
しかたないな、と思いながら顔をなんとか引き締めて。
「おまえはアッシュのレプリカで、おまえはアッシュと同じでなくてはならない」
「知ってるよ」
なら分かっているな、と口調を強め。
「弱い部分など――――見せるな」
女が弱い生き物だとは思わないが、舐められる原因であることも知っている。だからその忠告を与えるのは、ただ単に人形が本物のふりをするためだけではないのだ。
よたよたと歩く影を見つけて、シンクは仮面の奥でそっと目を細めた。
黒い教団の制服は自分とほぼ同じ形。身長もあまり大差ない。
なのに、頼りなく見えるのも幼く見えるのも何故だろう。
自分よりも早く生まれたレプリカ。
被験者の、つまりは肉体年齢ですらいくつかあれの方が上のはずだ。
同じものから作られた、いわば姉弟だと言う奴も居るが、自分とあれには決定的な違いがある。
あれは成功とは言えないが、ディストのお気に入りだ。
お陰で当初の目的には使えないにも関わらず、廃棄されることもなく研究と称して此処に置かれている。
そもそもが、違う。
作られた経緯も、用途も、結果すらも。
不幸比べなど意味は無いが、だからか”イオン”に向けられるようなコンプレックスも憎悪も涌かなかった。
それにしても、といかにも彼女一人だけという不振な行動に何をしているのだろうかと頭を捻る。
過保護なまでにディストがうろついているし、時折ガイとリグレットが側に居る。
それ以外で見る事は視界にアッシュを納めることができるときだけだった。
ふと、思い出す。
そういえばディストの実験室から移動すると言っていた。
やっと任務につくのだと聞いていたし、ディストが酷く騒いでいたのを小耳に挟んだのだった。
いい年をした大人の癖に甲高い声で騒ぐから五月蝿くてかなわない。
自分のお気に入りが、自分の手を離れ別の人間の下で働く事が気に食わないらしい。たしか、彼女が付く人間は……そうだガイだ。
あれが自分よりも5年も早く生まれたことを考えれば遅すぎるくらいだ。シンクはもう任務に付いている。
まぁ誰かになることと自然な成長を強要されたのだから多少の遅れはしかたのないことか。
自分とあれとは同じに生まれたはずなのに、対照的な育ちをしている。
「ちょっと」
ほんの少しだけ足を速めて声を掛ける。あまり表にはでない自分も彼女も、けれど面識は一応あって、その行為自体は別段おかしなことでもない。
「少しくらい持ってあげるよ」
「いらぬぇーよ」
だが怪訝そうな顔で、隣に並んだ自分をそれは一掃する。
「別に重いもんじゃねーし」」
実際部屋を移動すると言っても、たいした荷物はない。
数枚の服と装備、それくらいだ。
ディストが物を与えるわけもないし、外に出る事のないルークが物を得る事は少ない。
「違うよ、僕が言ってるのはそれじゃない」
言葉の遊戯にそれはほんの少し顔を顰め。
「だから!別に重いもんなんてぬぇーっての」
「あんたの背中」
ついと指を一本突き出す。
気づいていないという気なら、なんて愚かな人形かと哂ってやる。
「雁字搦めな鎖は重いだろ」
見えない、けれど確かにそれにはある。
預言という名の鎖か、それともヴァンという名の妄執か。
ディストの執念かもしれない。
「”同じもの”のよしみで、少し持ってあげてもいいけど?」
戯れだ。ほんの少しの興味で、きっとよろしくなんて言われたら放りだしてしまったのだろうに。
それはただきょとん、として。
「別にいいよ」
あさりと言った彼女をシンクは計りかねた。
分かっているのか否か。
鎖を自覚しているのか否か。
「俺は別に重いなんて思った事ないし」
それに、とそれは笑った。
とても嬉しそうに、幸せそうに。
「博士がくれたもんなら手放したくないしな!」
「……ディストも懐かれたもんだね」
ひねり出した声は呆れたような調子で響いた。
ああ、なんてお笑いだ。
「おまえも博士の作品だろ」
「違うね。僕はただの失敗作さ」
意味もなく作られて、捨てられた、ただの人形(レプリカ)。
これのように望まれて生まれ、望まれて育てられ、望まれて側に置かれ、望まれて死ぬわけじゃない。
「それでもおまえは博士の作品だ。俺と同じ」
まっすぐに向けられた台詞に嘲笑が潜まる。
嘲笑ってしまうだけであるはずの”同じ”その言葉は心地よかった。
その細い腕に何を抱えるために生まれてきたのか、きっとこれは知らない。
それでも時間は刻々と迫り、望まれた死は近づいている。
ああでも誰かが、例えば製作者だとか、側に置くことを望んだ男だとか、そう、例えばこの”同じもの”が。
