皆がいなくなって、大きなベッドが占領した狭い部屋もがらんとして見える。
一人になるのは久しぶりだ。いつも賑やかにちょろちょろしていたミュウもティアに預けたから余計。だってティアは母上が倒れたことでちょっと落ち込んだりしてたうえに、これからモースに報告に行ったりとかしなくちゃならないのだ。癒しが必要だろう。
なんでミュウが癒しなのかはいまいち分からないが、ティアは事ある毎にミュウを見て可愛いとうっとりしていたから、多分役に立ってくれるだろう。
……まあ外見は可愛いといえなくもないかもしれない。喋り方がウザイけど。
ごろりとベッドに寝転がると長い髪が広がった。
さすがのガイもあの行程でルークの身支度にまで気を配ることはできなかったらしく、ちょっと痛んだ髪がチクチクする。
頓着したことはなかったけど、ウザイかもしれない。なんで伸ばしてたんだろう俺。そういえばアッシュも長いけれど。
「砂漠行くし、切っちまうかな……」
どうせ後で切ることになるのだ。
ティアに整えてもらったけど、ガイにやってもらえばいい。
ティアに整えてもらうのも悪くはなかったけれど、やっぱりガイにやってもらうのが一番安心できるし。
「ガイの手ってなんか安心するからなぁ……」
風呂上りに髪を拭いてもらうのもだから実は好きなのだ。
そんなことを思い出してうとうととしかけて……やばい、寝そうだ。
今寝たら夜眠れなくなって、朝起きられなくなる。
明日は登城しなくちゃいけないのに、そんなんじゃまた寝坊して父上が酷く嫌な顔をする。
どうでもいいことだと思ったけれど、なんとなく眉間に皺を寄せたアッシュみたいな顔を思い出して、むっくりと起き出した。
「あ〜ガイのとこでも行くか……」
この家の中でならばルークが行ってはいけない場所などない。
外には行けなかったけれど、その分この狭い世界の中ではルークは絶対で、ガイが仕事できたり、窓からきたりしてくれることの方が多いけれど、自分から行くことだってないわけじゃなかった。
ノックもそこそこに扉を開ける。
「なんだ?ルーク」
「あ〜ちょっと……」
声を掛ける前に、開けた途端ガイが顔を上げた。
暇で、っていうのは仕事をしてるガイには嫌味にしかならないし、別段用事がある訳でもないし。
困って目を走らせた机の上に、ガイが向き合っていた書類の束を見て、思わず疑問を口にする。
「ガイって俺の世話係なんだろ?紙と睨めっこするような仕事なんてあんのかよ」
「ま、俺も長いからな。色々あるんだよ。それに今回のことだって決算出して、報告書も挙げないとだしなぁ」
「へぇ〜」
そんなものなのか。
ガイは自分のことをよく使用人、使用人、と言うし、実際外殻大地を下ろして暇を出されるまではファブレ家の使用人であったけれど、どんな仕事があるかなんて知らなかった。
「……見てられるとやりづらいんだが」
「あ、悪ぃ」
謝ってから、まてよと気づく。
ガイがそんな愁傷な神経を持ち合わせているなら、なんで他の時は押せども引けども生返事で手を止めないんだ。
「……おまえ音機関弄ってるときはきにしねぇじゃん!」
「そりゃ好きなことと、やりたいわけじゃないけどやらなきゃいけないもんじゃ、集中力が違うだろ?」
結局追い出されて、廊下をぷらぷらと歩く。
母上のところに行くのは、ティアもナタリアも来たし、疲れているはずだから止めた方がいいだろう。寝ているかもしれないし。
父上のところなんてまず無理っていうか行きたくない。だいたい登城してから帰ってないだろう。
外出するのはもしかしたら出来るかもしれないけど、街中で皆に会ったら気まずいし、誰に断りを入れればいいのか分からないから駄目だろう。ラムダスが判断できる事柄でもないだろうし。
「メイドと話してもなぁ……どうせガイの話にしかなんねーし……」
しかも十中八句面白い話にはならない。
やれガイがカッコいいだの、素敵だの、可愛いだのと、相場は決まっている。
ガイのことを情けないとこき下ろす女は、この屋敷の中じゃナタリアくらいだ。
(確かにカッコいいけどさ……)
ルークよりもよっぽど気品があったり、紳士的だってのは肯ける―――――あの気障な台詞の数々はどうかと思うが。
ああ、でもルークを育てたのはガイだから実はそうでもないのか。
窓からの出入りは行儀のいいもんじゃないし。
「あとっつっても白光騎士団の連中じゃなぁ……」
訓練に付き合ってもらうという手はあるかもしれないが、いまいちそんな気は起きない。
守るべきだとか思っているのか、あいつ等はガイと違って手加減をしすぎるのだ。
あからさまな手加減は正直楽しくないし、苛々とするだけだ。
となると……やることが見つからない。
7年間ここだけで生活してきたというのに、ガイが相手にしてくれなければ、相手にしてくれる人間なんてあんまりいないのだ。
「……それって寂しい奴じゃね?」
今更なことに気づいて、立ち止まったら、はたと小さい背中が目に留まる。
中庭の主とも言えるペールは丁度一仕事終えたところのようだった。
そういえばジェイドと何か話していたけれど、本当はやっぱり知り合いなのだろうか。
ペールが騎士であることはガイが言っていた。ガイは奥義を習得するのに色んな人から口伝で伝授されたみたいだけれど、基礎はペールに習ったって言っていた気もした。
とすると二人があったのは戦場でなのだろうか。
……ちょっと待て、ジェイドは何歳だ。
いや、でも確かナタリアの師匠の目はホド戦争でジェイドが潰したんだったか?
