先頭でチラチラと赤い色が何かに苛立つように揺れている。
「おらっ!ちんたら歩いてんじゃぬぇーよブタザル!!」
昨日のあれは夢であったかのような暴君ぶりだ。
魘されて、辛そうで、泣きそうで。
夢のような話だった。荒唐無稽な作り話。
けれどそんなものでないことは分かっていた。そんな作り話ができるほど、ルーク世界を知らない。物事を知らない。預言をしらない。
それがルークの夢だったとしても、隔離された小さな世界で生きてきたはずのルークが知りえることのない、確かな知識がそこには存在した。
そうして確かにその説明は違和感を僅かに解決してくれた。小さく所々、けれど見過ごせない違和感を。
――――信じられないような謎も大量に落としてくれたが。
「親善大使様はどうも機嫌が悪いですねぇ」
見守る―――というよりは観察だろう―――するように同様やや後ろを歩いていたジェイドが同じ方向を見ながら言ってきた。
浮かべる表情は相変わらず胡散臭い笑みだ。
「何をしたんですか?ガイ」
「なんで俺なんだよ」
「昨日、二人でどこかへ行っていたでしょう?」
だめですよサボっては、と薄ら寒い笑顔を向けられてヒョイと肩を竦める。
野宿の時、そう離れては眠らない。気配に聡いこの軍人が気付いていても可笑しくはなかった。
「若者は元気ですねぇ」
「……気付くあんたも十分若いだろうに」
「いえいえ。老体には外でどうこうする気力はありませんよ」
「……違うっ!」
それがどういう意味で言われたのか気付いて遅ればせながらの否定を叫ぶ。
確かに、一度そういうコトに及んだことはあったけれど。
自分の感情は……とにかくとして、ルークは違うのだ。何も知らない、復讐のためだと思って行われた行為。
なんで知っているんだ、そういう関係に見えるのかと頭を掻き毟りたい衝動に襲われる――――だが、そんなことは無いはずだ。多少過保護といわれることはあるかもしれないけれど。
「まぁ冗談はさておき」
かき回しておいてあっさりとその話題を終わらせて、妙に弾んだ口調でジェイドは前方を示す。元々の話題のはずだった赤毛を。
「誰か止めないと爆発するんじゃないですか?」
ずんずんと進んでいくルークと、疲れた顔色を隠せず遅れだしているイオンと、それを気にしているアニスとを見て。
自分は止める気などさらさら無いと言いたげにニッコリと、やはり怪しさ満点の笑顔で言う軍人に、嫌そうに顔を顰めた。
畜生畜生畜生。苛々、する。
昨日の夜、ガイと話してから戻ったけれど眠れなかった。
その所為かもしれない。寝不足は頭の働きを鈍くし、痛みをもたらす。
分かっているはずのことも、些細なことも、気に障る。ミュウがちょっとウザイ喋り方だっていうのも、ティアが少しキツイのも、アニスがイオンを気遣ってトゲトゲしているのも、イオンの歩調がやや遅いことも。
全て分かりきっているはずなのに、苛々が止まらない。そのことに気付いてしまって。
(俺ぜんぜん変われてねぇじゃん……)
今この時は我侭で、どうしようもないお坊ちゃんではある。そうでなければならない。
けれど本当は、中身は変わったはずの変わることを決意したあとの自分のはずなのだ。
変わったとガイもティアもナタリアもジェイドもアニスも皆認めてくれたのに。
「止まれ!」
ぼんやりとしていた俺はそのまま進みそうになってガクンと後ろへ引っ張られた。怖いくらいな顔をして、いつの間にこんなに近くに居たのかガイが俺を隠すように前に立っていた。
「ティア。何故そんな奴らといつまでも行動を共にしている」
静かな口調ながらもどこか高圧的な響きは、ティアだけに向けられながら他を排斥することで確かに意識していた――――魔弾のリグレット。
どことなくティアに通じることのある雰囲気は師弟であることを納得させたが、彼女の方がさすが兵士としては数段上だ。感情が読めない、決然とした、冷淡とも思える口調。
キリリとした女性故に格好良いと思わせる所作に、ティアが憧れるのも無理は無いと思う反面、可愛いもの好きの彼女がどうしてとも思う。年上の女性を形容する言葉ではないが、リグレットに可愛さは見当たらない。
「モース様のご命令です。教官こそ、どうしてイオン様をさらってセフィロトを回っているんですか!」
「人間の意志と自由を獲得するためだ」
人間の意志?自由?
