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From.Jade
多分、それは今更。
今更過ぎて、笑える。きっとポーカーフェイスを得意とする自分の顔すらお見通しの腐れ縁のどこぞの皇帝に知られたら、へそで茶を沸かすとまで言われそうなくらいには今更だ。
何をそんなに恐がるのか。
何をそんなに気にしているのか。
「一掃します。恐ければ目を閉じていなさい」
一瞬の震えに気づいて、一つ忠告を放つ――――否。
彼の反応に託けた予防線。目を閉じていて欲しいのは自分だ。
彼は人を殺す事に未だ恐怖する子供。
そんな可愛らしい行動にはとんと縁が無かったが、本来なら正常な反応だ。なんせ彼は7歳児。
7歳の自分が人を殺す事に恐怖したかというと疑問だが。
今日はまったくついていない。
どうじてたった二人しかいないときにこんな盗賊を相手にしなくてはならないのか。別段困りはしないが、こう人数が多くては手加減している余裕はない。そして視線が固定される。
あの過保護な使用人がいればどのような場面であっても残虐なシーンを見せないよう全力を尽くすのだろうが、生憎と今は別行動中だ。
「ルーク聞いていますか?」
「大丈夫だ!」
「お願いします目を閉じていてください」
「ジェイド?」
「目を焼かれますよ」
嘘ではない。ただ、わざとそういった類の譜術を選んだだけで。
しぶしぶと目を閉じた子供の姿にひっそりと安堵の息を吐き。
――――譜眼が光る。
できうる限り早く、楽に。
それは死に行く者への配慮などではない。
ただ、ただ。
子供に恐れられる事に怯えた愚かな大人の予防線。
人の執務室のソファにふんぞり返っていた子供がバンと人の机に手を突く。誰に似たんだというか、あの皇帝をみたからこうなったのかともはや溜息しか出てこない。ペンはかろうじで手の中だが、無くなるのはそう遠くないだろう。
「側に居たいっていうのがそんなにいけないことかよ!」
「……そうですね」
「なっ……」
絶句する子供にやれやれと首を振る。
「貴方と私の表現方法はあまりに違う」
「だから?」
ぎろりと睨み付けられ、中々凶悪な顔になった子供を飄々と見返す。そのくらいで怯むような可愛らしい性格は生憎としていない。
むしろ人の笑顔で怯んでくれる可愛らしい性格なのはルークの方である。
「少しは私の方向性に沿っていただけないかと」
「……いっつも良い様にするじゃぬぇーか」
何か言っているが無視。
「私は遠くで見守る方が趣味なんですが」
「……へー初耳」
じど目で見てくる、どうにもこうにも学習能力の無い可愛らしい子供に笑顔。
「ルーク」
何か言いましたかと笑ってみせると、怯えたような顔で一歩後ずさる。手を伸ばせばもう一歩。
紙一重で頬に触れられない手が宙に浮く。
意図したこととはいえ、少し心外だ。
ジェイド、と誰かが呼ぶ。聞き覚えのある、聞こえる事で安堵する、声。
ジェイド。彼は人の名前を散々呼んで、笑顔で。
遠く、遠く、儚く――――消えた。
「大丈夫か?」
覗き込んできた顔を認識し、答える前に伸ばした手を寸前で止める。
眼鏡に度は無い。薄暗い闇の中でも彼の赤い髪はすぐに目に入る。
それとも気配で分かったか。だとしたら我ながら大した落ちかただ。
抱きしめてしまえば脆く崩れそうな現実に、ぎこちなさを誤魔化すように眼鏡も無い眉間へ手を向けた。
「すみません。起こしてしまったようですね」
「あーうん。別に平気だけど」
「寝汚いあなたを起こすくらいですからよっぽど五月蝿かったようですね」
「別に五月蝿いってわけじゃないけど……」
案じるような、伺うような視線にひょいと肩を竦める。
もう大丈夫だ、いつもと同じ応答ができる。らしくもなく伸ばしたてはもう彼へ触れない。
「珍しいな。ジェイドがうなされるなんてさ」
