パチクリ。
瞬きを一つした途端。
―――世界が変わったのかもしれなかった。
『私はティア。どうやら、私とあなたの間で超振動が起きたようね』
『ちょうしんどう?なんだそりゃ』
最後だけはまさにそんな心境。
なんだそりゃ。
そんな当たり前のことを、聞き覚えのありすぎる声で言ってる奴は誰だ。
認識するのが恐い。距離はあるけれど、視界には入っているから嫌でも分かってしまうその靡く赤い髪。横顔だけでも疑う余地の無い見覚えのある顔。相対する少女もその声ですら。
諦めて俺はそれを認知した。
「……なんで俺、ティアと俺見てんだ?」
しかもこの思いっきり既知感あふれるこのやり取りはなんだどうした。夢かこれは。それともただの記憶か?
夢の可能性を考えておもむろに頬を思い切り抓る。
ぎゅぅぅぅぅ。
「痛ってー 」
自分でやっておいて飛び上がるとかいう間抜けなことをやって確信する。
夢じゃない。夢じゃないってことはなんだ。
お化けなんてことはむしろ死ぬはずだった今の自分にありえる話で、だとしたら痛覚があるのが可笑しい。
「ドッペルゲンガーか 」
違うだろと突っ込みを入れつつ、訳が分からないなら誰かに聞こう、誰に聞いたらいいんだと思う。アクゼリュスで学んだ、人に聞くという教訓を思い出して考える。
こんなときは誰だ、やっぱりジェイドか?いやいや何を非現実的なことをと言われるに決まってる。としたらガイだろうか……案外アニスは頼りになるが、ナタリアはちょっと……
「ってどいつもこいつも居場所がわかんねーじゃヌェーか 」
此処がエルドラントだとは思えないし、これが例えば本当にタタル渓谷で過去の再現なんだとしたら、俺を探しに出たガイも、漆黒の翼を追いかけているだろうジェイドも、エンゲーブで会うまでのアニスもイオンも、世界中を飛び回っているナタリアも今この時点の居場所は分からない。唯一ティアは目の前に居るが、俺≠ェ居るのだから聞くに聞けない。この時期所在がはっきりしていて、相談できるような頼りになる人は……
「ピオニー陛下!」
そうだあの人なら一応王様だから玉座に座ってる……かは分からないけど、少なくともグランコクマには居るはずだ。
それに確か出口に向かえば辻馬車が来るはずだ。
目の前のティアと俺には悪いけど、先に捕まえて使わせてもらおう。一緒になんて乗れっこないから、先に捕まえて出発しないと。
「よく考えれば親切だしな!」
ティアのペンダントを売らなくても済むし、間違わなければすぐに帰れるかも知れない……最もすぐに帰れるということが親切かどうかは分からないが。
そうと決まれば早速出口で待とう。いくらだったっけ……マルクト領ではあるけれど、多分結構距離があるし辻馬車といえど安くはないだろう。ティアが高いとぼやいていたことも思い出す。足りなかったら稼がないとなぁと思って懐を探った。
「え〜と所持金は……」
最近は自分で管理させてもらえる分があったから助かった。足り無そうなら最悪装備を売ればいい。街道に出てくるような魔物くらい剣さえあればどうにかって……
「剣がヌェー!!!!」
腰にやった手がすかすかして思わず叫ぶ。魔物やらティアたちにやらに気づかれたって仕方がない。それくらい驚いたし死活問題だ。
なんでだ、なんでだ。
最後に使っていたのはローレライの剣だった。地面に突き立ててローレライを解放して……あ、無いってことはやっぱり解放済みなのか。
つまりは、俺もう用済みってことか
だからって……いきなりどっかに放りだされて装備を剥ぐっていうのはあんまりじゃないか?ローレライ。
「畜生……しばらくは素手かぁ」
ルークの修めたアルバート流は素手の技もあるけれど、やはり剣が有るのと無いのでは相当違う。俺は剣士だし、アルバート流は剣術なのだ。
グランコクマまで辻馬車に乗っけてもらえれば大した戦闘はないだろうが、足りなかった場合稼ぐことも難しい上、歩いて行くにも戦闘に不自由だ。
しばらく頭を抱えて呆然としていたのが不味かった。
どんなに綺麗でも此処は油断していれば魔物に襲われる場所だということを忘れていた。思い出した頃にはすでに対峙していて。
「くっそ……こっちは素手なんだぞっ」
思ったが喚いても仕方が無い。
距離を取り、繰り出した拳を使った技で仕掛ける。
「魔神拳」
当たったその一発でへたりと倒れたことを確認して、ほっと安堵の息を吐く。この程度なら案外大丈夫そうだ。
「ま、なんとかなるだろ」
