太陽の光が射さないほの暗い闇の中に、泥の海があった。
(なんで……)
俺はまだ超振動を使ってはいないのに。
折り重なる死体の山。それも泥の海に沈んでいく。
動くものは自分以外、流れていくか沈んでいく死体だけだ。
ふと、小山のような
――――死体の上で動いたものに目を向ける。
泣いていた子供と目が合った。

『お兄ちゃんが俺を殺したの?』










「……クっ!ルーク!!」

揺すられて飛び起きる。
ぜーぜーと荒い息を整えながら起こしてくれた腕に縋った。
嫌な汗をかいている。じっとりと汗を吸って湿った服と、汗で張り付いた髪が酷く気持ち悪い。

「魘されてたぞ」

そっと張り付いた前髪を掻き分けてガイが心配そうに覗き込んでいた。優しい青い瞳が間近にあって心底安堵する。それは俺を責める瞳じゃない。
パチパチと焚き火が跳ねる。
起きているのはガイだけだった。丁度ガイの見張り時間だったらしい。
助かった、と思ったのは単に突っ込まれる心配をしてのことだ。ティアだったらきっと心配して突っ込んで聞いてくるだろうし、ジェイドだったら何を見通されるか分かったものじゃない。
小さく安堵の息を吐いてガイの手を離して立ち上がる。デオ峠はきつい山道だとは分かっていたけれど、すぐに眠る気は起きなかった。

「ごめん……ちょっと風に当たってくる。起こしてくれてサンキューな」

あんな夢を見た理由は分かっていた。アクゼリュスが近い所為だ。もう明日にはデオ岬に入り、アクゼリュスに到着する。
忘れてはいないことに安堵する反面、どうしようもなく恐怖する。
また、俺はあの大勢の人を殺すのだ。
顔も分からない。泥の海に沈んだ子供の瞳だけがただ印象に残っていた。
そうしてその瞳に責められながら選択に迫られる。彼らの命はルークが握っていた。ヴァン師匠に従ってルークが超振動を使わなければ、今だけは助けられる。
でも、それは決して生き返るわけではないのだ。

「大丈夫……大丈夫だ。ちゃんと受け止められる……」

人を殺した責任を。震えは止まらないけれど。
白い目、蔑む声、呆れた溜息。どれもルークを責めるものを含んでいる――――否、前面に押し出して責め立てた。
それは人を殺すことと同等の恐怖があった。
きっとそれは罰なのだ。忘却という海に彼らを捨ててしまわないように。
慣れた、慣れた、慣れた。
もう、こんなこと慣れるくらい繰り返した。
それでも。

「もう嫌だよっ!なんだよ、これ!!」

なんで俺ばっかり。どうしてこんな思いをしなければならないんだ。
一度だって辛いのに、二度も三度もそんな目にあわせるほど俺は酷いことをしたのか。したけれど、それほどに償えていないのか。
死ぬのは怖い。だからこの繰り返しに感謝はしている。
でもこんなにも変わってしまった事態が出てきたのは、いい加減辛かったからかもしれない。

「さすがに……呆れるよなぁ。見捨てられたって文句はいえないや……アクゼリュスは落とすんだ。でもレムの塔で俺も乖離始めるからさ、それで勘弁してくれよ。あ、でもそれはレムの塔に集まってくれたレプリカたちの分か。じゃアクゼリュスの分は別だなぁ……」

あはははは。
泣き笑いの声だけが響く。誰も居ないはずだった。
気配なんて読めやしない状態だったけれど、こんなところに誰かが居るはずも来るはずもない。

「消えたくない…死にたくない…でももう嫌だよ……」

贅沢だけど、傲慢だけど、辛い。
生きていることの幸せが分からなくなりそうだ。

「どういう、ことだ」

聞こえるはずの無い自分以外の、それも良く知った声を慌てて振り返る。
月が同じ色の髪を綺麗に染め上げていた。
強張った、怒ったような顔でガイは何時から居たのかそこに立っていた。

(聞かれた……!?)

「アクゼリュスが落ちる……?それにレプリカって、乖離って……」

どうしようどうしようどうしよう。
そんな馬鹿な話信じるなよ。なんでそんなに真面目な顔をするんだ。
普通、そんな途方も無い話信じないだろ。ましてや俺の話だぞ。怖い夢を見たんだなって、その夢の話だってなんで笑ってくれないんだ。

「おまえが……死ぬってどういうことだ 」
「うっせーな!ガイにそんなこと関係ぬぇーだろ!」
「ルーク!」

強く名前を呼ばれて押し黙る。
それを見越したように近づいたガイは立っていた位置からさらに近づいてきた。

「ダンマリは無しだぜ」

そうは言うけれどガイにそんな権限はない。
勿論言うのは勝手だけれど、こっちだって言うも言わないも勝手のはずだ。
ただ、ガイにじっと見つめられたままのその沈黙には耐えきれなくて。

「……そのまんまだよ!アクゼリュスは俺が行けば落ちるし、俺は七年前作られたレプリカだ!」
「……生物レプリカは禁止されているはずだ……」
「別に禁止されてたって使える奴は使えるだろ」

現に俺は生まれた。イオンも生まれた。ホドや、ガイの姉上や、イエモンさんたちや、フリングス少将のレプリカたちも。
権力者の庇護下であれば違法なことでもまかり通るのだ。王が、国が、全能だなんて思わない。ダアトの後ろ盾があるとはいえ、師匠はそんなものを物ともしないくらいに優秀だ。

