昨日は結局ガイに会えなくて髪はそのままの長さだったけれど、ペールがいい話し相手になってくれたからそれなりに暇はしのげた。
夕刻はともかく夜になってもガイが姿をみせなかったのは、仕事が終わらなかったのかと思いはしたが、また邪魔だといわれるのはさすがに傷つくのでちょっかいを出しに行くのは止めておいた。
まぁガイはこれからまたしばらく留守にするから、その分の仕事もあるのだろう。
起しにきたのもメイドで、ちょっとそれが不満だったけれど、父上が呼んでいるということで慌てて応接間に向かった。

「父上」
「ルークか」

応接間に居はしても、すでに出かける気がはっきりと分かる様子で立っていた父親に、ついつい申し訳ない気分になる。
別に言われなくたって知っているのだから、そんな忙しい時間を割いてもらわなくても平気なのに。

「ナタリア様から至急登城するようにと御使者が参られた」
「昨日の件ですね」
「ああ。私は先に行っている。ルーク、共は玄関で待たせてあるから用意が出来次第おまえも来るのだ」

ルークの護衛といえばたいていはガイなのだが、さっき通ってきたときに玄関に控えていたのはガイではなく、ファブレ家お抱えの白光騎士団の甲冑を纏った騎士だった。

「ガイは……?」
「ガイもナタリア様に呼ばれ登城した。数日間とはいえ面識があるからな。マルクト、ダアトの方の接待を任せている」
「だったら別に共なんていいです。目の前の城にくらい一人でも行けます」

父上は口答えに一瞬不快そうな顔をしたけれど、仕方が無さそうに首を振った。

「……いいだろう。すぐに来るのだぞ」

これから騙す形で死地へと送る息子の些細我侭くらい目をつぶろうというのだろうか。
それとも、そんな些細なことで煩わされたくないというのだろうか。
どちらにしろ、自分を思ってのことではないことだけは確かだ。
だって、まだ居るのなら一緒に来いと言えばいいのに。食事は取っていないけれど、剣も腰にあり、外出の準備などすでに出来ているのだから。



茶番の中の茶番に付き合うのは苦痛だ。



延々とアクゼリュスの説明は続く。
それがなんだ、それがどうしたと、そんな知っていることばかりなうえに、難しい言葉を使うから、欠伸がでそうなのを堪えてちょっと涙が滲んできた。

「陛下は、ありがたくもお前をキムラスカ・ランバルディア王国の親善大使に任命されたのだ」

やっとたどり着いた自分に関係のある部分に、まだまだ先は長いなぁと思いながら了承の言葉を吐いた。
そうすれば満足気に陛下は預言の話に移ってくれて、譜石まで持ち出して、ティアに読ませるけれど、そういえばティアは音律士で預言士ではないのになんでこれは読めるのだろう。

――――ND2000。ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。名を聖なる焔の光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄に導くだろう」

朗々と謳い上げるティアの声に聞惚れる。
相変わらず綺麗な声だ。
がみがみと口うるさいティアを最初はあまり好きではなかったけれど、そんなときからこの声は純粋に綺麗だと思っていた。
ちなみに今は大好きだ。彼女は最初からちゃんと教えてくれたし、叱ってくれた。それを遮っていたのはいつも自分で。
叱ってくれるということは、自分を見ていてくれているということで、慕ったヴァン師匠と同じことを彼女はちゃんと初めからしていたのだ。買い物の仕方を教えてくれたのも彼女だった。今ではそんなことも知らなかった自分に笑えるけれど。
ガイだってなんで教えてくれなかったんだろうと思ったけれど、あの屋敷のなかでそんなことを教えるのは困難だっただろう。
本当にとんでもないな、俺の育った環境は。

「ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ、鉱山の街へと向かう。そこで……この先は欠けています」

そうティアが締めくくったのに深く肯き、陛下はさらに笑いのツボを抑えたことを言った。

「結構。……古代イスパニア語に言う聖なる焔の光とは、今のフォニック言語では「ルーク」。お前の名だ。つまりルーク、お前は預言に詠われた、選ばれた若者なのだよ」

そこまで言われて、ついに吹き出すかと思った。
ヤバイ、声を最大で笑いたい。
ていうかよくこんなもの、ジェイドが吹き出さずに居られたなぁと思う。実は鼻で笑ってたりしないだろうか?だったら見たかった。それを楽しみにしてればよかったのに。

