生贄の羊は祭壇から逃げた。



闇夜に紛れ、駆け抜ける余裕があれば良かった。神託の盾の制服はそうすることに適している。黒い教団服は血を隠し、姿を隠す。
ましてやシンクのような小柄で素早さを得てとするタイプは特に効果的だ。
だが、実際に今は燦々と太陽が出ている。陰を作るような木々も無い。
身を隠すことの出来ない平地。早いところ町か森に辿り着かなくては分が悪い。
自分とルークというこの二人でいくら量がいたとて雑兵共に負ける気はしないが、追いかけてくる心当たりは思い切り六神将の連中だ。
「ちょっ……シンク!?」
どうしたんだと困惑の声に苛々する。そんなことも分かっていなかったのか。
今がどんな危険な状態なのかも。それでよく生きていられる
――――今はその瀬戸際だが。
「いいからキリキリ走りなよね」
有無を言わせず連れ出されたくせに、相変わらず口調はそっけなく冷たい、だが切羽詰ったようなシンクの声にさすがの能天気も不安になったようだった。
スピードはかなり早い。
少人数であるから機動力も高い。だが、決定的な欠点。
情報量と移動手段だ。
導師イオンと同じこの顔の所為で仮面をつける事を余儀なくされたシンクに、鮮血のアッシュと同じ顔をし、朱と翠というどこぞの王族の特徴を持ったルークでは人に物を尋ねられない。強烈な印象が残りやすいからだ。さらに馬を買ったとしても乗れないこちらに対し、向こうにはアリエッタの魔物と戦艦がある。
「ああもうほんとサイアク」
何がとは言わない
――――特定できない。
この状況、この不利さ、この現実。
予定外のことだった。
衝動的なことだった。
ただ、この同属が死ぬのだと分かった瞬間、手を取っていた。
小さな反乱。捕まれば自分も、これも、処分されるだけだ。
ルークは元々の予定通りに。シンクは元々お情けで息をしていたものが無に還るだけだ。
「……シンクっ」
「分かってるよ!」
騒がしい気配が近くにあることを感じ取って小さな岩陰に身を潜める。
「はーっはっはっは。さっさと配置に付きなさい」
「はっ!」
「シンクならこの辺りを通るはずです。ネズミ一匹見落とすんじゃありませんよ!」
覗いた先、目立つその見覚えのある趣味の悪い服、変な椅子、甲高い声。
「……よりにもよって……!」
出てくるのが誰かなんて何人も心当たりはないが、その中でも最悪だ。
「普段研究室から出てこないんだからそのまま出てこなければいいんだよっ」
それはルークの唯一の泣き所。
実際に繋いだルークの手が自分の手から抜けそうになったのをぎゅっと握る。
「戻りたい、なんて言わないでよね」
「……なんで」
「あんた死にたいわけ?」
「……そうじゃなくて!」
勢いの良い否定に意外性を感じながら見返せば、頭を掻き毟る勢いでルークが言った。
「あーもーだからなんでシンクがこうやって逃がしてくれるのかってことだよ!」
逃げる気など無かったのに。その意思すら振り切って。
生まれた意味を彼女は知っていた。ヴァンは隠さなかった。ディストは言い聞かせていた。知ったのはこれからそれが行われるということだけだ。

ルークは捕まったらヤバイことを知っている。師匠の優しさも恐ろしさもわかって居る。故にこの事体でシンクに掛かる危険の大きさも。

あまり身長差はないが、若干見上げてくる不思議そうな不安そうな心配そうな色々なものが混じった瞳から思わず目を逸らす。
「……別に。ただ気に食わないだけだよ」
そうだ。それはいつ自分に向かうか分からないことへの抵抗だ。
これは自分と同じものだから、自分がその立場になっても可笑しくはない。

本当に
―――――――

ただ、死なせたくないだなんて嘘だ。



-エスケープゴート-