「私も人間ですから。たまには嫌な夢も見ますよ」
「恐いじゃないところがジェイドだよなー」
おかしなところで感心したようなルークに溜息を吐いてみせる。
恐い夢だ確かに。
恐いなどとみっともなくて言えはしないけれど。
「起してすみませんでした。明日も早い、自分のベッドに戻りなさいルーク」
「そうだな。ジェイドも平気みたいだし」
おやすみとひらりと身を返して隣の自分のベッドに帰る。三人部屋でさらに隣のベッドで眠る男は起きているのかいないのかは別として動く気配は無い。
存外騒々しく魘されていたわけではないのかもしれない。子供もまた、魘されて起きたのだとしたら。
見ていてはきっと眠れないだろうから、寝たふりをしてやれてばすぐに寝息が聞こえる。規則正しいその呼気に。
「……酷い、夢ですよ」
ポツリ、零す。
酷いのはこの現実だ。
これこそが夢であればいい。
消えてしまうなど、どうして許せるだろう。それを提案したのが自分だったとしても。
なんて酷い現実。なんて酷い夢。
どこにも彼の笑顔を守れる場所がない。
「なーなー見ろよこの花」
子供が示した先を見れば踏み潰された野草がぽつんとあった。
野草ではあるけれど、中々綺麗な花を付けていたのに。
「ひっでーの」
「そうですね」
ティアが聞いたなら憤慨しそうな遣り取りを交わす。
ただし彼の顔を見ればきっとティアも思いなおすだろう。雑な言葉の中に含まれたかわいそうだという声を聞き取って。
「貴方のようですね」
「なんでだよ」
「おや、自覚がありませんか。まさにそのものだと思いますがね」
ぶすくれたルークに意地悪く笑う。
他人に踏まれやがて枯れていく花。踏まれた分、茎も折れているから水分も栄養分も行き届かずに他よりも早く枯れていくだろう。
ああ、本当にこの子供のようだ。
踏んでいくのは自分が一番乗りで。ああ、いや。ヴァンが居たか。
すでに奴はこの子供を踏みにじった。私は先立って踏みにじった。
「なんだよ。虫の居所でも悪いのか?」
「さてどうでしょうね」
気分はあまりよくない。けれど悪くも無い。
子供と二人、歩くのは存外心が浮き立つものだ。年甲斐も無いと笑う者が居そうだが。
まぁ同じようにいつかこの想いも枯れ果ててくれるなら、それはそれでいいのだろう。
彼が居なくなっても変わらないなら、それはそれで私は一向に構わないけれど。
退屈そうに判を押す男の前にずいと新たな紙を突き出す。ただし一枚だけ。
「休暇をください、陛下」
あぁ?と胡乱気な顔を上げた男はだが小さく溜息を吐いただけでポンと判をくれた。
「また、行くのか」
これは初めてではない。故の問いに。
「野暮な事を聞かないでください」
かつて子供が恐れた笑顔を返した。
貰った休暇と自分の持ちえる移動手段では子供と別れた場所までは到底行けない。故に行くのはいつも、そこが見える彼にとって始まりの場所だと言っていた……
「ルーク」
こんにちは、から始める。それは時刻によって変わるけれど何時だって変わらない。
呼びかける相手はだが居ない。
誰かに見られれば正気を疑われるかもしれないが、止める気は無かった。第七音素なら、彼のことだから見えなくともぐずぐずとその辺に居るのではないかと思って。立証できるものはない。ただ、世界で減りつつある第七音素が、ここはあまり減っていないのだ。
宙に向けて独り言のように話しかける内容は当たり障りも無く、日常の、彼が戻って来たいと思わせるようなそんな話。
得てして選んでいる。きな臭い話をちらつかせて、子供の正義感を突付いても良かったが、それではあまりに意地が悪い。
そんな世界に絶望されては元も子もなく。最もあの子供がそんな事を思える人間だったなら、今頃まだこの場に居たかもしれないが。
「ルーク、聞いていますか?」
いつか彼に届けばいい。この声が枯れて彼に呼びかける声が途絶えてしまうまえに。
配布元[鳥篭]