でもそれはホドが崩落したのがきっかけで起こったのなら、今度はペールが参戦できないか……
う〜んと悩んでいるうちに、足は体をペールのところまで運んでいた。
「おや、ルーク様」
「ペール、ちょっと相手してくれね?」
「よろしいですよ。何か気になるものでもありましたか?」
手入れした花壇の花々を見渡し、ルークへとまた顔を向ける。
「そうじゃなくてさ、こっち」
ちょいちょいと腰に挿したままの剣を示す。
「ルーク様……?」
「ガイがあれだけ強ぇんだからちょっとくらいペールが強くったって可笑しくヌェーよ」
困惑するペールには悪いけれど、騒ぎ出した好奇心は収まりそうにない。
「ですが……庭師風情がそのような……」
「別にペールを苛めたいわけじゃないんだ」
「ルーク様がそんなお人だとは誰も思いませんよ」
どうだろう。ここでの俺は、どうしようもなく我侭で、どうしようもなく俺様で、乱暴だ。
どうせ前は違ったのに、お可哀想なルーク様、なんて思われてるだけだろうから、どんな評価を下されてるかなんて興味も無ければ知らなかった。
―――――怖かっただけでもあるけれど。
そんな不安を見透かしたように、見覚えのある穏やかさでペールは笑う。
「皆、ルーク様はこのペールのような庭師にもお声を掛けてくださる、優しい方だと思っておりますよ」
どうしてガイがあんなに優しくて、あんなにいい奴なのか分かった気がした。
***
楽しくもない書面にガリガリとペンを走らせて、さっさと終わらせていく。溜まったと言っても机が埋まるほどではないからすぐに終わるはずだった。
書類仕事は好きではないが苦手なわけではない。
ひたすら動かしていた手を止め、やっとペンを置いてからぐっと伸びをする。
さすがに腰が痛い。
「さて、と。ルークのご機嫌伺いでも行くか」
外の世界を体験した今は、この鳥篭は狭いだろう。
話し相手だってティアやジェイドが帰ってしまったのならガイしか居ず、寂しがってむくれているかもしれない。
あんな風にかまって欲しいとやってきたのに追い返してしまったし。
ルークが可笑しいと思うことをペールに相談してみたかったけれど、先にルークの相手をしてやるほうがいいだろう。
ペールに相談するのは夜でも十分だ。むしろその方が人に聞かれる危険性が少ない。ルークのことを話すのに、時折零れる古傷と暗い感情は、人に聞かれてはまずいものだ。
「まぁ先にこの書類をラムダスのところに出しに行くのが先か」
家に帰るまでが遠足、という論理と同じように、提出するまでが仕事だ。
部屋か、庭か、探すまでもないとは思うが、ルークの居場所をついでに聞いてみればいい。
必死に終わらせた紙束を持って、中庭に面した通路を通って何気なく視線を向けて。
「っ……!!」
目にしたものに思わず動かしかけていた足を止める。
中庭にルークが居るのは珍しいことではない。そこで剣の稽古をするのは、珍しいことではない。けれど、ルークの相手をするその小柄な姿は。
それはガイの役目だったはずだ。
それはガイにだけ与えられる剣であったはずだ。
それなのに。
「何故……」
ルークとペールが剣を合わせているのだ。
何故、何故、如何して。
グシャリ、と持った紙束が潰れた。
回帰する星