平気だというガイを船室に追いたてて、考察を始めた頭脳組をなんとはなしに見る。
別にルークに怪我はない。剣を向けられたわけでもなく、突き飛ばされたくらいだ。それも柔らかな絨毯が引いてあった。
でもそれだけでああ、俺はガイに憎まれているのだ。そう実感させられて、胸がのあたりがキリキリと痛んだ。
何度見ても慣れない。慣れたくない。
距離で威力が変わるらしいけれど、同じ建物内にはいなかっただろうと言える距離、テオルの森のときよりも大分遠くにいて、突き飛ばすという程度の攻撃行為はどのくらいの憎しみ量なのだろう。

「やはり、イオン様を狙ったのでしょうか?」
「そうですね……」

思案するティアに、それにしては周りくどいとジェイドが考え込む。
その性質をジェイドが知っているのかどうかまでは分からないけれど、確かに回りくどい。
イオンを浚うなら、彼が一人になったときや、アニスと二人になったときの方が効率的で、わざわざ警備の目がある領事館で、仲間全員が揃っている場所で使役する必要はない。カースロットではアッシュのように相手を”見る”ことはできないのかもしれないが。
そうだとしても、砂漠で気づいたことを考えればそれは多分……

「……違う……」

イオンは関係ない。何でもかんでもイオンの所為にするのは酷い。それはイオンを責める言葉ではないけれど、聞いた本人はそうはいかないだろう。
自分の所為で誰かが、仲間が傷つく。
導師という立場柄、慣れていないことではないと思うが、それだって辛くないわけではないだろう。

「ルーク、それはどういう意味?あなた何か知っているの?」
「へ?何が?」
「……あなた、さっき違うって言ったでしょう?」

口に出したつもりはなかったけれど、どうやら出ていたらしい。間抜けな答え方をしてから気づくが、もはや遅く。

「こんなときに紛らわしい発言はやめて頂戴」
「別に、俺がなに言おうと関係ねーだろ」

はぁ、とティアの口元から溜息が吐き出された。







此処に居て余計なことを口走らないように難しい顔の二人からそっと離れる。
どうしようか、何処に行こうか。
一人ではあまり居たくなかった。一人でいれば咎められることもないけれど、いつか終わる時間を無駄にしている気分にもなる。
嘘だ。アクゼリュスが近づいてきたのが身にしみてきて怖いだけ。何度繰り返しても、違和感があっても、仲間と居られることは嬉しかった。
だから無難な相手を探そう。
ここには話しかければ相手をしてくれるペールや使用人たちはいない。
(だから俺、寂しい奴なんだろーなぁ……)
屋敷でも思ったがそんな溜息を吐こうとして、ルークと優しい声に呼ばれて振り返った。

「なんだか辛そうな顔をしていますね」
「別に俺は平気だよ。それよりおまえは平気なのか?」
「ええ。昨日ゆっくり休ませて頂きましたし、今は船の移動ですから」

そうか、なら今ならと思って止める。
ガイの変わらない優しさに慣れきって、早く終わって欲しいと思ったけれど、まだガイの話を聞いていない。
それにデオ峠を登るから駄目だ。
たしか今はもう使われていないにしては綺麗に整備されていたけれど、あそこは結構な山道だ。イオンを疲れさせるのはそれこそ可哀想だ。

「ちょっとガイんとこ行って来る。船下りたらあんまりゆっくり喋れないだろ?」
「そうですね……カイツール以外では野宿になりそうですし。でも……」

言い辛そうに言葉を切り、瞳を彷徨わせてからイオンは躊躇いがちに言った。

「まだ少し休ませてあげた方がいいのではないでしょうか……」

やんわりとした制止は、ガイの体調を気遣うようでいて、その実ルークを気遣う台詞だ。多分ガイの痛みは引いたらしいから問題はないとは思うけれど、今は術を行使するのをやめただけで、まだ術を行使できる程度の距離にシンクはいるかもしれない。もしそうだったら傷つくのはルークだ。距離があるから身体的な脅威はガイが無理にでも止めるかもしれないが、向けられた攻撃は間違いなくルークの心を傷つける。
勿論ルークを傷つけたことでガイが気に病んだり、仲間の関係がギスギスすることを恐れているのかもしれないが、それでもルークのことを心配していることには変わりはない。
ごめんな、イオン。優しいことを俺は言ってやれない。

「知ってるんだ」
「ルーク?」
「ガイに掛けられた……カースロットっていう奴がどんな術だか」

それはイオンが説明した以上のことであると言う意味を正確に読み取って、イオンは何故という顔をする。
何故、どうして。
いつかは分かることかもしれないけれど、イオンだってきっと突き飛ばすという程度が攻撃行為に入るのかどうか疑問なのだ。それでもカースロットの性質と、いくら一番近くにいたのがルークだったからとはいえ、ルークだけを突き飛ばしたという事から、ガイの憎しみの心がルークにあることを読み取った。
ルークがカースロットの性質を知っていること以上に、ガイの憎しみがルークに向いていることをルークが知っているのか。
けれどイオンは問うことはしなかった。その代わりにそうですか、と溜息とも感嘆ともつかない息を吐いて。

