序曲


ドン・ボンゴレが通常書類を片付ける執務室は、当然のことながら屋敷でも警備の行き届いた位置にある。といって私室ほど奥まってはおらず、適度に人の訪れを迎えやすい位置ではあるが。
そんな階に轟く足音に、これは誰が来たのか直ぐに分かる。今日も極限なんだろーなーなどと思いながらインクの瓶を片付けて、今日も扉が壊れませんようにと祈りながらそれが開くのを待った。

「沢田ぁぁぁぁぁぁ」

ドンッ。
積み上げられていた書類の山を吹き飛ばし、骨ばった手をどんとマホガニーのいかにも重厚で高そうな机の上に叩きつける。
(やっぱりインク瓶とペンはしまっておいて良かったなぁ……)
一緒にふっとばされたら部屋も書類も大惨事だ。インクがついちゃったら書類は勿論一から作り直しなものだから。別に俺がやるわけじゃないけど(だってまだ全部見たわけじゃないから内容わかんないし)、これだけの量の裁決が遅れれば自然必要な仕事が溜まっていって最後の最後で泣きをみることになる。
……そうなっても有能な右腕がなんとかなるようにはしてくれるんだけど。そうならないにこした事はない。
それで本日は一体全体なんでしょうかと

「吉報だ!京子が結婚する」

「へ?」

ぱちくり。
唐突なのは何時でも何処でも誰でもだが、ツナはそれを見事に聞き分ける。十年来の慣れって相当偉大だ。嬉しいよりもむしろ泣きたくなるけど。
そのツナが珍しく主語と述語がついている簡単極まりない文章を聞き取れなかった。
というか何を言ってるんだか理解できなかった。
吉報ってことは何かいいことだよね。確かに結婚ていったらそりゃおめでたい。
京子ちゃんのウェディングドレス姿はそりゃもう可愛いだろう。あ、でも日本だったらまだ白無垢っていうのもありだ。
(って……結婚式って誰の……?)
もう一度リピートする。

『吉報だ!京子が結婚する』

えーともう一度。

『京子が』
京子ちゃんが。
『京子が』
どうするって?

『結婚する』

脳天にヒットするような衝撃だった。

「きょっきょっきょきょきょきょうこちゃんが!?」

そりゃあれだけ可愛いんだし、今まで結婚してない方が不思議といえば不思議で、でもでもでもでも!!
(そんな気配なんて微塵もなかったじゃんかー!!)
10年来の付き合いだが(友人として)その間、京子ちゃんに恋人が居るなんて話は聞いたことがなかったし。

「へー相手は?」

俺が混乱のきわみに居る間に、ひょいと脇から山本が興味深そうに聞いていた。
ちなみに本日の仕事のお供は獄寺君と山本だ。

「沢田が拾ってきた小僧がいるだろう」
「ああ、笹川の護衛についてた奴か」

京子ちゃんがイタリアに来る事は稀だ。お兄さんはイタリアでこんな家業についちゃってるけど、京子ちゃんはまっとうな人生を歩いている。でもそんな中でお兄さんとか俺とかに会いに来てくれることがあって。
できれば自分かお兄さんか、面識のある誰かを付けたかったけれど、早々時間を作れるわけが無く。結果できるだけ日本語ができて強面じゃなくて腕が立って気が利いて年があんまり変わらないのを選んで護衛兼運転手として付けたのだ。
それはツナにしてみれば最良の選択だった。

それがまさか……裏目に出るなんて。

「よりによってなんでなんでなんで(以下略)」

ブツブツと呟くボンゴレ十代目をおそるおそる伺うように皆(お兄さん以外)は振り返って。

「じゅっ十代目……?」

ふらりとよろけたツナを獄寺がキャッチした。










沢田綱吉が京子に惚れているのは周知の事実である。中学生の頃からという『純愛ですっ!さすが十代目。渋いっす』と獄寺が拳を握り、リボーンが『ダメツナが』と呆れるほどの年季の入れようだ。
……獄寺はツナが何をやっても渋いと言うし、事あるごとにリボーンもダメツナ呼ばわりするが。
つまるところ失恋の痛みというものは、わりあい誰でも共感できるものなのだ。例えそれが想像であったとしても。
『リボーンさん、今日だけは……今日だけは勘弁してあげてください!!』などと方々から嘆願が上がったにも関わらず、仕事を放棄して寝込んだというボスの根性を叩きなおしてやるとその家庭教師は乗り込んできた。
ボンゴレ十代目よりも、その家庭教師である最強のヒットマンの方がこの屋敷の中においては強い。
最後の砦、獄寺隼人も不機嫌そうに眉を顰めただけで退けたリボーンは、あっけなく寝込んでいるというボスに対面を果した。

「なんだ、ツナ。情けねぇ面しやがって」

ベッドに埋もれるように布団から顔だけだして、情けなく丸まっているツナに冷たく溜息を吐く。

「だからさっさとモノにしとけっつっただろーが。ダメツナが」
「出来るならそうしてるよっ!けど今更もう遅いし……」
「言い訳だな」
「少しくらい落ち込ませてくれたっていいだろっ」
「良くねーな。女にフラれて仕事が滞るようじゃボスとしてダメダメだ」

うじうじとそれでもなお布団の中に潜り込もうとするツナにリボーンの短い堪忍袋の緒が切れる。

「丁度良い。面白いもんができたんだ」

ニヒルな笑みにツナはぶるりと身を振るわせる。
嫌な予感。超直感が囁かなくてもそれは知っている。心底楽しいことを思いついた顔だ。
でもこんな日くらいはどうか本当にそっとしておいて欲しい。それは多分決して贅沢な願望じゃないはずだ。

「今更っつったな。ならできるようにしてやる」
「リっリボーン……?」
「京子の結婚を阻止しろ。つーかその面どーにかしてこい」

「ちょっ……」

待てと抗議をしようにも、リボーンの早撃ちには間に合わず、死ぬ気弾を撃たれたときのように俺の意識は吹っ飛んだ。