「生きろ」

命じた言葉は甘さがもたらしたことだった。読み負けた、その結果だった。
修羅の道を歩んでいるはずなのに、どうしても殺せなかった。
暗殺は黒の騎士団の方針で却下すれども、捕獲にせよ撃破にせよ動けないところでさっさとやってしまえばよかったのに。

こんなところで。
こんな使い方を。

愚かだな、と灰色の魔女は哂う。

――――その甘さは、最後の心の欠片だった。



▼ ロストマン -0-












































遠くで潮騒が聞こえる。
海など身近なものでは無いが、懐かしい音だった。母の胎内に居るときに聞く音に似ているのだという。その所為だろうか。
ぼんやりと緩やかに意識が浮上し、視界がぼんやりと像を結ぶ。
「あ、起きた。大丈夫?」
覗き込んでくる顔は逆行で見えなかったが、くるくるとした頭は信頼できる友人の特徴だった。

あぁ、なんだスザク。
もう授業が終わったのか。
立ち上がろうとして、自分が椅子に座っている体制でない事に気づく。それから、ざらりとした砂の感触に脳が急速に稼動する。

砂?どうして砂地に寝ている。
横になるならクラブハウスの自室だが、それならのぞきこんでくるのはスザクではなくC.C.だ。保健室はサボりの口実に使っても実際使用はしない。屋上なら砂よりもコンクリートで。
――――違う、違う、違う。
そうじゃない。俺は何をしていた?作戦は……

ガバリ。

「急に起きちゃ駄目だよ」

急に起き上がった所為で一瞬くらりと眩暈がする。それだけの所為ではないけれど。
(っよりにもよってこの状況か……!?)
取り囲んでいた無頼たちもない。知らぬ土地、人はゼロの自分と目の前の軍人のトモダチだけ。

予測できない事態ではなかった。
けれど予測して対処を考えるほど余裕がなかった。これについては完全に後手に回っている。途中までは想定通りだったのに、最後の最後で読み負けた。
それにしたってこれは……近くにいたからといったってどれだけの確立だ。”生きろ”といったが”生かせ”とは言わなかった。ただスザクが生きようとすれば自分も逃げる隙があった。ただそれだけだった。

どいうする。仮面は無かった。流される間に取れてしまったのだろう。
しかしこのあからさまなゼロの服装でどうやって誤魔化す?……誤魔化せるのか?

――――無理だ。

声や体格だけならともかく顔をこれだけ覗き込まれてしまえば言い訳はきかない。
ここに流される前、スザクの目の前に居たのは、一緒に居たのは、間違いなく――――ゼロ。

「ス、スザク……これは……」

それでも足掻くように頭をふる回転させ、言葉を探す。
この事実をスザクはどう思っているのだろうか。分かっているわりにどうも反応が鈍い。

「君、俺の事知ってるの?」
「え?」

何を言ってるんだこいつ。実はまだ分かっていない?
他人の空似だと思っているのだろうか?それとも爆発の衝撃で視力になんらかの障害が起きたか?
いやそれにしたってゼロが”枢木スザク”を知っている事は当たりまえだ。誰が助けたと、先ほどの会話だけで何度名前が出たと思っている。

「ここ何処かは流石に分からないよね……」
「スザク?」

なんとも予想とは違う反応ばかりが出てきてさすがに困惑に顔を顰める。
何かが可笑しい。
ゼロが居たとしても、ルルーシュが居たとしても、他の誰かが居たとしても、スザクの反応は明らかに違う。スザクの名と顔がかなり世間で知られている事は自分でも分かっているはずだ。それなのに何故、不思議そうに自分を知っていることを不思議そうに問うのだ。
それではまるで……スザク自身が知らないようじゃないか。

「俺たち遭難者なのは分かるんだけど」

ぞっとする思考をよそに、スザクはしきりに周りを見回し首を傾げる。
いや、間違ってはいないがなんだその平和な認識は。
ありえない。そうだ、もし本当に分からないのならもっと不安そうな顔をしているはずだ。人間誰しも分からないという事体を恐れるのだ。