そんなもの今の台詞の中のどこにあるのだ。
イオンをさらったということからして”人間”の意志と自由を奪っている。
そう、あるのはただ他者の意志を無視し、殺し、世界を作り変えようとする傲慢だけだ。
「この世界は預言に支配されている。何をするのにも預言を詠み、それに従って生きるなど、おかしいとは思わないか?」
ああ、五月蝿い。
苛々、する。
預言、預言という奴らも、自由を高らかに謳い上げる奴も。
俺は死んでしまうのに。
こんな者のために俺は死ぬのだ。こんな矛盾した行為を止めるために。
師匠、あなたは確かに俺の英雄だ。どんなに否定されても、それはきっと変わらない。でも、それでも、苛々は募って。
「ティア……。その出来損ないの側から離れなさい!」
ぶちり、と。
元々張り詰めていた線が切れた気がした。
「……そうか。やはりお前たちか!禁忌の技術を復活させたのは!!」
「……ティアが誰といようとあんたに関係ないだろ」
同時に発された声の主と、内容と、声色のちぐはぐさに5対の視線が向かう。
激した感情を叩きつけるような声。
絶対零度の冷ややかな声。
常ならば反対の声色であるはずだと向かってくる視線が言っている。
そんなこと、どうでもよかった。ジェイドすら黙ったことも気にならなかった。
苛々と、ムシャクシャと、感情が止まらない。
昨日から一度溢れてしまった感情は収まらず、言葉も止まらないのかもしれない。
「あんたに命じられるそこに人間の意志?自由?どこにあるんだよ、笑わせるな」
唇が嘲るような笑みの形に歪むのが分かった。
愚かなのは誰だ。愚かで哀れで、出来損ないなのは俺じゃない。
俺だけだなんて言わせない。だって十分に愚かなものを見ているから。
「あんたたちにとって俺はできそこないなのかもしれない。だとして、どうした。だからってティアになんの関係がある?」
行かないと分かっていても、渡せるか、渡せない。大切な仲間を。
俺を見ていてくれると約束してくれる彼女を。
一緒に居ることを否定されて、笑っていられるほどの余裕は今無かった。
「……貴様。何を知っている」
「あんたたちのことで知ってることなんてほとんど無いさ。でも……」
全てを知っていると言えない事にはずっと前から気付いている。
知っているのは明かされた部分だけで、行われた事だけだ。
変わることを知らなければ、変わらないことも知らない。預言より役に立つけれど預言と同じくらい役に立たない。希望にすらならないから預言の方がよっぽど役に立つのか。
ただ何も知らないと思っている人間にしてみれば、驚くくらいに何でも知っているだろう。もしかしたら師匠の計画を今のリグレット以上に知っているのかもしれない。あまり確率は高くないけれど。
「俺には俺の命がある。例えおまえたちが認めなくても」
「戯言を」
訝しげに揺らいだリグレットの視線を轟然と見返し、押し勝ったのか。舌打ちを一つ、捨て台詞が放たれる。
「賽は投げられたのだ。出来損ないには出来損ないの末路が待っている」
「そうは……行くかよっ!」
剣を抜いてみせたが距離のある相手に攻撃を届かせる技は生憎と俺は持っていない。ジェイドみたいに武器を投げられればいいけれど、生憎と投げたら拾いに行くのが大変だ。やっぱりコンタミネーションは便利だと思う。
故に俊敏に去って行くリグレットを黙って見送ることしか出来ずに唇を噛んだ。
「ルーク……?」
沈黙のあと、やがてそんな心配そうなガイの視線を振り切って歩き出す。
苛々した。ガイの優しいはずのその視線ですら。
知っているだろう。話しただろう。ならなんでそんな視線を向けるのだ。
労るような、気遣うような――――疑う、ような。
「さっさと行こうぜ」
「待ってください、ルーク!」
慌てて我に返ったイオンがいち早く追って来たのを分かっていながら足を速める。
気遣いなんてしてる余裕はどこにもなく、息切れの音が大きく側で聞こえた。
ここが、と声が上がる。これが、とも。ただそれから先はなく、想像以上ですねとジェイドが言うまで、皆しばらくの間絶句した。
