泣きそうな顔をして斬りかかって来た少年をティアは驚いた顔で見、剣をロッドで受け止める。
可笑しい、と思った。
あの時、倒れたのは彼の剣にではない。彼の譜術であるはずだ。
そこで初めてその可能性に気が付いた。
「あなた……!」
そして至近距離で見分けた顔は、よく知った、眉間に皺のない、幼くて、昔見た傲慢さは欠片もなくて。
あの時感じた落胆を覆す―――
「ルークっ……!!」
居た、此処に、居た。
泣きそうだった。涙が、目元に盛り上がるのを感じた。
巻き戻ってきたこの世界で、ティアはルーク・フォン・ファブレとタタル渓谷に居た。
それなのにルークはいない。『ルーク』はルークではなかった。ここでの『ルーク・フォン・ファブレ』がティアたちの知る『アッシュ』であることは顔を見るだけで分かった。
あぁ、此処にもいないのかと思った。
アッシュが誰であるかなど考えなかった。
なまじ記憶のある人間だけと共にいたのが仇となったか誰もアッシュが此処に居るなら、此処での『アッシュ』は誰がやっているのかなど疑問は出てこなかった。
レプリカは情報があればいくらでも作れる。現にイオンのレプリカは沢山居た。ルークのレプリカが沢山いても可笑しくはない。
ティアはダアトにはあまりなじみがないから会った事がないとはいえ、アニスは同じ神託の盾本部で生活しているから顔も見たことがあるかもしれない。だが、あの『アッシュ』の顔しか思い浮かばなかったと言った。
記憶が二重になっているというのも考え物だ。
今のアニスが見れば、この『アッシュ』が誰であるかなど一目で分かっただろうに。
アッシュに記憶はない。けれど、ティアにも、ジェイドにも、アニスにも、記憶があった。
「ルーク!」
良かった、と口にする前に。
ごめんと小さな小さな声が聞こえて、意識は暗転した。
それが、『ルーク』との一番初めの出会いになった。
倒れたティアを冷静に見ながら、視線をその体からそれを行った人間に移す。
いくら六神将、前衛と後衛という戦闘タイプの違いがあったとしても、簡単に倒れる事はないはずだった。。軍人として甘かったときならともかく、今は1年近くを世界を巡り、ヴァンや六神将を倒した経験がある。先ほどまでの戦闘からして体が追いつかないという線は無いことも確認している。
つまり、その理由は向かってきた男にあるというわけだ。
赤い髪を見知った男と見間違えたか。ありえなくはない、だが。
男が顔を、上げた。
こちらに向かってくるために露になった顔が見えて、嫌でもその理由が知れる。
溜息を吐く。
「厄介な事になったものですね」
本当に厄介な事だ。どうして誰も気づかなかったのか。
否――――記憶の中では違ったのだから仕方が無いことではある。二重にある記憶は、意識の表層の所為かかつて”ルーク”と共に旅をした自分のものであることが強い。
「記憶があって尚ヴァンの元に留まるということは、今度こそヴァンを止めるとでもいうのですか?」
一瞬怪訝な顔をしたものの、やがて己の知るアッシュならば持ちえるはずの無い答えに至ったらしく、呆然とした顔になった。
「ジェイド……」
呟いてから慌ててしまったというように眉間に皺を寄せ、しかめっ面を作る。
なんとも拙すぎて演技ともいえない、その行動。
「ふんっ何を言っている。俺はアッシュだ。神託の盾・六神将が一人、鮮血のアッシュ」
「言ってて恥ずかしくないですか?」
子供は戦隊ものにはノリノリであったが、二つ名なんて恥ずかしいものを自ら名乗る神経はどうなっているのか。じゃっかん俯き加減なところに羞恥心が伺える。
「うっうっうっうるすぅえぇぇ!テメーに言われたくぬぇー!」
「私は自分で名乗ったりしませんよ、失礼な」
「じゃあなんで死霊使いなんて二つ名がまかり通ってやがるっ」
「さぁ?私のつけた呼び名ではありませんし……それより、似合わない事は止めておきなさい」
精一杯の物まねなのだろうが、猿真似もいいところだ。『ルーク』の『アッシュ』像がよく伺える。
(まぁ間違ってはいないようですが)
ちらり、自分たちの側に居るルークを横目で見る。
似てはいる。当たり前だ、彼らは同異体なのだから。前の『ルーク』同様、この時点では何もしらないルークが。
けれども。
「アッシュ」
ビクリと何故か傷ついたように彼は瞳を揺らす。
自分で言っておきながら覚悟もできていないらしい。やはりどうしようもないお子様だ。
そんな顔をするくらいなら初めから意地などはらなければいいものを。
(私が苛めているみたいじゃないですか)
此処に居ればそんな謂れの無い罪を着せて人を詰ってくれそうな面々にしか思い当たらなくて溜息を吐く。
幸いな事にティアは昏倒、使用人もナタリア姫もこの場面では現れない。アッシュは記憶がない。
まず此処に居る事はありえないが、もっとも厄介な陛下かもしれない。
(あの人も珍しくずいぶんとルークには肩入れしていましたからね……)
自分がこんなにも気を掛けるほどは珍しいことでもないのだろう。あの人は昔から優しくて可愛くて元気なものが好きだ。
ブウサギ然り……ネフリーだって昔はそうだったはずなのだ。
(しかしまぁ、もう少し苛めてあげなくてはならないみたいですね)
「そう呼べというのなら呼びましょう。ですがそれはあなたが『ルーク』であることの肯定とみなしますよ」
「なんだそれっ!?」
普通逆だろうと喚く辺りがすでに肯定しているようなものだと気付かないのだろうか。
肯定しても否定ししても、どのみちこちらとしての認識は一つしかないが。
残酷なことであろうとも、我々が求めるルークは彼でしかない。
「大体ルークはそいつだろっ!なんで俺をルークにしたがるんだよっ。なんでそんな残酷な事ができるんだよっ」
「残酷なのはあなたでしょう。我々が求めてやっと見つけた人物を否定する」
「五月蝿いっ」
びしりとアッシュに向けて突きつけていた指を握りこんで、剣を振りかぶる。
所詮、子供の癇癪だ。
譜術士とはいえ軍人としても伊達に長年槍を使ってきたわけではない。
それにしても最後は癇癪の力押しとは。
弾かれた剣を呆然と見て、泣きそうな顔で人の顔を見る男は。
やはり、子供は子供のままだ。
屑は屑箱へ灰は灰皿へ
(中編)