「お腹はたぷたぷしてないし、溺れたわけじゃないとは思うんだけど……頭でも打ったのかなぁ……?」
「だから、何が」
「えーっとそうだ。”此処は何処?俺は誰?”」

ことりと小首を傾げてみせる仕草はナナリーがやれば可愛いだろうが、自分と同じ年齢のあまつさえ軍人のごつい体格の男がやってもまったくもって可愛くはない。スザクの人間性か愛嬌はどことなく滲んでいるけれど。

「……なんでそんなに能天気なんだ」

酷い脱力感を覚えて、助かったなどと思う間も無くつっこんだ。


▼ ロストマン -1-














ルルーシュのツッコミに能天気ってとスザクはこれまたのほほんと肩を落としてみせる。順応力だ高いというのか、なんというか、本気で不安ではないのだろうか。
(それにしてもこれは……ギアスによる脳の障害と爆発の衝撃の所為で記憶が混乱したのか?)
それとも損傷か。
どちらでも現在の症状に変わりは無いが……後々それは問題になるかもしれない。混乱なら戻る可能性もあるが、損傷ならば戻らない。
最もギアスが関係している以上記憶が戻る可能性は低いといえるだろう。本来ごく一部――――ギアスを使用した前後の記憶が曖昧になるというだけのはずだが、スザクの場合二重の衝撃に損傷が激しかったのだろう。そうさせたとはいえ生きている方が不思議な攻撃だったのだ。まさに危機一髪だ。
(スザクにだけはギアスを使いたくはなかったんだがな……)
人格だ尊厳だとは言っていられなくなった。生きる事こそが先決だった。死なせることなどできやしなかった。
たとえスザクの人間としての矜持も尊厳も踏みにじったとしても。意地も友情も誇りも生きているからこそ意味があった。
隙をつくるというだけなら、仮面を外して声を戻して見せればよかったのかもしれない。スザク相手ならそれだけで一瞬の隙くらいはできるだろう。それをしなかった理由など、簡単だ。
知られたく無かった。
ゼロの存在とはまた別の感情で、そう思っていた自分が居た。
それを考えると正しくこの状況は救われたと言うべきだ。
良かったのだろうか。
俺は安心しているのか?
スザクの中のルルーシュを消してでも、嫌悪を向けられる事のない現在に。
七年前の記憶と、今のこの現状とを量りに掛けている。

「ええと、君は?」
「そうだな。俺のことを話す前におまえの記憶の確認をしようか」
「なんで」
「俺の名前は一つじゃないんだよ」

ゼロか、ルルーシュか、それともなにか記憶を刺激させないような他の名前を適当に呼ばせるか。この顔を晒しながらゼロとスザクに呼ばれる事に抵抗はあるが、さりとてゼロの格好をしてルルーシュと呼ばせるには危険が大きすぎる。
流されてきたのが自分たち二人だけとは限らない。紅蓮二式が駆け寄ってきた事を認識している。カレンが巻き込まれたかどうかまでは確認していないが、その可能性は高いだろう。彼女も流されているのなら合流するにこした事はないが……
ふと今まで余裕のなかった所為で探せなかった仮面を思い出して周りを見渡す。

「スザク、仮面が無かったか?」
「仮面?」
「ああ。こう――――黒い奴なんだが」

指でついと砂の上に形を描けば、スザクの顔が微妙な形に歪んだ。口元を押さえる仕草から察するに、どうやら笑いを堪えているようだ。

「面白い形だね。チューリップかぁ」
「見たのか?見ていないのか?」
「見てないよ」

なんとも情けない形容詞にギロリと睨みつける。
それに怯んだ様子はないが、それでも睨みに慌てて答える様子にふんと鼻を鳴らす。
仕方がない。
自力で戻るか、迎えはC.C.限定ということになりそうだ。
カレンも、もし流されていたら自力で帰ってもらうか、後で拾いにくるしかないだろう。
カレンにギアスはもう効かない。
顔を見せるわけにはいかなかった。ゼロを身近にしてはいけない。ゼロは正体不明でなければならない。
ゼロに個が無い事は意味のあることなのだ。

