なーなージェイド、と呼ばれて見ていた計器から視線を声の主に視線をずらす。
あまり視界に入れたくは無かった。入れてしまえば目を逸らせなくなってしまう。
彼の瞳にはそんな魔力があった。
それが不快なわけではなかったけれど、空元気の見え透いた嘘の笑顔は見ていて気持ちのいいものではない。
だからか呼んだきり、視線を合わせた途端に黙ってしまった彼に向けた視線は尖ったものかもしれなかった。
常ならばこれ幸いと思うところだけれど、なぜか居心地が悪い。
なぜかなどと言ってみせても結局のところ、あるはずの無い良心がチクチクと痛むのだ。
「なージェイド」
「……なんですか」
いっそ早く着いてしまえばいい。
けれどそうしたら子供は死ぬ。
それが分かっているからそう思うことすらできなくて、珍しくも自分の不快感を押し殺す。
「笑って死ねって言えよ」
こんな風に呼ばれるのは碌な事ではないとは思っていたが、思わず目を見開いてしまった。間抜けな顔でまじまじとルークを見る。
なんて酷いんだろうかこの子供は。
話も全く聞いていない。
無垢で残酷。そんな子供にこんなことを言わせているのは自分だけれど。
「……まったく……なにを言い出すかと思えば……泣きますよ」
「泣いて欲しくて行くんじゃヌェーんだよ!」
怒ったように顔を歪めて叫んでみても、泣いてくれと言っている。そうでなければやりきれないと如実に顔が語っていた。
死ぬことを喜ばれるような人間であると、そんな価値しかない人間であると、思いたくは無いだろう。思えるはずが無い。
それなのに。
「なぁ、ジェイド……」
お願いだからと懇願する子供の要望のままを口にすれば、子供は気持ちの悪い見え透いた笑顔のまま喜んで死ぬだろう。
どこか何かが死ぬ前にすでに壊れて。
深く息を吐きだす。
気を使いすぎてどつぼに嵌っていくなど、ネクロマンサーにはありえないことだ。
いつからこんなにもこの子供を気にかけるようになったのか。
(まったく……私も歳ですかねぇ)
別に死のうが壊れようがいいじゃないか。
自分が死ぬわけではない。ならば関係ないではないか。
死んでしまったら作ればいいとは今はもう思わないけれど。
息を吐き出した一瞬で普段の調子を取り戻して言葉を口に乗せる。
「泣くのも笑うのも私の勝手です」
「なん、だよ」
優しくされると思っていたのだろうか。彼は癇癪を起こした子供のように拳を壁に叩きつける。
通信のパイプが、がちゃんと音を立てて跳ねた。
「お前が言ったんだろ!!」
否定はできない。それを示したのは確かに自分だった。
全てを口にする前に、彼が気づいたその最も残酷な答えを。
ずっとずっと落ち着いたままで、糾弾される気配も無かったから安心していただなどとは言わない。
けれど分かっていたはずの、覚悟すらあった弾劾の台詞は思ったよりも痛かった。
感じた胸の痛みを隠すように、無為に直した眼鏡の硝子が光を反射する。
「ええ、そうです」
逃げはしない、もう。
自分の責任は自分で取るのだと、分かっていたはずなのに彼を見て思い出させられた。つまりは自分自身でも逃げていた部分があるというわけだ。
アクセリュスにしても……あの態度は馬鹿すぎてどうしようもなかったが、彼だけに押し付けていい問題でもなかったはずだった。
それを思えば彼はよくやっている。
可愛いほど、愚かしいほど。
全身で体当たりして、全霊で突き進んで。
「笑顔は筋肉で作れるんですよ」
ずっとずっとそうやって作ってきた笑顔。
無表情でいるよりも物事を運びやすく、けれど人に感情を読ませない。
筋肉だけで作った笑顔は、そんな打算で出来ている。
ここまで発達してしまえば、騙せるくらいの満面の笑みだって苦も無くできるだろう。
「けれど涙はそんなに都合よくは出てきません」
だから演技をする人間は外部から水を少量たらすことで涙を表現することが多い。
自由に涙を流せる人間などほんの一握りだ。
「私は涙などとうの昔に枯れ果ててしまいましたが……いえ……最初から持ち合わせてなどいなかったのかもしれませんね」
最後に泣いたのはいつだろう。
ネビリム先生が死んだときも泣かなかったような気がする。
それなのに、今は目蓋の裏を熱い何かが刺激する。
「ですが」
”そう”だったけれど。
「貴方の為に私は泣きますよ」
水分が出なければ血の涙でも。
それは悼みの涙ではない。
生き残ったありがとうと言いながら、ごめんなさいと忘れていってしまうようなものではない。
「この身の水分が全てなくなるまで泣いてあげます」
「ジェイド……」
「笑って欲しかったら生きていてください」
可能性はないと自分で判断しておきながら、言わずには居られないほど子供が愛しい。
「お前って酷いよなぁ」
「……そうですね」
「少しくらい我侭聞いてくれっかなって思ったんだけど」
「我侭の性質が悪いんですよ」
そっか、と寂しそうに見える笑顔を見せる。
それに思わず。
「ルーク……」
「大丈夫だよ。おかげでなんかちゃんとできそうだ」
「無理をして笑うよりも、泣いていただいた方がこちらとしてはありがたいのですが」
「ジェイドが泣いてくれるんなら俺が泣く必要ないだろ?」
伸ばしかけた手を宙に止められる。
達者な弁舌も役には立たなくて結局、自分の都合を装った言葉しかいえない。
泣いてもいいであるとか、胸を貸してあげるであるとか、そんな甘くて優しい言葉は自分の管轄ではないのだ。
それでも。
死への恐怖に一人で向かおうとする彼に。
見えない何かが一粒、頬を落ちた気がした。
貴方の為に枯れた涙を流す
......例えそれが血の涙でも。