そうだこんな場所だった。あまりに酷くて、何をやっていいのか分からなかった。
今も、分からない。
手に手に薬を持って動き出した仲間たちをぼんやりと見送ってから、どうすればいいかと考える。救助活動をするのならルークも残された薬を手に駆け出せばいい。それくらいは分かっている。もう、汚いだとか移るだとかそんなことは思わない。
だが、それに何の意味がある。苦痛を一度和らげ救いの光を見せておきながら、暗い魔界に突き落とすのか。
そんな事をするくらいならこのまま、師匠のところへ。
早く、早く。
急かす心のまま行ってしまおうか。
笑顔でもう大丈夫ですよ、なんて嘘は吐けない。救助はきました俺たちが助けますなんてそんな嘘。
苦しくて、吐き出せるわけが無い。出来たとしても真実味は薄い。
此処まできて辛いことを先延ばしにしても仕方が無い。今なら多分、誰も気付かない。坑道の奥へ行くのに一人はやや危険かもしれないが、ルークならば行けないこともないはずだ。
(そうだ……行ってしまえ)
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
多少以前の繰り返しと違う行動をしたって結果は変わらないのだ。
だから、一人で。
「ルーク」
腕を掴まれて前に出ようとしていた体が阻まれる。
今は気付いていないけれど、少し騒げば気付かれてしまう。そんな微妙な状況の中で誰だと振り返る前に勿論気付いてはいた。その声を聞き分けられないわけが無いし、この状況で引き止めてくれる人など彼しか思いつかない。
引き止めてくれる、ということは見ていてくれているということだ。それが監視であったとしても。それは無視を知っている身からすればとても嬉しいことで。
だが、ここで騒ぐのは都合が悪かった。このまま口論を始めれば注意は引き付けられ、行くことは困難になるだろう。
賛成も反対も必要などないのだけれど。
俺が落とさなくても師匠は何かしら別の手段を考えるだろう。そうしたら俺を消せばいいだけ。”聖なる焔の光”はアクゼリュスに向かい、国を出たと国王は知っている。
アクゼリュスさえ落ちれば預言は成就されたのだと思わせるのは簡単だ。
「放せよ、ガイ」
「嫌だね」
飄々と、けれどどこか真剣な顔でそっけない答えで却下を貰い、むっとして喚く。
「放せってば!」
「そうしたら、おまえはヴァン謡将のところに行くんだろう?」
ああそうだ。分かってるなら聞くんじゃぬぇーよと思いながら、乱暴に振り払おうと思って足掻いても力の差か手は外れなかった。
畜生。どうして動かない。身長の差こそあれ、ガイだってがっしりしたラルゴのようなタイプではないのに。
割れている腹筋も所詮ハッタリ筋肉と言われる箱入りのルークと、我侭坊ちゃんの相手をさせられながらもちゃんと外の世界を生きてきたガイとの差か。
でもそんな差があったとしたってどうしようもないのだ。今、このときだけ止められたって。
「今から起こることは俺には止められない。ガイにも止められぬぇーよ」
「俺にはともかく、おまえには止められる」
だっておまえがやるんだろうと言外のその言葉を嗅ぎ取ってギリリと唇を噛む。何もわかっちゃいないガイの、何もわかっちゃいない台詞に胸がチクリと痛みを感じた。
「変えようと思ったって、変わらないことはあるんだ。だったら俺は自分の責任から逃げたくない!」
だってもう逃げないと誓ったから。
逃げ出さず、言い訳せず、自分の責任を見つめることを。
「俺はこの手でアクゼリュスを落とした。大勢の命を奪った。だから……」
小さく消えていく囁き。ガイにだけ聞こえるように、ガイだけは拾ってくれるように、耳元に囁きを落とす。
「賭けは、ガイの勝ちだよ」
「え……?」
困惑は思ったとおりすぐにガイを走り抜けた。
憶えてない訳は無い。ガイにとって人生を決めることにもなる重要な賭けだ。
できた隙に思い切り手を振り払う。それで完全に。
(おまえの勝ちだよ、ガイ)
だってそうだろう?
