彼は決して振り向かない

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1.

火曜日最後の時間――学活の時間でそれの話が出た。
一般的な高校生活においてビックイベントの一つ、文化祭。
ということはつまり……
監督とキャプテンが揃ったクラスでは当然ヒソヒソコソコソとそれ以外の話が交わされる。
「そういうや部活でも何か出すのが恒例だったな」
「別に強制じゃないけど、部費に響くのよね……」
「かといってこの時期にお祭り騒ぎで練習時間割くわけにもいかないしな」
唯でさえクラスの準備で時間をとられるのだ。バスケ部でもこったことをやろうとしたら間違いなく練習時間が潰れる。一日二日ならいいが、それが一週間にもなればそうとうに打撃だ。
繰り返し練習することが上達への一歩なのだ。一週間練習しなければどうなるか、押して知るべし。
うーんとリコは唸る。
こういったことに悩むのは上級生の仕事だ。それ以上に選手には負担をかけないのが望ましい。楽しみにしている人間が居ればそれはそれで横暴でしかないが、文化祭を楽しみたいならクラスのほうで楽しんでもらおう。
「準備は私がやるわ。協力よろしく!」
頼もしい監督の言葉に頼むとキャプテンは返す。自分ではどうにもならない。こういうことは彼女の方が得意だ。
ただし、時にやりすぎることをこのとき彼は失念していた。



当日、指定された部屋に用意されたのはマイクと立て看板、それからプロジェクターとパソコンが一台ずつ。こんなところで何するんだと部員一同首を捻る。
試合の上映会でもするのか。
今日までまったく部活での準備はしていない。監督が準備してるから大丈夫よというのでまかせっきりだ。何をやるのかすら聞いていない。得てして部活単位の出し物はその部の趣旨に即したものが多い。サッカー部だったらキックターゲットだとか、野球部だったらストラックアウトだとか、そんな某テレビ番組で同じみのもの。
翌年の部員獲得にも関る部活のアピール場所でもあるのでそういう部が多いが、ぶっちゃけそうしろという決まりはない。まったく関係のない出し物をしたって全然まったくかまわないのだ。
そこでリコが考えたのがこれだ。
「謎の美女を捕まえろぉ?」
パッとプロジェクターに表示された文言を小金井が読み上げる。
部員が趣旨を理解していなくても、これはもうすでにアトラクションの開始だ。当然ここに居るのは部員だけではない。ただし圧倒的に男子生徒が多いが。
思春期の青少年らしくざわざわと反応があるが、その声はどれも困惑が多い。
「美女ってまさか監督……」
「いねぇだろ」
失礼なことを目の前で言う火神をエルボーで沈めてからリコは胸を張って説明する。
「残念なことに私はここで受付と指揮をとらなくちゃならないから、ターゲットは別の子よ」
コホンと咳払い。
バスケ部に他に女子が居ないことを知っているバスケ部部員たちは首を捻る。どこから掻っ攫ってきたんだろうか。
「名前はいえないけど、皆さんにお見せする貴重な写真を入手しました」
そのために用意されていたらしい、プロジェクターが大きく一枚の写真を写す。
俯いた顔はよく見えない。
長い髪とシンプルなワンピースが特徴といえば特徴か。
清楚な雰囲気を持つ写真の主は確かに美少女だ。
「これを元に探してね。タイムリミットは文化祭終了まで!見つけたらこの本部までつれてきてね。あ、ちなみに説明はこの回だけじゃないから!」
なるほど、と伊月は監督の手腕に手を打った。
これなら手間がかからない。ついでに費用も。設備は全部学校のものだろうし、なにか掛かるとしたら景品くらいのものだろう。こういったイベントには景品がつき物だ。
「捕まえた人にはわがバスケ部のエース・火神大我を無料で貸し出します!」
「ちょっ……なに言ってんだっすか!!」
いつも通りおかしな敬語を語尾に付けながら指名された火神が床から復帰する。
二年の中では俺じゃなくて良かったーというのが正直な話だ。
何をさせられるか分かったもんじゃない。
「文化祭の雑用でも後日助っ人でも好きなようにこき使って頂戴!」
プロジェクターに写している写真は何度見に来ても可、ただし配布はない。予算をかけないことに徹底している。
説明は以上だ。景品が魅力的かどうかはさておき、宝探し的なイベントはそれなりに人を楽しませる。悪くない企画だ。文化祭の後に行われる投票で上位を取れるかどうかは分からないが、それが目的なわけではないのだからいいだろう。
ただしその間部員は暇だ。
体育館もやはり文化祭の出し物で使われているからさすがにこの日は練習できない。
各々クラスの手伝いに行ったり回ってみたり好きにしなさいと言われれば、一年は解散した。
唯一人、後日労働力を提供させられることを宣言された男を除いて。
「監督!あれはなんすか、なんで俺が雑用だのなんだのしなくちゃならないんっすかっ」
「なによ、嫌なの?」
「嫌っすよ!!」
力いっぱい肯定して、火神大我は主張する。
別に文化祭の出し物などどうでもいい。しかし何で俺。
練習時間を削らないようにというなら景品くらい何か適当なものを買っておけばいい。その方が一般生徒受けもするだろう。
そう考える火神は文化祭における力仕事の必要性を分かっていない。
文化祭実行委員などは目の色を変えて探すだろう。準備も大変だが当然片付けも大変なのだ。
「うーんじゃぁ火神君、本来部員は参加不可なんだけど、特別に参加することを許してあげるわ」
「はぁ?わけわかんねぇ……」
「労働の提供が嫌なら自分で勝者になりなさい」
その言葉に火神の顔つきが変わる。面白そうじゃねぇか。そうやる気が出た顔だ。
それを見るリコの顔には馬鹿は扱いやすいと書いてある。
どすどすと鼻息荒く本部になっている教室を出て行った後輩を見やって残った面子は顔を見合わせ、それから揃って監督たる彼女を見る。
「ま、見つからないとは思うけどねぇ」
「おまえまさか……」
ニヤリと意地が悪そうに笑う。その顔になんだかとっても嫌な予感はした。
火神頑張れ、なんだか凄いことになってるみたいだぞ。
どう転んでも火神にしか災難は降りかからないので今のところその程度の同情ではあるが。
「それじゃ私は逃げるほうの準備見てくるからあとよろしく」
ヒラヒラと手を振って出て行く、女子高校生にしてバスケ部監督なんてやっている相田リコにぬかりはない。

