初めて外に出たときの力で木刀でも倒せたのだから、素手だとしても油断さえしなければなんとかなる。そう自分を慰めながら下りて行った。
「おっちゃん!」
「うわあああぁぁぁ」
声を掛けただけで悲鳴を上げられてこっちがびびる。
「ちょっ……なんだ 」
「あ、あんた漆黒の翼か 」
どうやらおっちゃんの頭の中には漆黒の翼のことしかないらしい。なんで一人だって言うのが目に入らないんだろう。
「俺一人だぜ?漆黒の翼は女一人と男二人だろ」
「あっ……ああ悪いな。こんなところに人が居るとは思わなかったもんだから」
冷や汗か、暑くもないのに額の汗を拭うおっちゃんにそんなに漆黒の翼って恐い奴らだっけと首を傾げる。アッシュを揶揄(から)かったり、ガイを揶揄かったり、あとナム孤島での印象しか出てこない。案外陽気で楽しい奴らだ。
……まぁ俺たちにだって被害が無くも無い、かなり立派に盗賊だけれど。
「こんなとこで何してんだい」
「えーと……」
道に迷った、でいいのか?間違っちゃいないが、正しくも無い。っていうか説得力に欠ける気がする。ティアの姿が浮かんで、その言葉が浮かんで、ケーキが浮かんだ。そうだ、そういえばここはとても綺麗な場所なのだ。
「この奥の花畑が、綺麗って聞いて」
「わざわざ見に来たのかい?物好きだなぁ」
俺もそう思うとは言えなかった。やっぱり無難に道に迷ったって言っておけば良かった。ティアだってそういえばそんな事を言って誤魔化してたんじゃないか。
誰かと一緒だとか、誰かに摘んで行くのならともかく、男一人で花はないか……とりあえず口から出た言葉は戻らないから気を取り直そう。
「えっとグランコクマまで行きたいんだけど、乗せてもらえないですか」
「首都までかい。一万二千ガルドになるが……大丈夫かい?」
装備を見て心配そうに聞いてくるのは、やはり金を持っていそうには見えないんだろうか。子爵の服でも着てればよかったか?
仕立て自体は良い物だが、ナタリアに度々品が無いと注意されるくらいあまり金持ちに見えるものではない。旅に金持ちになんて見えたら困るんだろうけれど。ああでも軍服を着た人間が居たから大丈夫だろうか。まさか死霊使いだとは思わないだろうけれど、態々軍人の連れの懐は狙わないだろう。
まぁ狙った奴も居るが……
人の財布を掏ってくれた後々付き合いが深くなった女と男二人の顔を思い出す。だからそれが先刻から思い返している奴らなのだけれども。
しまった微妙に足りない。途中までなら少し安くならないだろうかとかせこい事を考える。
「どうした?」
「ちょっと足りなくて……」
「それじゃあ無理だなぁ」
交渉決裂、話は終わり。水を汲んで立ち去ろうとするおっちゃんに慌てて取り縋る。ここで怯んだら負けだ。
「頼むよおっちゃん!」
「頼むって言われてもねぇ……」
「そうだ、漆黒の翼気にしてただろ?こんなとこに一人で水汲みに来るくらいだし護衛居ないんだな」
「ん〜まあな」
「俺、どうかな?ここに一人で来るくらいだから結構強いよ」
じろじろと見られるが耐えろ俺。首を振られたって諦めるな俺。
「じゃ装備品!何か売れるもんないかな」
多少の金銭感覚は付いたとはいえ、やはり7年間の壁は厚かった。値打ち物を見すぎた目に鑑定眼はあまり無い。
「なんだい、そんなに急いでるのかい?腕に自信があるなら徒歩でも行けるだろうに」
(大分遠いけどな!)
確かに地続きだから行けない事はない。
けど早くしないとティアたちが来ちゃうし、だから剣がないのだ。必死に肯く俺に仕方ないとおっちゃんは俺の服の服を指差した。
「おまえさんのその金のボタンで手を打ってもいいよ」
示された物に驚く。何気ない服の装飾で、金になるようなものだとは思っていなかった。有るのが当たり前で、これが換金できるだなんて思ってもみない。
「こんなのでいいのかよ?」
「足りない分には十分さ。見たところ剣もないし、杖も無い。ってことは拳士あたりだろ?装備品を取っちゃ護衛にもならないからな」
そういえばこのボタン、一応金なのかもしれない。だとしたらなるほど結構な分だろう。
俺の職業についておっちゃんの予想はちょっと違うけれど、完全な間違いでもない。訂正しなくたって嘘にはならない。大体剣を持ってない剣士なんて方が胡散臭くて仕方が無いし。
「ありがとうおっちゃん!」
ボタンくらいはどうとでもなる。一つでいいというのだから十分に止める役目は果たすのだし、いいだろうと颯爽と乗り込む。
世の中、優しい人は結構居るもんだ。
飛べないブタは只のブタ