ガイが俺を勝たせてくれたのは、認めてくれたのは、今から行うことが故意でなかった所為だ、知らなかった所為だ。
知られてしまったら、軽蔑されるに決まっている。もしかしたら外殻大地を下ろすのも、師匠を倒すのも一緒に来てはくれないかもしれない。
これでいいのだ。これでよかったのだ。(寂しいけれど)
ああ、でもいつか俺はガイに殺されるのかもしれない。
そうしたらまた会える。一緒に居てくれるかもしれない。
「来たか……」
「はい、師匠」
どうやってか走って辿り着いた坑道の奥。
師匠の姿を見て我に返る。
「おまえ一人か?」
「えっ……あ、はい」
その問いにしまった、と思う。
師匠の後ろに位置するステンドグラスのような光の扉―――ダアト式封咒が施されたその扉を開き、セフィロトへ辿り着くにはイオンが必要なのだ。
なんと言われるか少し怖い。別に必要とされたいなんて思っていなくて、役立たずと思われても仕方が無いと思っているのに。それでもきっと傷つくのだ。
「少し待っていなさい」
けれど師匠は優しく宥める様にそう言った。まだ俺に優しくする価値があるのだ。もう少しだけ、その偽りの優しさが与えられる。気遣うように今までの道程を尋ねられ、頑張ったな、と褒められる。ガイを振り切ってしまったその代わりに、思わず安堵した。大丈夫、代わりなのも、利用するのも、お互い様だ。
やがてふらりとやってきたその人影を見て驚いて声を上げるまで。
「イオン!?」
「導師イオン。この扉を開けていただけますか」
はっと気付いたようにイオンの瞳に色が戻り、焦点を取り戻す。ルークをその瞳に映した。
「僕は……ルーク?」
一体全体どうしたのかと訳が分からないと混乱するイオンに師匠は言った。
「導師のお力が必要になり、申し訳ありませんがお呼びたてしたのです」
「ああ……そうでした。」
催眠術を見ているようだと思う。
師匠が言ったことを事実だと思い込むようにイオンの脳内は情報が出ているのだろう。きっと、ルークと同じように操作されたのだ。
「……これは、ダアト式封咒。では、ここもセフィロトですね。ですが、ここを開けても意味はないのではありませんか?」
「いいえ。このアクゼリュスを再生するために必要なのですよ」
それでも意識を取り戻したイオンは懐疑を見せたが、さあと促されると逆らうことはできなかった。
そして――――――――扉は開かれる。
一歩一歩近づくその瞬間に、パッセージリングに、恐怖で足が竦む。師匠に気付かれる前にいい加減にしろと叱責し、動こうとしない足を必死で動かした。
もう少し、もう少し、もうすぐ。
大丈夫、今更だ。もう何度もやってきたことだ。
忘れてはいけない、この苦しみを。だってそれ以上に死んでしまった人たちは苦しかった。だから死んでしまった人間を忘れることは許されない――――終わりを許されることは無い。
「さあ……『愚かなレプリカルーク』。力を解放するのだ!」
そのキーワードに合わせるように力を解放する。
暴走ではない。目的を持って放たれたそれは、パッセージリングを粉砕する。
知識があるからかもしれない。剣術と違い、知識を持って感覚知り、覚えた制御は失われていなかった。
だが、今の能力では耐え切れなかったのかガクリと膝を付く。旅は様々なものを成長させてくれたのだと実感する。所詮現実逃避だ。
「ルーク!」
崩れていく坑道からガイの声が聞こえて、ガイの金色が見えて。
そうして。
落ちていく、その時に。
これ以上失望させないでくれ、と言ったあの顔が見えた。
回帰する星