「そんなに大事なものなの?」
「……当たり前だ。おまえ……」

やはりと思ったが、最後まで引き出すために呆れたような溜息をついてみせる。

「ゼロというテロリストを知っているか?」
「う〜ん」
「なら黒の騎士団は」
「分からないな」
「それなら今は公暦何年だ?」
「それが分かったら記憶がないなんて思わないよ」
「それを確認しているんだろうが」

言葉はしっかりと発しているし、記憶の退行ではない。自分たちが割合早熟な子供であったことを考えても、穏やか過ぎるスザクの様子からこれはやはり記憶喪失というやつだ。専門家ではないし、専用の機材もない。何より記憶という分野には不確定要素が多すぎる。だからこそ口頭での確認は信用できる。

「ブリタニア」
「それは分かるよ」
「イレブン」
「分かる」
「日本」
「分かる」
「ならおまえは何人だ?」

意地の悪い問いだ。
スザクにどこまで記憶があるのか分からないが、日本もイレブンもブリタニアも知っている人間に問うには結構な趣味の悪さだ。日本人だと思っている人間にそれは屈辱的な問いのはずだ。

「……わからない」

やや戸惑ったような沈黙の後、落とされた答えにほんの少し安堵で息を吐いた。
傷つけたいわけではないのだ。

「なるほどな」

一つ頷いて、笑みを形作る。
学校生活の中で見せていたようなどこか皮肉気な笑みを。

「常識はあるみたいだな。無いのは自分についてと最近の世情だ」
「悪かったね」
「別に悪くはないさ」

そうだ。悪くはない。むしろ都合はよかった。
知らないならスザクは敵にはならない。知らないならスザクは憎悪をぶつけては来ない。
仲間にだってなるかもしれない。そうだ、今のスザクの記憶を握っているのは自分だけなのだ。自分が仲間だと言えばスザクはきっと信じるだろう。
そんな汚い考えに拳を握る。
スザクにだけはギアスを使わないなどと言っていた人間は何処へいったのか。
もっと、ずっと、スザクの意思を踏みにじっているじゃないか。

「それでなんだって急にテロリストの事なんか……?」

「俺だよ」

多分反応が見たいのだ。これ以上スザクの意思を踏みにじる前に。
求めてはいけない。もう失った、最後の勝負にも負けた。
希望なんて持つだけ無駄だ。これは賭けにもならない、けれど”もしかしたら”そんな矛盾で。

これが最後の機会だ。

甘い考えなど捨てなければならない。欲しいのなら手に入れるしかない。
――――どんな手段を使っても。
その一手を見定める為の、一手。

「ゼロは俺だ」

大きく見開いた目が瞬いた。
非難でも、糾弾でもない、ただ純粋な驚きに。


▼ ロストマン -2-














呆然と目を見開き、ぱっかりと口を開けた間抜け面で固まった友人の顔を覗き込む。どうも記憶喪失という現状にはなんの反応も示さなかったくせに、自分の目の前にテロリストなどという存在が出てくることは信じがたかったらしい。遭難しているのだと認識しているくせに。
方やマント、方やパイロットスーツ。こんな格好で一体全体どんな状況での遭難だ。特撮ものの撮影とでも思ったのだろうか。それこそ有得ない。
……まぁこれでそうなんだぁと笑ってスルーされてしまうよりはまともな反応だとは思うが。

「大丈夫か?スザク」

のろのろと固まっていた首を動かし、スザクは確かめるというよりは理解しがたいと言うかのように口を開いた。

「君がテロリスト……?」
「そうだ」
「う〜ん。できるの?」

(こいつ……っ!)