「ルーク、あなたは知っていてもガイを信じているんですね」
「ガイを信じてるっていうか……知ってるんだ」

ガイが憎しみよりも俺を選んでくれることを。
過去よりも今を選んでくれることを。
ただそれだけなんだ。







コンコンと申し訳程度に叩いたドアを開けて部屋に入れば、ガイは椅子に足を組んで座っていた。まあ調子が悪いというわけでもなく、ベッドに入る気分ではなかっただろうし、手持ち無沙汰なようだ。
船室には寝台が一つ、机と水差しが一つ、椅子が一つ。
ほとんどが木製か染めてもいない木綿の部屋の中で、ガイの金髪はキラキラして目だった。
たいした距離でもないのに一人一部屋は贅沢だったが、有り難くもあった。もっとも公爵子息を親善大使にして乗せるというには連絡船は聊か貧相であると知事は言ったが。
だからなんだ、と思う。
船は海の上を走れればいい。急ぎの公務では渡りきれればそれでいいはずだ。それに少しの乗り心地のよさ……例えば彼等が泊まる宿程度に清潔な船室があればもっといい。
この船は丁度いいし、十分だと思う。
豪華な船など俺には必要ない。アクゼリュスを滅ぼしに行く俺に。

「ガイ」
「なんだよ、ルーク。深刻そうな顔して」
「ん、ちょっとな」

ちょこんとガイの向かいにあったベッドに腰掛ける。それほど長い話をするわけではなかったから立ったままでもよかったけれど、それだとなんとなく落ち着かない。そもそも何を話していいのかいまいち分かっていない。というか決めてない。

「で?どうしたんだ」
「皆はまださっきの話とかしてる」
「なんだおまえサボってきたのか?」
「ちっげーよ!」

そりゃそうだよなと。ガイはジェイドが逃がすわけがないと言って笑う。
いつも通りのやり取りだ。いつも通りすぎて不気味なくらい。
ガイは自分でカースロットの動きを理解しているのだろうか。
憎しみが体を動かそうとする感覚を感じ取ったのだろうか。

「なんか言ってたか?」
「あ〜別にジェイドとティアがイオンが目的かなとか話してたけど」
「どうだかな」
「心当たりあるか?」
「さてね。ま、相手がシンクっていうかのが……」

何か心当たりはあるらしい。
これから先を思い出したってそんなものあったっけと思ったけれど、ガイがひっそり理解していたこととか、思っていたことは全く全然分からない。
俺の記憶は行動や進路を多少効率よくするのにしか役には立たず、人の心を読めるものじゃない。

「ガイは秘密が多すぎてどうしたらいいか分かんねぇ……」

責めたつもりはなかった。
ただ、自分の情けなさを零してしまっただけだった。

――――――けれどそれがガイの心の堰を切った。

「お前だって隠し事の一つや二つあるだろう!!」

唐突な激昂にビクリと肩を震わせる。
どうしたんだとガイを仰ぎ見れば、睨み付ける鋭い眼光に怯んで固まる。
一瞬、カースロットかと思ったくらい驚いた。
だがカースロットなら怒鳴らないで斬りつけるだろう、きっと。
だからこれはガイが純粋に怒っているということで、それが益々ルークを驚かさせた。
付き合いが長いから喧嘩をすることはあったけれど、結局は表向き主というルークにガイが一歩引いていたのか、こんな風に怒鳴られることはなかった。

「そんなの……」

ないよ、と続くはずだった。
ガイに隠し事なんてできるわけないじゃないかと、笑うはずだった。
けれど、ガイが笑って遮った。どこか酷薄な、どこか残酷な。
まるで別人のような、見たことのない、笑み。

「俺が、気づかないとでも思ってるのか?」

思ってるさ。思ってたさ。
だって、だって、だって。

「だっていつも気づかなかったじゃないか!!」

どうして俺が責められなくてはならないのだ。
隠し事はあった。沢山あった。
知っていることを気づかれないように頑張った。
だってこんな茶番を一緒に演じてくれなんて言えないじゃないか。変えてしまったら、どこで結果が変わってしまうか分からないし、変えようとしたって変わらなかった。
俺の罪をまざまざと見せ付けられるだけで、そうして死んでいく。乖離の恐怖に耐えながら。次があるかどうかに怯えながら。