「だいたい、なんでおまえがそんなこと知ってるんだ……?」

そりゃそうだろう。
ついこの前までシルフガーデン、レムガーデンとやっていて、しかも勉強なんてサボることにこそ心血を費やしていたような子供が知っている話でも、理解できる話でもない。

「初めてじゃないからだよ」
「初めてじゃないって……」
「俺の世界は閉じてる。繰り返しなんだ」

信じられるか?なぁそうだろ。信じなくてもいいよ。でも信じないなら最初から聞くなよ。
嗤って、しまうから。

「これからの予定、言ってやろうか?アクゼリュスは俺が落として、俺たちも一緒に落ちて魔界(クリフォト)に行く。セフィロトが一つ無くなった所為でセントビナーが落ちて、次がエンゲーブ。結局、外殻大地は全て魔界に下りる。瘴気は一万人のレプリカの命で消し去り、かつてのホドのレプリカが浮上。そこで師匠を倒して、ローレライを解放して、俺は死ぬ……っていうか消えるのか」

それは乖離現象だし、レプリカは何も残らないから、と締めくくる。
抜けてるところは沢山あるし、それ以上の大事件だってあるけれど、これは確かに起こったことだ。

「……それが本当に起こるのか?」
「ああそうだよ!アクゼリュスは俺が落とす。魔界に、瘴気の海に 俺が俺の罪を忘れないために」

責められたわけじゃない……と思う。疑っていたわけでもない……と思う。
それは多分ただの確認だった。信じ難いことを飲み込むための肯定を欲しただけだ。
だけど。

「俺は何度も繰り返してきた!」

悲鳴のように声を上げる。

「師匠とも戦った!世界の代わりに陛下は俺に死ねっていう。英雄なんて別になりたくないっ!」

はぁはぁと肩で息をしながら自分でも何を言っているのか分からない。ガイへぶちまけることと、独り言だったはずの弱音がごちゃ混ぜになって出てきてしまった。けれど出してしまった言葉は口の中へは戻らない。

「……おまえ……今までずっとそんなことをやってきたのか?」

呆然と聞くだけだったガイが擦れた声で問う。

「だからそう言ってるだろ。そう決まってるんだ」

だってそうやって生きてきたんだ。そっやって死ぬんだ。
何度も、何度も、何度も、今度も。
俺の記憶はそれを知っているし、そうならなければならない。

「それはおまえが違う選択を選ばなかったからだろ?」

何を知った風に。何を分かったように。
先を知らないガイになんて、何にも分からないくせに。俺が何をしたかなんて知らないくせに。

「一度やったことは永遠に変わらないんだよ!俺が殺したんだ、俺が……」

だから俺が殺すんだ。
綺麗ごとで塗りつぶさないように、何度でも。

「でもおまえが世界を救ったんだろ?」
「そんなものっ……」

何の償いになった。どれだけの命の代わりに行われた事だ。
外殻大地を降ろしたのは俺だけじゃない皆で、瘴気を消したのはレプリカたちと俺たち、エルドラントで師匠を倒したのもローレライを解放したのも皆とアッシュが居たからだ。
俺一人でできたことなんて何も無い。それでどれだけの償いになったんだと言える?
だったらなんでこんなに辛いことを繰り返すんだ。

「それでもおまえが頑張ったことには変わりが無いだろ?」

認めて欲しかった。許されたかった。
でも、許されることは許されない。
俺は俺の責任を受け止めるんだ(……だから見捨てるなよ)。

「やり直して、未来を変えるために回帰しているんじゃないのか?」
「わかんぬぇーよそんなこと!」
「じゃ、違うとも言えないよな」

だったら変えてみたらどうだと、そう諭すように少し下に俺の目線に合わせるようにガイは少し屈む。

「人生をやり直せるなんてことまずないんだぞ?悔いたことを改めないでどうするんだ」
「ガイ……」

仕方ないなと笑いながら、零れ落ちそうな水分をガイの指が拭い取る。
前もそうやって拭ってくれた涙は、本当は先のことを懐かしくて寂しかっただけなのに、何も知らないから誤解して全然違うことで慰めてくれた。
ほら、どうやったって分からないよ。
ぎゅっと目を閉じて突き飛ばす。
甘える訳にはいかないのだ。甘えてここで負ったものを放棄するなんてできない。

「じゃあどうするんだよ、どうやって瘴気を消せばいいんだよ!」

アクゼリュスを落とさなければ、師匠が計画を返るかもしれない。俺の記憶の通りには進まない。
レプリカが生まれなければ瘴気を消すのは俺と一万の第七譜術士になる。
一度殺した一万人。さらに一万人の命を背負う覚悟はなかった。それに、もっとずっと変えられない理由がある。

「俺はどうやって存在理由を証明すればいいんだよっ 」

レムの塔で死んでいったレプリカたちは、希望を残して死んでいったイオンは。
一度消えてしまった命はどうやって存在したことを証明されるのだ。覚えてくれている人も居ない。同じ人間が生きているのだから。

「誰かのために生きている訳じゃない。いや、生きることに意味なんて無いんだって分かってるけど!」

俺は此処に居る。
けれどこの世界は本当なのか。
夢なのか、現実なのか。まさか現実が二回も三回もあるわけが無いじゃないか。
本当の現実はどれで、今は何だ。

「俺が憎むだけじゃだめなのか?」
「駄目だよ」

ガイは優しいから駄目だ。
優しいからきっと憎みきれない。だって憎んでいるはずの俺を迎えに来てくれたのはガイだった。それは、憎みきれていない証拠だろう。
でも友人以上に好きでいてくれるわけじゃない、それじゃどっちつかずの感情で、今までと変わらない。
ああでもやっぱりアレは現実だったんだなって、ちょっと安心した。



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