思わずこめかみに浮かんだ血管を誰も不当なものだとは思うまい。なんなんだこいつ。真面目に驚いているかと思えばそんなことを考えていたのか。失礼にもほどがある。
人間、記憶をなくしても本当に本質は変わらない。

「スザク……おまえは俺をなんだと思ってるんだ?」

というよりはどう見えているんだ、か。
記憶がないということは幼少期の先入観も無いわけで、それほど頼りなく見えるほうでもないと自負しているのだが。そもそもスザクと比べてしまえばだれだって運動能力は劣る。

「それが僕の名前?」
「……ああ。枢木スザク。それがおまえの名前だ」

枢木スザク、と何度か口の中で転がす。
確かめるように、馴染ませるように。
伺っても記憶に変化はないようだった。
人の疑問は微妙な笑顔でスルーしておきながら、やっと記憶喪失者らしく自身について把握を進める。

「君と僕との関係は?」
「俺とおまえは……」

本当のことを言うにはこの関係は複雑すぎた。
友達と?
――――ゼロとスザクの間に友情などない。
敵だと?
――――折角の機会なのに?

「あ、もしかして今えっとその黒の騎士団?の作戦中なのかな」
「さっきまでな」

ひょいと事実に肩を竦めてやるとただ納得が返る。
本来なら完遂も撤退も完了していない今この時間も作戦中と言えるのだろうが、ルルーシュにとっては仮面をせずにスザクと話をしている時点でもはや今は作戦中とは言い難かった。

「じゃあ僕も黒の騎士団の一員なんだ」
――――――――っ」

違うと口走りそうになった。
いけない。そんな不要な事をしてなんになる。
勘違いしてくれるならそれにこしたことはない。騙すという罪悪感も、後ろめたさも、不安も感じなくてすむ。

「ゼロ?」
「あぁ、仲間というか」

一度否定しかけた言葉を繋ぐため、回転の自慢の頭を巡らせる。
嘘ではない、本当の、願望の、一番近い事実を表す言葉。

「そうだなおまえは俺の宝物の守護者、かな」

咄嗟にそうであって欲しいと願った立場を口にする。
ナナリーを守ってくれ。ナナリーの騎士になってくれないか。
言おうと思った言葉は、義妹に先を越されてしまったけれど。

その時の愕然とした気分を思い出して、つまらない感傷に浸り始めた瞬間。

ぐぅぅぅぅ。

勢いよく現実に引き戻してくれた怪音に微妙な沈黙が訪れる。

「お腹空いたね」

へらりと微妙な空気を払うように笑うスザクの間抜けな顔を見たら、さっきまでの緊張感が悉く吹き飛ばされて小さく溜息を吐いた。
それほど浸っていたい感傷でもなかったが……まあ丁度いい。この辺りで今晩を越す支度をするべきだろう。太陽の位置からも日の入りはそう遠くない。

「俺たちは流された。救助はおそらく今日は無理だ。ということは夜をここで過ごさなくてはならない」

これは理解したな?
ズビシと人差し指を突きつければ、こくりと頷くスザクに鷹揚に頷いてマントを翻す。
水を吸って重くなってはいたが、今はさほど問題にはならなかった。

「なら行くぞ」
「どこに……?」
「太古からの仕掛けを試すチャンスだ」
「だから何するの……?」

見れば分かると答えは告げずに山の中に入る。
思った通り、獣はそれなりに居そうな空気があった。
(この辺りでいいか……)
怪訝そうなスザクの視線をまたもや無視して梃子の代わりになるものを探す。
”できるの?”だなどという暴言を撤回させてやる。

「えーと、ゼロ?」
「なんだ」
「落とし穴、掘るの……?」
「昔から獲物を捕らえるのは罠か武器だ。武器はないからな。罠を仕掛けるしかないだろう?」

あぁ、うん、そうだね。そんな曖昧な返事が遠くから聞こえてきたが、上手く土を掻き出す手ごたえに機嫌よく手を動かす。当然顔を上げたりなどはしない。
この人大丈夫かな、とでもいうように引きつったスザクの顔を知らなかった。

「ゼロ……僕は魚取ってるよ」
「気をつけろよ」
「君こそ」

軽口の応酬は片方においてはかなり見ていて切実であった。


***


靴を脱いで、ピッタリとしたスーツタイプのズボンの裾をたくし上げ、バシャバシャと水の中に入っていけば、魚は面白いように陸に向かって飛び跳ねた。
両手で掴んで跳ね上げるのだ。網やつり竿を使うよりもよっぽど効率的だよね。
何でそんな事を知っているのか。
どうしてそんなことが当たり前のように出てくるのか。考える間も無く知識だけが浮かび上がっていく。