2.
出だしは上々。展示や喫茶店とは違った観点が興味を引き、参加率も悪くない。
あとは問題の“美女”を作るだけだ。
スキップをしながらいくつか教室を横目に、バスケ部が拠点として取った部屋からはずいぶん離れたところでガラリと扉を開ける。
「あーリコ、こんな感じでどう?」
協力要因の友人に任せていたが、どうやらちょうど終わったらしい。
残念ながらリコに化粧というスキルはない。十分健康的な美貌だからいいのだ。
どれどれ、と覗き込んでうぅんと思わず唸る。
「美人に仕上がったわねぇ」
写真を撮るときに服と髪が違和感なかったことは知っているが、それ以上だ。
化粧だけで此処まで化けるとは……
普段、黒子君は男子生徒としてはパッとしないが、どうやら顔立ちは化粧栄えするらしい。まぁ男の子の方がまつげが長かったりすることは多いけれど。
「監督。文化祭の出し物として僕が逃げる役なのは分かりましたが……」
黒子君にだけは準備があったため事前に説明はしてあった。
簡単で明確なルール。彼の役割。
「どうしてこんな格好をする必要があるんですか?」
何事にも動じなさそうな黒子君でも男の子としてのプライドがあるのか、やや不満そうにスカートの裾を摘む。
(うわー可愛いわぁ)
生まれてくる性別間違えたんじゃないのこの子。抜けるような肌も、くるんとした睫も、美女にしか見えない。普段の無表情さが何故かクールに見える。
彼は決して美男子ではない。精悍さよりも可愛らしさが勝る子で、どちらかといえば童顔であるはずなのに。
「監督?」
呼ばれて我に返る。いけないわリコ、何女装した男相手にときめいているの。
気を引き締めてバチンとウィンクする。
「美女のが盛り上がるでしょ」
それに男を追いかけさせるのだと適任者が居ないのだ。誰がみてもこいつはカッコイイ!と思わせるような男は正直なところ誠凛バスケ部には居ない。そう、黄瀬涼太のように居るだけでファンが寄ってくるようなキャラクターは。
無理に作っても寒いだけだし、なにより部内で不必要な格差を作るのは忍びない。
「さてと、黒子君。もう第一弾スタートしたから」
彼には逃げ回ってもらわなくてはならない。
それはそれで体力づくりの一貫になるだろう。彼には圧倒的に体力がない。
一番いいのは勿論つかまらないことだが、捕まったら捕まったで練習になる。それが狙いだ。
商品があえて火神君なのは、同じ一年生に平等にというか反論がないようにという配慮だ。
「ってことで黒子君、頑張ってね」
ギラギラと光る監督の顔に逆らえる部員は誠凛バスケ部には居ない。