――――許さない、かもしれない。
「やっぱ貸しなよ」
奪い取るように荷物を彼女の腕から取り上げる。
ついでに足も速めれば小走りに追うようにそれは付いてきて、どことなく楽しい……のかもしれない。
ほんのりと浮かんだ嘲笑以外の笑みが上る。
「いいって言ってるだろ!」
「人の親切くらい素直に受けなよね」
「だから頼んでぬぇーっての!」
キャンキャンと噛み付くそれすら、楽しいらしく。
あぁ本当に、その細い腕に抱えることになるものを少しだけでも持ってやろうと思った。
守らなくてはいけないとどこかで思っていたのだ。
それは一概にディストの喧しい忠告に洗脳されたわけではなく。
女子供は守るものというかつての教えが身について居た所為かもしれない。
その小さな姿を見たときにきっともうそれは脳内に浸透していたのだ。
「いいですか?ガイ、くれぐれもルークを破損させたりするんじゃありませんよ!」
ルークが任務に出ることが決まったとき、ディストは過保護にもそう騒いだ。自分が着いていける任務でないのが悔しかったのかもしれない。だがルークはアッシュのレプリカだ。戦闘をその主な任務とし得物が剣となれば、手頃なところで少数単位の魔物討伐が初陣となる。当然ディストの出番はない。
譜業仲間としては面白いが、人間としてはあまりお近づきになりたくないタイプではあって、つまりできれば一緒の任務も遠慮したい。ヴァンの部下は癖が強いが、中でも嫌な方向に強いのがディストいう男だ。なにしろうざい。
だがその言葉に従うように今、討伐対象の魔物に囲まれながら後ろに庇った子供に声を掛ける。
「ルーク、俺のそばから離れるなよ」
彼女の剣の腕が問題ないことは知っている。報告に上がってきていたし、稽古の様子も見た。だからこそ今回任務に連れ出した。
だが、実践と稽古は違う。
レプリカにどれほど感情というものがあるのか知らないが、大概の人間は初めて魔物を見ると怯む。恐怖する。それだけ魔物への恐怖感は絶大だということだ。
そうして次に殺すことの抵抗――飛び散る血への恐怖、肉を断つ鈍い感触への嫌悪感。
それらに支配された人間は使えないことが多い。
それにルークはアッシュのレプリカだ。
虚弱というわけではないが、劣化というハンデがある。
作らせたのはヴァン。作ったのはディスト。
手元に置かせたのは俺だった。
……もっともディストにルークを手放す気はなかったようだが。
何故、と言われても明確な答えは出しようがない。
言えるとすれば性別が違うというのは計画に支障があるだろうと、ただそれだけの話だ。
明確な理由付けができなくとも望めばたいがいの事は叶う――ヴァンが叶える。
俺の臣下はそれだけの地位を手に入れていた。
「嫌だ」
だから反抗が返ってくるとは思わなかった。
しかもこんなディストに指示されなければ喋らないようなレプリカから。
「俺は任務を果たす。おまえの後ろに隠れてるなんて嫌だ」
だって、とルークはそれを口にした。
「俺はアッシュのレプリカだ」
それが何だと嗤い出したくなる。
それを誇らしく口にするルークが憎らしく、そして哀れだ。
あいつはそんなに強くない。
誇れるような人間じゃない。
俺に簡単に負けるようなお子様で、癇癪もちのお坊ちゃんだ。武力も知識もまだまだ足りない。地位も無くした今、少し賢しいだけの単なる子供に過ぎない。
なのになのになのに!
呼吸を落ち着ける。いくら初級の任務だとはいえ、討伐対象の目の前だ。いくら大したことがないといっても魔物は魔物だ。気を抜けば怪我の一つくらいはしかねない。
「ガイ」
ルークが俺の名を呼んだ。
不思議とそれは俺の呼吸を落ち着ける。
「俺はちゃんと戦えるよ」
そう、戦えるだろう。そう判断したからこそ連れて来た。
別段これが死んでも問題はないという判断もヴァンにはあっただろう。それよりもアッシュに近づけることこそを優先とした。
レプリカを作った意味。作った意図。
被験者と同等でない複製品に存在価値などない。
廃棄するのが嫌なら、実力を付けさせるしかないのだ。
「弱いとか決め付けんなよ」
それは誰の口調なのだろう。アッシュを模倣したというにはあまりに真摯だ。
それがこのレプリカの欠点でありディストやリグレットが慈しんだ理由だ。
「分かった……ならルーク、右は任せた」
「おう!」
嬉しそうに笑う。
それを愛しいと思う。きっとディストに感化されたのだろう。そうでなければこの顔に好意を抱くなどありえない。
そう、こいつはアッシュではない。例えレプリカであっても違う存在だ。
だから……俺の背中をおまえに任せよう。