「あれ……これって」

水底に沈んだ黒い物体をそっと拾い上げる。
どことなくフォルムがとある花を思い出させる形から、多分これがゼロの仮面なんだろう。
彼がこの仮面を必要としているのはどこか必死な様子から分かったけれど、なんとなく渡したくなくてしばらくコロコロと手で弄ぶ。

「う〜ん……返さないとだめかなぁ」

嫌だなぁ――何故?
あの綺麗な顔が隠れてしまうのが嫌なのだろうか。
(俺ってそんな面食いだったっけ……?)
そもそもいくら綺麗だって相手は男だ。
自分の嗜好は至ってノーマルだったはずで男に向かって顔を見ていたいなんてそんな感情有得ないだろう。

記憶が無いのに何故そんなことを確定付けているのか。
どこに確証があるのか。嗜好なんて曖昧なもの。
なら逆に曖昧じゃない、目の前に存在する”ゼロ”ならば。

ゼロとはなんだ。
――――テロリストだ。

「なんかしっくりこないなぁ……」

怒った顔、呆れた顔、笑った顔。圧倒的に呆れが多いいゼロの顔を思う。
これを被せたらゼロは無敵のテロリストに変身するとか、そんな昔の特撮かアニメみたいなお約束の話になるのだろうか?
それはそれで嫌だ。
よし、と拳を握る。
ゼロだって見つかるとは思っていないようだし、実際もう諦めたのだろう。海を見回ろうともせずに山へ籠もったのだ。
――――だから構いはしない。
沖へ力一杯スザクの馬鹿力で投げられたゼロの仮面は、綺麗な放物線を描いて ――――落ちた。


▼ ロストマン -3-














パチパチと炎が爆ぜる。
森から木の枝を集めて海岸沿いまでルルーシュを呼び戻して火をおこした。寝床として海の側は快適とは言いがたい。探索して洞窟のような場所を探すのもありではあったが、火を起こすのに水の無い場所は不安があったし、助けを求めるには海の側が良い。森の中では船が見えない。
海風で多少寒いかもしれないが、今の季節凍死する事はない。
ああ、そろそろか。
香ばしい匂いが漂ってきたのを感じてさっと二本火にかけていた木の枝の櫛を取る。そのうちの一本を向かいに据わる不機嫌な顔をした自称テロリストに差し出した。

「熱いから気をつけて」
「……おまえ、俺をなんだと思っている?」

睨みながらもその即席の櫛に刺さった魚を受け取り、ゼロは顔の前でそれをピタリと止めた。
そう、目の前にあるのは全て獣肉ではなく――

「くっ……なぜだ」
「それは君の罠が完成しなかったからだよ」

自分も魚の腹にがぶりつきながら事実を答える。
無理だろうなとは思っていたが、やっぱり案の定、呼びに行ったときはバテテひっくり返りそうになっていた彼を慌てて抱えて止めさせた。食糧があればいいんだろ、魚が沢山取れたからと言って、そのまま抱えて海まで戻ったのだがじたばたと動くゼロは納得したわけではないようだった。
けれどもう日が落ちる時間。その仕掛けが間に合わない事は一目瞭然だった。
ゼロにだってそれは分かっていて、戻ろうとはしなかったけれど。
顔を上げれば仏頂面でもそもそと口を動かす様子が目に入って可愛いなぁと思う。
綺麗な顔と、上から物を下すような口調と、そのくせさっきのように少し間抜けな様子と。そのギャップがなんだか微笑ましい。何も知らないけれど、きっとこれは誰もが知っている姿ではないのだとなぜか思った。

目を覚まして、何も分からないままたった一人、見つけた人。
俺のことを知っていて、優しい口調でも、労る口調でも、哀れむ口調でもないけれど、丁寧に問いに答えてくれた人。
今自分の世界に人は自分とゼロと二人しかいないけれど、それでもきっと特別なんだろうと思う。
だって自然に顔を伺ってしまうとか。