で、誰が選ばれた若者だ。ああ、そうか預言という名の神様に贄へと選ばれた若者か。
……それのどこがありがたいのだ。
それを知っていても有り難いときっと本気で言ったのだろう、父のアッシュと似通った面差しを見つめて思う。
思うだけで決して言えはしないのだけれど。

英雄になるという高揚感は今は無い。
だが、否定も拒絶もありはしない。一度通ったときから、アクゼリュスが呼んでいる。
それに。

「ヴァン師匠を解放してくれるなら……」

師匠は解き放ってもらわなくてはならない。
慕う気持ちはなくなってはいないものの、師匠に認めて欲しいとか、心を改めてほしいとか、そんな思いはもう無い。
やりすぎだと思った。酷いと思った。そんなのは認められなかった。
でも、師匠の企てがなかったら、人は預言を捨てて生きていけただろうか。
自分も、アッシュも、ナタリアも、ジェイドも、アニスも、ガイも、こんなに一生懸命に走り回ったのは師匠が色々と仕掛けたからだ。
だって知らないのだ。
ホドと一緒に落ち、地核に隠された第七預言を誰も知らない……モースですら。
そう思うと、なんだか師匠がああなる事を望んでいたように思えて、ほんの少し切なくなった。

「英雄、か……」
「ルーク?」

それはもしかしたら悪役に徹した師匠のことなんじゃないかとふと思って、どうしたと陛下が不思議そうにとがめたのになんでもないですと答えて身を翻す。
ナタリアの縋るような視線が追ってきたのは気づいたけれど、答えることなんてできない。どうせ彼女は今自分が何か言わなくても追ってくるのだし。
こればかりは知っていることだけではなく、彼女の性格を考えたって明らかだ。
それよりも、謁見の間から出る前に寄り道をしてモースを見る。

「ルーク様、此度の大任真に……」
「……あんたの思い通りになんてならヌェーよ。預言なんてクソ食らえだ」
「……貴様……何を知っている?」

おべんちゃらを使おうとしたのを遮れば、ギクリと身を震わせてそんな事を言ったモースが可笑しくて、笑った。










見つけた古い非常口を開ければ、風が古いオイルの脂臭い臭いをつかの間吹き飛ばす。何時間ぶりかの美味しいと感じる空気に沢山息を吸い込んだ。
もうすぐアッシュに会う。
ここを抜けてしまえば、アッシュがイオンを連れて外に居るだろう。

「ルーク?」

後数段。そんなところで思わず動きを止めてしまったルークに目敏くガイが声を掛ける。はっと我に返って後ろが詰まってしまうと慌てて残りも降りようとしたけれど、何を思ったか差し出された手をきょとんと見つめると、ガイは当然のように笑った。

「ほら、ルーク」

どうやら降りるのに手を貸してくれるということらしいが。

「……なんで手ぇ引いてもらわなくちゃなんねーんだよ……」
「なんでって使用人がご主人様をエスコートするのは普通だろ?」

そりゃそうだ。しまった忘れていた。
でもなんだこの絵図ら。なんか違うだろう。
せめてナタリアかティアだったら絵にもなるのに……アニスはもちょっと身長が欲しいところだ。
もっともガイには無理だけれど。天然で気障なのにもったいない。

「ていうか梯子なんて手借りて降りるもんじゃないだろ」

ガイの手を払いのけて、よっと数段を飛び降りる。そうして振り向く前に大きく、息を吸った。
どうかアッシュに気づいてもらえるように。
ここまでは来た事を示すように。
次に進む指針をもらえるように。
不自然な自分を晒さないように。
その赤を目にした瞬間に吸った息を全部ぶちまける。

「イオンを、返せえぇぇぇぇ!!」

振りかぶる刃は危なげなく受け止められ、弾かれた。
そのままお互いに飛びのいて大きく距離を取る。
ちょっと悔しい。そりゃ確かに今の体力も技術も戻っているけれど、経験としてはなくなったわけではないのに。

(ユリアシティで本格的に対峙するときまでにもうちょっとなんとかしよう、うん)

