勝敗水掛け論:


雲が流れていくのをぼんやりと追う。
このまま眠ってしまっても寒くはない程度に晴れているが、何も昼寝がしたいから此処にいるわけではない。
動けない、とまでは言わないが体が重い。
酷使したばかりだから仕方がないとは言え、好きでもない勉強をしに教室に戻るのが億劫になった。
横になれる上静かだからと階段を上ってでも屋上に来たが間違いだったかもしれない。
(まぁ、いいか)
一時間や二時間サボったところでうずくような良心は生憎と持ち合わせていない。どうせ授業に出て居たって寝ているのだ。授業についていけるか、という点では変わらないし、怒られるのも変わらないなら後で怒られるほうが一度に済んでいい。
そう決めてしまえばあとは気楽なものだ。
「サボりですか?」
気配はなかった。目を閉じていたわけでもないのにぬっと現れた顔に飛び起きそうになって、腹筋に力を入れた瞬間あいたたたと情けない悲鳴が口から零れた――だから現在筋肉痛なのだ。
いい加減慣れてきたが、それでもこう急だと思わずといった反射はある。お陰で痛む体を抑えながら答える。
「此処にいる時点でおまえもだろーが」
「僕はちゃんと先生に言ってきました。体調が悪いので5限は欠席しますって」
相変わらずソツがない奴だ。保健室に行くでないところがさらに小ざかしい。
もっとも保健室なんかに様子を見に来るやつも居ないし、そもそも黒子が居るか居ないかを見定めるのは難しい。
仮に保健室に居たとしたって居たといえば居たことになるだろう。そんなことが日常茶飯事なのだから。
「調子悪ぃなら保健室だろ」
「ただの筋肉痛ですから横になれればどこに居たって同じです」
そう言って黒子もごろんと隣に足を投げ出す。斜め後ろについた腕は上半身を支え、首がくいと後ろに反った。
「だったらこうやって空が見えるところの方がいい」
「そりゃ同感だな」
「誰が使ったか分からないベッドは嫌ですし、案外五月蝿くて休めませんから」
「……」
正論だが色々と台無しだ。
黒子らしいといえばらしいが、後半の台詞は要らない。
「ここも勿論季節によりますが」
「いい、それ以上言うな」
寒い時期にそんなことは言っていられないということだろう。
要は比較の問題だ。如何に居心地の良い場所に行くか……
はたと、とあることに気づく。
「おまえ先にここに居たのか?」
「いいえ。今日は火神君の方が先でした」
生憎と、とどこか悔しそうに見えなくもないのはお気に入りの席取りに負けたとかそんな感覚なんだろうか。椅子取りゲーム的な。
比較は何故かいつも同じ席になるマジバーガーだろう。
「なら俺の勝ちだな」
「何がですか」
勝ちの単語にむっとしたように黒子が問いただす。あなたに負けた覚えはないというような顔はバスケをしているときにほんの少しだけ近い。なんだかんだ言っても勝ちにこだわりがある。
負けることが悔しくない人間は戦えない。
だから余計こちらも煽るようにニンマリと笑う。
「もちろん、決まってんだろ」
「あなたはいつも後から来てるじゃないですか」
「おまえのは反則だろ」
「何がですか。僕はただ座っているだけです」
「それで気づかせないのがおまえの売りだろーが」
「普段はそれを心がけているわけではありません。まったく、そういう火神君はやたら存在感がありますからね」
どこに居ても分かりますよと黒子は苦のたまう。身長や体格がそりゃ違うのだから当然だ。
だからこそ、同じ場所に居る確立が高い。そんなことを言ったって。
「僕に勝ったと言いたいなら、ちゃんと見つけてください」
後に居ても先に居ても、声を掛ける前に見つけられたら。
「そうしたらあなたの勝ちです」
いい考えだ。一人そう肯く黒子はこっちの話など聞く気がないのだろう。聞こえていないということはありえない。まずもって意図的だ。
先だろうが後だろうが気づくタイミングは同じという最大の問題に、どう挑戦しろというのか甚だ不満だ。

































色白の男の子:

こほん、と空咳が一つ。
「なんだよ、風邪か?」
耳ざといことだ。ボールの音と複数の足音で消されるくらい小さな咳だったのに。音は存在よりも消えにくいのか、時々姿が見えないのに声があるという恐怖体験に出会うが、今日はちゃんと視界に黒子が納まっていた。
「いえ。空気が乾燥している所為でしょう」
淡々といつも通りに答える黒子の様子に特に変わったことはなかったから、そうかと何とはなしに傾けていた耳を体育館全体に向けた。
現在は当然部活中である。
フットワークは終え、現在パス練の真っ最中だ。
待ち時間というものがどうしてもできるし、まぁ火神が自分よりもひ弱そうな黒子を心配(心配、でいいんだよなあれ)することは分からないでもない。
「火神君は風邪とか縁がなさそうですよね」
「あーまぁあんま引かねーな」
だろうな。火神が風邪で倒れると聞いたらすわ鬼の霍乱かと思うだろう。
客観的な印象だが、どうやら間違っていないらしい。さらにライン際に固まって話してるもんだから監督が面白そうに食いついて来た。
「やっぱ馬鹿は風邪引かないって本当なのね」
「どういう意味っすか、監督」
ギロリと睨む火神は教師もかくやというほどの迫力があるが、勿論我らが監督はそんなことを意に介さずほほほほほ、と笑う。
あえて突っ込むところがあいつの性格の悪いところだ。俺も否定はしないが。
「ほら、コート空いたぞ。ツーメン行って来い」
代わりに火神が噛み付く前にほらほらと促す。今が練習中だということは忘れていないし、上級生と下級生の分別もちゃんとあるから素直なものだ。
まぁ監督と黒子なら簡単にあしらうんだろうが。
淡々と練習をこなす姿は、いつもの日常風景で。
だから気づかなかったのは決して俺の落ち度じゃない。

……というか部長の責任範囲外だ正直。





ケホン。
続くわけではないが、度々零される咳に火神が再度不信そうに見下ろす。
「やっぱおまえ風邪じゃね?」
「そうね……念のため熱計ってきなさい」
「……そうですね」
自分でも自覚があったのだろう。監督命令に従って大人しくボールを下ろす。
すでに個人練習で残っているのはレギュラーばかりの時間だが、ぜえぜえと呼吸が荒い。体力がないことは自覚しているが、いつもよりもバテルのが早いような気がした。
てこてこと用意されている救急箱から体温計を取り出して膝を抱えて座る。
「監督」
「何度だった?」
「38.2度です」

「「「……」」」

「なんで学校なんて来てるんだ!」
「帰れおまえ!!」
「インフルエンザだったらどうする気?移されるのはゴメンよ」
散々な言われように黒子はボールに未練はあるものの、やはり体はしんどいのか大人しくはいと肯いた。
大変よろしい。なんせ大事な戦力だ。後に響くのも困る。
それに監督じゃないがインフルエンザ蔓延で部活動停止とか目も当てられない。
「それにしても顔色かわんねーのな」
「そうですか?」
「そうよね……熱があるならそれなりの顔色ってもんがあるでしょうに」
じっと見て、それからおもむろに監督は黒子の腕を取った。
自分の腕と並べて見てまるで悲鳴のような声を上げる。
「色白すぎてわかんないってなんなのー!?」
そういうことか。
いや、まぁ分からなくもない。バスケは屋内スポーツだから外の部活と違って部活焼けはない。そのなかでも黒子は確かに色素が薄い。
「それは調子悪くて青ざめてるってことですか……?」
「それ以前の問題よっ!もー黒子君太陽ちゃんと浴びてるの!?」
「ええ、吸血鬼ではありませんから人並みには」
「それでなんでこんな白いのよぉ」
いろんな意味で泣きそうな監督をまぁまぁとなだめてほら、と火神に目配せする。具体的な数字が出た所為かどこかぼんやりしている黒子は監督に振り回されっぱなしだ。このままじゃ帰るに帰れない。
俺の相棒たる監督は俺がなんとかするから、黒子の面倒を見るのは相棒であるおまえの責任だからな、火神。


































スカイダイブ・キャッチ・コール:

黒子がしゃがんで塵取りで最後に残ったゴミを取って、掃除道具を片付け始めたのを見てゴミ袋を持つ。
つっこんで終わりの癖に、自分が使った以外の箒も片付けていたりして、細かいのか大雑把なのか良く分からない。
「ゴミだし、行ってくる」
「お願いします」
席が近いということは、何かと班分けされたときに一緒になることが多い。
掃除も最たるもので、大体掃除当番は一緒だ。
掃除の〆はゴミ捨てで、誰がやるのか遠巻きに見ているやつが多い。掃除自体面倒だが、ゴミを持って外に出るのは殊更面倒くさい。掃除が終わる頃になるとやることも少なくなって自然に解散していくが、なんだかんだ一日分の大きなゴミ袋は残るのだ。
俺だってその流れでさっさと部活に行くつもりだったが、下手をすると黒子が最後全部やる羽目になるのだから仕方が無い。
あいつだってさっさと部活に行きたいはずなのに、何をやっているんだかまったくわからねぇ。
放っておいて先に行ったって別に黒子が居なくとも練習は出来るが、来てから詳細がばれるとなんだかんだ五月蝿い。
だったらさくっと自分でやった方が早い。そのまま部活に行こうと終われば誰も文句は言わない。当番が揃って以上終わり、なんて儀式はさすがに無い。
今のご時勢は焼却炉こそないが、やはり一箇所に集めるという行為は変わらない。旧焼却炉の前に設置してある巨大なゴミ箱に袋を放り投げる。
「うし、終了」
黒子が俺の鞄も持ってきてくれるようになったので、俺はこのまま部室に行けばよかった。
にしても……
(あいつも普通に面倒くさがるくせに、なんでこういうとこはきっちりやるんだよ?)
真面目なのか、というと居眠りなんかもしているしなんだかしっくりこない。
かといって不真面目というわけでもない。いわゆるどこにでも居るフツーの奴というのが黒子の総称だけれど。
(ま、フツーの奴が明らかに負ける相手に喧嘩売ったりしねぇか)
そんなこともあったというか、あるというか。
まぁ案外トラブルを呼ぶ奴だということだ。
言った側から。
「はぁっ!?」
ふと暗くなった気がして上を向いたら人影が落ちてくるなんて絶対に可笑しい。
ぽかんとした顔のまま慌てて落下点を探す。あまり距離が無い。つまり、それが誰だか分かるくらい近い。
というか遠くたって間違えやしないだろう、黒子みたいな奴が何人も居たら面倒くさすぎる。
それでこの状況が良くなるわけではまったく無いが。
たかが二階、されど二階だ。
落ちれば怪我は間違いない。
(ふざけんなっ……!)
窓から落ちて怪我で大会欠場とかそんな漫画みたいな展開ねぇだろう。怪我でもしてみろぶっ殺してやる。
伸ばした手が、ずしりと重く腕が痺れる。しばらくは俺も喋れねぇ。
「……なんでおまえそんなとこから落ちてくんだよ」
「ちょっと人とぶつかりました」
「それで吹っ飛ばされるなんてなんだー!!!」
これで黒子はうっかり、というやつは少ない。それよりもあるとすれば吹っ飛ばされたのだろう。それは、容易に想像がつくが。
「んなときくらい自己主張しろ!」
「起きてから自己主張しても遅いと思うんですが」
「だったらいつもしてろ!」
「それは無理です」
呆れたような顔。
馬鹿だなと言われているような、そんなの何かが可笑しい。馬鹿がと言いたいのはこっちの方だ。
でも、バスケが中心にある世界。そこでは確かに黒子が正しい。
俺もこいつも、結局はそこから離れられないくらい根付いていて。
深く息を吐く。
「それならなんかあってからでもいいからちゃんと声出して主張しろよ」
最低限のライン。
いくら技を磨いたって故障はどうにもならない。怪我で出られなくなるなら意味が無い。そうならないように。
「そしたら俺が気づくから」
今日みたいに受け止めてやるから。
それなら少しだけ安心できる。
「声を張り上げるのは苦手なんですが……」
「そのくらいは我慢しろっつーの」
くしゃりと頭を撫でる。
丁度良いところにあるからそれに慣れてしまった。

その心地よさに、俺はすっかり慣れてしまったから。
だから仕方ないからその声をキャッチする。
































小話1:

悪夢で、目が覚める。

「……っ」

朝は、まだ早い。
白んだ空は起きる予定時間よりもずっと早いことを示していた。睡眠時間が足りない。そのことは分かっていたけれど、丸くなっても眠りは訪れてはくれなかった。
嫌な汗だ。
「本当に、嫌な目覚めですね……」
あんな、夢。
それは夢ではない。現実に起きたことだ。負けた、それは確か。
でももう、それはついさっきのことじゃない。一日以上たっている。戻せない時間。
「よっぽど悔しかったんですね」
自分のことながら今更。まるで他人事のようだ。
青峰君に自分のバスケが通用しなかったこと。バスケを嫌いになった、そのときを思い出したこと。火神君の言葉。
それらは昔欲しがったものを思い出す。
体力が欲しい。
シュートが上手くなりたい。
ドリブルが早くなりたい。
ジャンプ力が欲しい。
光のようなバスケスタイルに憧れはある。
でもどんなに頑張っても才能がなければある一定のところで止まるのだ。
元々運動は得意じゃなかった。
性格もどちらかといえば大人しいと言われることが多くて、接触プレーのおきやすいバスケに向いた性格ではない。ガンガン点を取りに行くプレイスタイルは無理だ。
特別な力は望んでも手に入らない。練習するにしても向き不向きはやっぱりあるのだ。
だから僕は秀でた身体能力がなくても勝利に貢献できるパスを選んだ。
ゲームを組み立てるためのパスではない。ただの中継地点にすぎない。
それでもそのバスケなら勝つことができた。
彼らの持つ身体能力の変わりに、僕には人にはない能力がある。
バスケは一人でやるスポーツじゃない。
だから、それでいいと思っていた。
「頼りすぎていましたかね」
光の強さが自分の価値を決める。
それは確かに自分のプレイスタイルだけれど。
それだけで満足していたのかもしれない。
「少なくとも、体力はつけるべきですね」
諦めるつもりがないなら、少しでも向上しなくてはならない。
力を合わせるだけで勝てないのなら、合わせる力を上げるしかない。
火神君のほうは問題がないだろう。あれくらいでやる気がなくなるような人ではない。むしろ闘志が満々だったはずだ。
その再戦が叶うときにはきっと。
「せっかくです。少し走ってきますか……」
学校に行くまで時間はまだある。
どうせ眠れないのだし、思ったなら早いうちに始めたほうがいい。今はまだ試合の直後で部活も穏やかだし、その分を補うのに丁度いいだろう。
大丈夫。
僕の光はまだ輝いている。
































神様のエール:

まるでそれは、神様が俺にくれたエールのようだ。

目を擦る。それは思っていたものが目の前に現れたようなそんな奇跡のように思えた。
いやいや今はそんなことを考えては居なかったはずだ。
純粋に今のこの状況に対して、青峰っちのプレイを再現するために集中していた。
その、はずだ。
「なんで黒子っちがここに……」
帰って来た答えはいつも通りそっけなくて、なんてことなくて、当たり前のもの。自分の応援でも青峰っちの応援でもない。ただ、試合を見に来ただけ。自分はどうだっただろう。いつもどうして見に行っていた。
他の試合は態々見に行かないのに?
彼らのプレイが見たかった。
彼らのゲームが見たかった。
黒子っちが、俺たちが居なくなってどこまで行くのか見たかった。
黒子っちは青峰っちとは違うけれど、尊敬していた。
自分が唯一コピーできないプレー。
初めて見たときに自分ではあんなプレイは心情的にも無理だと思ったし、そもそもスキルが無い。
バスケを始めたのは青峰っちを見たからだ。
でも、バスケ部でいろんなことを教えてくれたのは黒子っちだ。
勝ち方は一つじゃない。
黒子っちは確かに負けたけれど、青峰っちに勝てるはずがないのだと、今は思いたくない。

だから……

想像【イメージ】しろ。
身長はさほど変わらない。
中学のとき、体力測定は競えるくらい。身体能力として負けてはいない。
彼が凄いのは何か。
彼が強いのは何故か。
俺はあのスタイルを再現できるか――違う、するのだ。
想像を現実にしろ。

『黄瀬君』

彼が呼ぶ。

勝って欲しいとも、勝てるとも、負けるとも、言わない。

黒子っちは嘘は言わない。
いつだってそっけないけれど、それはむしろ媚もやっかみも含まない、ただ淡々とした言葉に過ぎない。
真摯。それは黒子っち自身の信念を言葉にしている。
ただ自分を貫くことを止めない。最後まで諦めない。
それを尊敬すると言うのなら。

そこに最強があるのならコピーしろ。
それが俺のバスケだ。

大丈夫、神様は俺に彼というエールをくれたのだから。