「……困りました」
放り出された教室の外で、仕方なしに歩き出しながらうぅんとまったく回りから見れば困った顔に見えない顔で困ったと呟く。
誰にも見つからず一日を過ごすということは然程難しいことではない。流石にミスディレクションを一日中発動させておくことは難しいが、そんなことをしなくても簡単な日常生活なら問題ないだろう。
だが、いくら影が薄いといってもこんな目立つ格好では見つかるのも時間の問題だろうと思う。
ヒラヒラと足に纏わりつく布地はこの学校の制服ではない。校舎の中に制服を着ていない高校生なんてそうはいない。
……そんなことはなかった。
この学園祭という特殊な空間の中ではこの非日常な洋服もありきたりなものとして認識されるらしい。驚きだ。
メイド服や童話のキャラクターらしき服装の女の子などがあふれていて、全然まともだ。それに忘れていたが、文化祭というのは一般の人も来るわけで。
「誰かに見られるわけじゃないのでいいんですが」
文化祭だからと遊びに来る身内は自分には居ない。ちょっとバスケ部やクラスの人に見られると気まずいかな程度だ。本当になんだってこんな格好。
(足元がスースーします……)
何より着心地もあまりよくない、というか頼りない。それがとにかく頂けない。
頭も重い。腰のあたりまであるロングの鬘は結構な重量だ。
べたべたしても拭ってはいけない顔は今のところは大丈夫。だが動き回るとしたら中々にハンデばかりだ。自分はどちらかといえばハンデを貰うべき側だと思うのだけれど。
「とりあえず、中庭でも行きますかね」
確か飲食関係の露天が並んでいたはずだ。その辺りにやはり人は集まる。
ちなみに図書室や屋上など人が集まらない場所に長時間居ることは却下されている。
人ごみを探して歩くなんて、自分にはどうにも性に合わない一日になりそうだ。

































3.

「あんな写真一枚でどうやって探せっつーの」
何年何組だとか、名前だとか、そんな情報すらない。
現実版ウォーリーを探せでもしろってのか。
ぶつぶつ言いながらも人ごみに視線を走らせる。たかだか高校の文化祭、されど一組織の一大イベント。
ちゃちいが中々人で賑わっている。いつもは教室に押し込められている人間がすべて溢れ出しているのだから当然か。
クラスの出し物は無難に喫茶店だ。当番の時間になれば、シフトに入る必要がある。
その点、バスケ部の出し物は確かに楽だ。準備も要らなければ当日もほとんど動く要員はいらない。
だがそれに巻き込まれる一部はたまったものじゃない。
「くそっなんで俺が……」
黒子……は力仕事には役に立たないが、バスケ部の一年なら他にも居る。そいつらだって使えばまだ納得できるものを、なんで俺一人。
(っていうか景品代くらいケチんなっつーの)
物品があればそれでいいはずだ。練習時間優先とか言ったくせになんでそんなとこだけ人力なんだ。可笑しいだろ絶対。しかもスタメンを使うとか。
「あれ?火神じゃん、まだシフトじゃないだろ?」
「あぁ?」
自分のクラスの前で立ち止まった所為でクラスメイトにぶしつけな視線を食らう。まぁシフトでもなければ確かに寄り付かないが。
名前は覚えていない。バスケ部の一年だって最近やっと覚えたのだからクラス全員なんて顔と名前が一致するわけがない。こんなことがある度によく覚えられるなと常々思う。
まぁそれでも会話は成り立つのだから問題はない。この際だ。簡単な会話ついでにダメもとで聞いてみる。
「なぁ、ワンピースの女見なかったか?」
「なんだ火神、おまえもやんの?バスケ部だろ?」
「いいんだよ。こっちは死活問題なんだから」
大雑把な説明にも反応するくらいにあの監督立案の企画は知られているらしい。
中々どうして厄介だ。人探しなんて人が多ければ多いほど誰かに見つかる可能性が高い。要はタイミングの問題だ。
これは早く見つける必要があるかもしれない。
「結構やってるやつ居るみたいだぜ。宣伝が上手いもんなぁ」
「へぇそうなのか」
「美女を探せなんて言われたら健全な男子高校生なら喰いつくって」
そんなもんか。周囲に規格外が多いのかもしれない。
というかバスケ部の実態を知っている所為か。美女なんてどこに居るんだか。
(だよなぁ……どっかから借りてきたのか?)
当然女子は監督だけだ。その監督ではないというのならそれしかない。それが部の出し物としてありなのかどうか知らないが。
「結構先輩とかも見たらしいんだけど誰も知らないんだってよ」
「この学校の生徒じゃないのか?」
「文化祭に参加してるんだからそうだろうって話だけどさ、別にそう規定があるわけじゃないんだよな」
きちんと読んだ記憶はないが、クラスで文化祭の話が出たときも委員長の文化祭概要抜粋に参加者は誠凛高校生徒であること、なんてことは書いていなかった。
とはいえそれをあえてやろうという人間もあまりいないだろう。自分の学校の文化祭だ。自分たちで作り上げたいというのが心情だろう。
「だからさ、幽霊じゃないかって噂」
「はぁ?幽霊??」
「しーっ火神!声大きいって」
声がでかいもくそもない。
そんな馬鹿みたいな話を聞いて、盛大に溜息を吐く。
「幽霊なんかいるわけねぇだろ」
七不思議にだって実態があるのだ。そうだ黒子がうっかり作ってしまったように。というかあいつみたいのが居るから怪談なんてのができるんじゃないか。
(……ちょっと待て)
俺は今なにを考えた。
誰も見たことがない、見つからない、それはまるで……
「黒子?」
いやいやまさか。
写真を見たが、あれは女子だ。男じゃない。
いくらバスケ部員にしては小柄だとしても、男が女装なんてお笑いにしかならないはずだ。遠めにでもちゃんと女に見えるなんてそんなことがあったら笑える。指を指して笑う。
合成という線もあるが、まさか唯一の手がかりをそんな手法で作ったのがばれたらブーイングは必死だ。文化祭後に行われるアンケートの評価を気にするならそんなことはしない。
「ってか黒子見たか?」
「さぁ……居たかもしれないけど気づかなかった」
「だよな」
そういうことが間々ある。バスケ部の企画説明があったとき、あいつは居たか?
思い出せない。
良くあることだ。だが……
(関係ないってことはねぇんじゃねぇか?)
野生のカンが告げていた。

