「あっ……」
「ルーク!」

息を呑む音、駆け寄る足音、それらを耳にして、向こうは向こうで作戦の指示をする。

「アッシュ!今はイオンが優先だ!!」

シンクの台詞に舌打ち一つ、去って行くアッシュを剣を納めて見送る。追いかける余裕はこちらにはないだろう。
みんな呆然としていて、ジェイドは一人泰然としているけれど、イオン救出に向かう気はなさそうだし、一人で突っ込む気はルークにもなかった。

アッシュとまともに顔を合わせても吐くことはなかった。
当然だ。同じ顔の人間をもう知っていたし、ここで会うことも知っていたし、驚く要素なんてどこにもない。
アッシュ。俺の完全同位体。
俺の被験者。
オリジナルルーク。
自分がこうやって世界を繰り返しているのなら、アッシュはどうしているだろうか。

冷たかった体。
その感触は覚えているけれど、同じく死ぬはずだった自分がこうしているなら……生きて、いるだろうか。

「決めてください、ルーク。イオン様を捜して陸路を行くか。あるいはナタリアを王に引き渡して港の封鎖を解いてもらうというのも……」
「そんなの駄目ですわ!ルーク、分かっていますわよね?」

ジェイドがいつの間にか近くに居て、続いてナタリアが抗議するのに慌てて意識を向ける。

「え、あっ……ああ」

呆けている暇はないということらしい。
頭をアッシュから切り替える。この先のことだってどうせ知っている。星の記憶よりも正確に、具体的に。
いくら馬鹿な俺の頭でも、こう何度も繰り返せば大体の道筋くらいは憶えるのだ。

「陸路を使ってアクゼリュスに向かおう」
「ルーク様!?」
「その方がイオンも探しやすいっていうか……
ナタリアにも居てもらわないと困るし

ぼそりと言った事は聞こえなかったらしい。
それより大げさに驚いてみせたアニスとささやかに驚いてみせたジェイドが酷い。
別にちょっと頭良さそうな話をしたって、そんな驚くことないじゃないか。
どれだけ馬鹿だと思われていたのかと思うと、ちょっと傷つく。

「では、予定通り砂漠を抜けて、ケセドニアに向かうということでいいですね」
「ああ」

ジェイドを先頭にアニスが、ティアがナタリアが足を動かしだす。自分のことでないだけ立ち直りは早い。
別にルークだってそんな衝撃を受けているわけではないけれど、ただアッシュを見てしまえば思うことはあって、どうしても足は重たくなって。

「ルーク」

先に進む背中が視界に入らなかったと思ったら、近くに寄って覗き込むようにガイが身を屈ませた。

「なんだよ、ガイ。皆行っちまうぜ?」
「大丈夫か?」

ガイが心配するのとは多分違うけれど、確かに空元気であることは認めなければならない調子で答えれば、無視するように真剣な顔でガイは言った。

「無理してないか?」
「……あのなぁ……無理なんてしてねーっつーの!おまえ最近心配性すぎじゃねぇ?」
「そーか?だがアッシュの顔はちょっとびっくりするほどおまえにそっくりだったろ……」
「別に、他人の空似だろ。俺は一人っ子なんだし」
「そりゃそうだが……」

未だ納得がいかない顔をしているガイに、頭を悩ませながら進行方向を見る。別段迷うことはないだろうし、ガイと一緒なら逸れたってそれほど戦力的に不安になるわけでもないけれど、早くしなければ。先頭のジェイドの姿なんか大分遠い。

「だいたいさ、世の中に似た人間は3人は居るっていうんだぜ?そのうちの一人に会ったって別に可笑しくないだろ」
「……あ、ああ……」
「なんだよその変な顔は」
「ルーク……よくそんな言葉知ってたなぁ」

感心というより本当に心底驚いたとでもいうように目を丸くしたガイにひくり、とコメカミがひくつく。元々アッシュのレプリカである俺の気が長いわけがないのだ。
そりゃ確かに本も好んで読まないし、人の話だってそんなに真面目に聞くほうではなかったけれど、それでも。今の俺には酷い言い草だ。

「一生一人で悩んでろ!!」
「うわっ……悪かったって、ルーク」

慌てて追ってきてくれるガイは、何処までもいい奴で、何処までも優しい奴で。
だからガイがどんな思いだったかなんて本当のところはいつだって、今だって知らない。



する