「口に合わない?」
「いや、美味いが」

それでもなお不満そうな顔は、ひとえにそれが自分の功績が一つもないからだ。
そろそろ本気で諦めてくれないかなと思いはしたけれど。

「えーっと明日にはできるんじゃないかなぁ……落とし穴」

慰めの言葉なんてこれしか出てこなかった。





まったく、どこで計画が狂ったのか。システムは完璧だったはずだ。己の筋力が原因だとでもいうのか。それとも太古、この方法で狩猟をしていたときは複数人で作っていたのか。
スザクが魚を捕まえてきた事はなんの驚きも無い。釣りは子供の頃スザクが教えてくれたものであるし、肉体労働においてスザクがどんな功績を挙げようが今更驚かない。
記憶喪失というものは知識を活用するようなタイプの人間、すなわち自分のようなタイプならともかく、体を動かすタイプ人間、つまりスザクのようなタイプにあたっては特別問題とされるわけではないらしい。
呆れるほど、変わらない。これが学校の行事であるかのような錯覚さえ起こさせるほど、いつものスザクだ。

「クシュっ」

夜風にくしゃみが一つ零れる。

「寒い?」
「いや……それより気持ちが悪いな」
「あぁ、乾かしてなかったもんね」
「乾かしたところで塩の気持ち悪さは取れないだろう」

張り付いた服を引っ張りながら、べとべととした感触に顔を顰める。
くしゃみが出はしたが、火もあるし寒いというほどではない。それよりも、海水と汗による塩のべたつきの方が気になった。

「真水は森のほうだったな。明るくなったら行くぞ」

それまで我慢か、と溜息を吐く。
清潔なことにこしたことはないが、別に潔癖症というわけではないし耐えられないわけではない。
昔は泥でぐしゃぐしゃになったまま洗えなかった事もあったし、朝になれば落とせるという確証があるだけましだ。

「なら服脱ぎなよ」
「は?」
「服、気持ち悪いんだろ?」

にこにこと気の抜ける笑顔でのほほんと言う辺り他意はなさそうだ。
だが。

「……風邪を引かせる気か」

今さっきくしゃみをしていたのをもう忘れたのだろうか。にわとりは三歩歩けば忘れるが、スザクは三歩も歩いていない。というか座ったままだ。

「乾くまでくっついてれば平気だよ」
「おいっ」

ぱっと立ち上がったと思ったら、人の隣にさっさと腰を下ろしたスザクに慌てて抗議の声を上げる。
男二人でくっついて一体全体なにが楽しいというのだ。

「スザク」
「ほら、ゼロもさっさと脱ぎなよ」

さっさと上だけではあるが脱ぎだしたスザクは人の抗議など聞いていない、決定事項であるらしい。
昔と、再会してからでは大分赴きが異なっていたが、こういうところはある意味変わっていない。会長なみの強引さだ。