4.
焼きたての今川焼きをパクつく。
中身はカスタードクリームで、熱々のそれは普通に美味しい。周辺から生焼け注意なんて話もと聞こえてくるが、幸いにして当たらなかったようだ。
買い食いをしてはいけないとは言われていないし、人ごみに居なさいと言われているのだからこれは問題ないだろう。
普通にくださいと言って受け取って、ちょうどピッタリの額を置いていく。
それだけの動作で気づかれることはまずない。
問題なのはクラスの当番シフトだ。
絶対に誰にも言うなと言われていたので部活で一日出れませんとは言えなかった。
人が来るという条件はクリアされるが、この格好で当番に入るわけにはいかない。バレバレであるし、何より嫌だ。かといって着替えるには化粧まで落とさなければならないし、そうなったらまずこの格好に戻れない。
「火神君に代わってもらいますかね」
同じバスケ部員なら姿を見られても問題ないだろう。
どこにいるか分からないが、行きそうなところはわからなくもない。食べ物があるところに居ればそのうち会えるだろう。
(……この格好を見たらなんて言いますかね)
流石に、伝言をするのに認識してもらえないのじゃ話にならない。ちゃんと声を掛けるとして、それはつまりこの格好を認識させるということだ。
鼻で笑われるか、指を指して笑われるか。想像してやめた。どちらにしろあまり面白いことにはならない。
そうだ別に自分で態々探しに行く必要はない。だって誰にも捕まってはいけないのだ。
「監督に頼んで連絡してもらいましょう」
世の中には携帯という便利なものがあるのだ。文化祭中持ち歩いているかどうか知らないが、監督も火神君も確か携帯を持っていたはずだ。
指揮を執っている監督なら上手くやってくれるだろう。そういうところに抜かりはない人だ。
クルリと身を翻し、教室の並びに戻ろうとして。
(……なんで、こんなタイミングで居るんですかね)
向かい側から来る、その周囲より頭一つ飛び出した目立つ頭を見て毒ずく。
何処に居たって分かる。バスケ部員としたって長身の部類に入る彼の、さらに特徴的な頭。赤い髪。
コートの上ではない所為か、覇気はさほど出ていないがそれだって存在感は自分と比べ物にならない。そこに彼が居ることを忘れる人は居ないだろう。
自分とは正反対の人。僕の光。
(厄介なことになる前に行きましょう)
そのままそっと人の流れに乗れるはずだった。そうすれば見つかるはずなどなかったのに。

――まさか真っ直ぐに僕を見るなんて。

人混みを掻き分けて真っ直ぐにこっちに向かってくることからも、間違いなく目が合った。
(どうして……!)
分かったのだろう。偶然か、野生のカンか。
なんて面倒な。
(あの距離なら、まだ僕だと気づいてはいないはず……)
三十六計。
とりあえず逃げるが勝ちだ。