「なのになんで今回は気づくんだよ……」

唇を噛んで、搾り出したような声になる。
泣く。なんで今回はこんなに泣いてばっかりなんだろう。ガイの所為だ。俺の水分返せよ。

「どういう、意味だ?」

真剣さはそのまま、困惑したように眉尻が少し下がっていつものガイに近かったけれど、それがなんだ、もう知らない。

「隠し事くらい誰にでもあるんだろ?」

かっと見開かれた瞳に、ガイの頭に血が上ったのが分かった。
カースロットは術者との距離に比例するけれど、その術を解かない限り、ガイがルークを憎めば術者が遠かろうが近かろうが関係ないのではないか。
いや、そもそも憎んでいる者にカースロットなんて関係ない。
理性、というものでは抑えられないものも……ある。

――――――その目が憎いと言っている。

視界が回る。あ、と思ったときには仰向けに倒された状態で寝台に押し付けられていた。
ガイの側に剣はない。手も両腕を押さえつけることで使われている。
そうしたら、その態勢で起こることは、微妙に予測ができた。
その手のことはよくしらないけれど、これだけしかも何度も旅をしていれば、耳には入ってくることもある。

「俺をめちゃめちゃにして、そしたらガイの恨みは晴れるのか?」
「……かもしれないな」

じっと視線をあわせていると、葛藤が伝わってくる。
見知らぬ復讐者の顔と、よく知った親友の顔。
そうだよ、ガイは俺を迎えに来てくれたんだ。俺を信じてくれたんだ。俺を少しでも好きでいてくれたんだ。
憎いだけじゃない。
俺と七年間、アッシュともう数年、何時だって殺せたのに殺さなかったじゃないか。俺と賭けなんかして。
こんな風に苦しめてごめん。

「だったらいいよ」
「……ルーク……?」

理解できない、というような困惑した顔で、声で名前を呼ばれて、どこまでいい奴なんだろうと切なくなった。

「俺の命はあげられないけど、命と戦える体を残してくれるなら、いいよ」

そうやってガイに復讐を遂げさせてやれるのは悪くはない。
瘴気中和さえなければそれで殺されるのもいいと思ったりもした。だってガイだけ憎しみをぶつけられずに押し殺さなきゃいけないなんて酷いだろ。
だからそれはとてもいい思い付きだ。
俺の命さえあれば瘴気を消すのに使えるし、ローレライの鍵も受け取れる。そこに辿りつくまで皆の邪魔にならなければそれで十分だ。
それでガイの憎しみもちょっとは昇華されるなら、一石二鳥じゃないか。

「おまえは……」

ガイが唇を戦慄かせた。どうしたんだろう。
言葉が続かない代わりにキリキリと掴まれた手首が痛んだ。

「おまえは誰だ……俺の知ってる我侭な餓鬼じゃない」
「でも俺はルークだよ」

ガイが育ててくれた、ガイの親友の、ガイが剣を奉げてもいいと言ってくれた。
この目の前のガイは俺が貰った言葉を全部は言ってくれていないけれど、ガイで、同じ思い出を持っていて。
思い出話だってできる。屋敷でのことは忘れてしまったことが多いかもしれないし、現に賭けのことだって憶えていなかったけれど。

「ガイが憎んでるファブレ公爵の一人息子(のレプリカ)だ」

断定して言ってしまうにはアッシュに悪い気がして、こっそりと付け加える。
この時点でアッシュはガイに好かれているわけでも、憎まれているわけでもない。
六神将の鮮血のアッシュ、としての認識しかまだない。
それもあと少しだけれど。

「ガイに否定されたら俺は無くなっちまう」

憎まれるよりも否定される方がよっぽど恐ろしい。
何処までが夢で、何処からが現実で、いつからが夢で、いつが本物で。
今は、なに。
憎まれるのはある意味で個として認められているということだ。
アクゼリュス崩落からは何時だって切羽詰まって駆け回っていたから、直接的に憎しみをぶつけられたことは無い。どれくらい辛いことなのかなんて分からないけれど。

「そっか」
「うん」
「憎まれるのはいいのか」
「うん」

何も知らないお坊ちゃんが何を甘ったれたことを言ってるんだと言われると思った。
憎まれるのがどんなことなのか知らないくせに、と。
さっきまでは憎まれるのが悲しかった。それを見せ付けられるのが嫌だった。
でも……否定、ということは考えていなかったからだ。
これがきっとガイ以外なら鼻で笑って、自分から一番の復讐方法を明かして馬鹿じゃないかと思われるのだろう。

けれどそのどちらでもなく。

その馬鹿な口を閉じろとばかりに塞がれる。
生暖かい感触と、視界に入りきらないほど大きく目の前にガイの端正な顔がある。

ギシリ。

二人分の体重で寝台が軋いだ。
驚いて薄く唇を開いたところへ、ぬるりとした熱が滑り込み、絡みつく。
ああ、それでいい。
俺はルーク・フォン・ファブレだから。

「……ルーク……」

いつもより、どこか低い声で呼ばれる。
憎しみは、いっそ甘いものだと思った。



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