はぁ……

先刻とはまた違う溜息を吐き出す。
大人しく上着を脱いで既に脱いでいたマントの上に放り投げると、むき出しの肩と肩が触れる。

その温かさは酷く久しぶりの気がした。


▼ ロストマン -4-














空が光った。
(……来たか)
自然のものではない、人工的な電気光。来るとしたら二つに一つだ。
アレが黒の騎士団でも、軍であってもこの時間は終わる。俺たちは敵に戻る。
黒の騎士団であれば白兜のパイロットであるスザクを捕らえるしかないだろう。例えスザクに記憶が無くとも。
軍であれば当然、ゼロの象徴といえる仮面がないといえど――だからこそ囚われる。
そんなことにはしたくなかった。
だがどうする?このまま二人で脱出でもするか?
――お笑いだ。
「黒の騎士団なら誰が来るかな」
扇か、藤堂か、それとも朝比奈辺りかC.C.が来てくれれば良いのだが、あの魔女が自分で率先して動くわけが無い。
それ次第で多少の攻略は可能だが、完全な回避にはギアスが必要になるだろう。
「軍ならユーフェミアを探しに来た人間――コーネリアかあるいは……」
両方、かもしれない。
今エリア11に居る皇族の二人。
コーネリアは必ず、ユーフェミアを自ら探しに来るだろう。妹への愛情は理解できる。
もう一人居る
――シュナイゼル。
使える要素があれば奴は必ず自分で動く。
「何を考えてるの?」
後ろから掛けられた声に顔を向ける。
こちらを向いた瞳が碧く光っていて、寝転がったままスザクが瞳を開けているのが分かった。
「起きていたのか」
「うん。何か光ったね」
起き上がって空を仰ぐ。
それから指示を仰ぐようにスザクは俺を見た。
「行く?」
「いや。夜に山に登るのは危険だ」
今光が降りたのは山の方角だ。昼間でも何が起こるか分からないのが山の中だが、夜は尚分からない。木や草が夜の闇を尚色濃くする。谷に滑り落ちる危険性もあるし、山道を迷う危険性もある。スザクが居ればどうにかなるような気はしたが、無理に動くことはない。
スザクが俺の向い、火の側に腰を下ろす。
何者かが来たのならこの時間は長くは無い。
見つかってしまえばこの時間は終わりだ。他者が入り込んだ時点で自分たちは敵に戻る。
(ぬるいな……)
殺しあうでもない、スザクを引き込むでもない、ただ側に居るだけだ。
救助の望めないサバイバルでもあるまいし、仲良く一つの炎に当たっているなんてそんな図は可笑しいのだ。
軍人とテロリストが。
思考を打ち切るようにパチンと炎が爆ぜた。スザクの瞳はずっと俺を見ていた。
その瞳はいつもスザクが”ルルーシュ”に向ける無邪気なものでも、スザクがテロリストに向ける鋭く断罪するようなものでもない。
俺には不可思議としか思えない、不思議な瞳だった。
記憶を失くすというのはそういうことなのか。
「どうして、君はテロを?」
「変えたい世界があったんだ」
今なら素直に口に出来る。記憶が無く、否定をされないと分かっているから。
優しい世界もあった。アッシュフォード学園の中は確かに俺とナナリーに優しかった。少なくとも、死の恐怖も、誰かに踏みつけられることも無かった。
けれど全てが偽りで、壊れないように恐々とした。それは美しい箱庭の世界。
そんな恐怖をずっとずっと持って生きていくことが、ナナリーにそんな思いをさせることが耐えられない。
箱庭はいつか壊れる。
二度も経験すればそれが真実だった。
「そう、か」
スザクはただ相槌としてその言葉を口にした。会話上の流れに過ぎないそれは、納得したというものではない。
確かに否定はしない、だがもう一つ俺が予想した通りの言葉を口にした。
「沢山人が死んで、負けたら今よりも酷い生活が待っていて、それは君だけのものじゃない。日本人全てが巻き込まれる。それでも?」
記憶がなくても価値観はそのままだ。父親を殺したことはどう影響しているのだろうか。
スザクの最大のトラウマ。
「おまえはそう言うと思ったよ」
だから相容れない。だからスザクと俺は敵なのだ。
犠牲を出してでも成したいことがある。失敗を恐れて足を止めることは許されない。
「所詮ブリタニアの思考だと笑ってもいい」
ブリキ野郎と罵られても文句は言えない。
分かっているつもりだ。
「俺は諦めるつもりはないよ。例え何を敵にしても」
「僕でも?」
「おまえは、敵になるか?」
スザクは困ったように口を閉ざした。
即答できないことなど分かっている。だからくるりと後ろを向く。
「もう寝ろ」
その問いはスザクを困らせるだけだと俺は知っていた。





背を向けて横になった彼は黒い衣装と相まって闇に消えてしまいそうだ。
疲れているのだろう。何かあればすぐに飛び起きてしまうだろうが、それでも細い寝息が聞こえる。
「なりたくないよ」
小さく呟いた言葉はきっと聞こえない。彼はそこまで身体能力が優れているわけではない。
「ねぇルルーシュ。どうしたらいい?」
答えは多分簡単で、それゆえに思い切ることができない。
正義も悪も考えず、ただ彼と敵対しないことを選ぶのであれば酷く簡単なことなのに。

▼ ロストマン -5-