小腹が空いて外に出てきたのは正解だった。
人間誰しも腹が空く。つまり食べもののある方に来るというわけか。それを狙っていたわけではないが。
「居た!」
ほらみろ、やっぱり幽霊なんかじゃねぇ。実在する。俺はこの目で見た。
だいたい幽霊なんてものが写真にあんなにくっきり映るわけがない。
顔が分かるほどは映っていなかったが、足までばっちりと映っていたじゃないか。
目が合った瞬間、逃げる素振りに思わず叫ぶ。
「待てよっ」
瞬間彼女は駆け出した。だが遅い。一般的女子はこんなもんなんだろうか。
すいすいと人の中を泳ぐ彼女は以外に追いつけなかったが、それでもそんな距離は詰めて手を伸ばす。
「おい、おまえ……」
言葉が途切れる。
「あれ……?」
確かに掴んだと思ったのに……
手の先には誰も居なかった。

































5.
ミスディレクションを発動する。
それすら効かなかったら自分の在り方を考え直さなくてはならなくてはならなかったが。
大丈夫だ、火神君の視線が逸れる。もう、僕を見つけられない。
これだけ僕を見ようとしている視線なら、逃れられないはずが無い。人の意識を逸らすのは簡単だ。
そもそも逸らす必要なんて無かったはずなのに。
(……服の所為ですかね)
そうでなければ考えられない。普段だって、声を掛けなければ同じ席に座ったって気づかないのだから。
「それとも、見かけの性別の所為ですかね?」
そういえば監督に対しての発言からするに、あれで中々面食いらしい。
そうすると。
「この格好が火神君の好みど真ん中だったとか……」
さすがに無い。あったら色々と揶揄ってみたいが、それはそれで気持ちが悪いことにもなりそうだ。自分にダメージを受けてまで人を揶揄う趣味は無い。
(というか、違ったら逆に僕が揶揄われるじゃないですか)
恐らく、あの様子では顔は見られていないはずだ。
見ていたらきっと大声で呼ぶくらいするだろう。僕と違って彼はそういうところに躊躇いが無ければ地声だって馬鹿でかい。
まだ、ギリギリセーフ。そんなライン。
ただしまだ文化祭は半分も終わっていない。
「……なんだか良くない予感がするんですが……」
緑間君じゃなくても予感に準じたいくらいには嫌な予感だが、これを止めるという選択肢はきっと監督が許さないのだろう。



ぼんやりと白い手を掴んだはずだった手を眺める。
何回目だろうか。そんなもの数えては居ないが、温もり一つあるはずのない手の中を何度も見つめては溜息を吐く。
「おー火神じゃん。なにそんなぼんやりしてんだ?」
「あー小金井先輩」
クラスの出し物なのだろう。浴衣なんかを着ていて何だと思う。
そういえば今日は変な格好の奴を良く見る。
「どうだ?見つけたかぁー?」
「見つけたっていうか……」
「見つけたのか!?」
驚く先輩に首を振って否を示す。
「見つけた、と思うけど捕まえられなかったっす」
「そりゃー相手だって必死だろうしなぁ」
どこかほっとしたような顔と、しみじみとした言葉に怪訝そうに顔を顰める。
「(写真で今日初めて見たけど……あの格好じゃ知られたくないよなぁ)」
上級生特権というか強制協力体制を引かれているので事実を知った今、同情してしまう。
多分、誰に知られても火神には知られたくないだろう。
ライバルとは違うのかもしれないが、同じ一年生レギュラー同士思うところがあるだろう。しかも火神だし。
「先輩?」
「いやこっちの話」
まぁだからその辺は火神には内緒だ。尊い黒子の犠牲をちょっとだけ尊ぼう。
だいたい今回の黒子の苦労に比べれば火神の負担なんて微々たるものだ。
黒子が捕まらなければ火神も無事なんだし。
「てかどっから連れて来たんっすか?バスケ部に女子なんていないのに」
「おまえ監督忘れてっぞー」
「あれは女じゃねぇ」
「おまえマジ殺される……」
俺は知らない。まったくもって無関係だ。
だからターゲットにされんじゃねぇかなとか思わないでもない。が、あれで監督は私情を持ち込まない――多分。
今回だって解説を聞いてみたら利に叶った練習だったりする。
(ミスディレクションの持久力を付けさせるっていうんだから)
そういう意味では火神はとばっちりだが。
「まぁ気になるんならほどほどに頑張れよ。明日もあるしな」
「そっすね」
ひらひらと手を振って分かれる。

(明日……)
掴みかけていたあの手を今度こそ掴めるだろうか。