各自が自室に引き上げてから大分時間が経っている。

階段を下りてくる音に、目つきの悪い黒髪の男は若干眉を顰める。
そんな男の様子に笑って女は隣の椅子を引いた。

「どうかしたのかい?リナさんよ。」
「まあちょっと、ね。」

なにかシリアス気な雰囲気を感じ取りルークは文句も憎まれ口もやめて席に着くリナが口を開くのを待つ。
隣に座ったということは話すことがあるのかもしれないが、だからといってわざわざ自分から聞く必要のある関係ではない。
小さなため息の後、リナは口を開きくるりと振り返った。

「おっちゃ〜ん。なんかあったかいもの頂戴!」
「今日の残りのシチューくらいしかないが、いいかい?」
「それでいいわ。よろしくっ。」

くるり、と前を向けばその顔はまたどこか憂いを帯びた真剣そうな顔ではある。

「ちょっと気になることがあるのよね。」
「……おまえ、そのノリどうにかならねーのか?」

ジト目で見やるルーク。
昔もよく言われたような気がするが、一言で跳ね除けてきた文句には当然返るのは一言だけだ。
「なんない。」
すっぱり。あっさり。ざっくり。
「はぁぁぁ。」
「ちょっと、そういう陰気なため息つかないでくれる?」
「何が陰気だ。ちったぁ考えろ!!」
「どうにかする気がないなら考えるだけ無駄でしょ。第一なんだってんなことしなくちゃなんないのよ。」
「疲れんだよそのノリは!!」
「歳なんじゃないの!?」
「だー俺はまだ……」

ダンッ。
「お客さん。シチューできましたけど。」

音量はたいしたことが無いが乱暴なその動作にピタリ、と動きを止めれば。
漫才じみたやり取りの間に手早く温めてよそってくれたシチューはほわほわと湯気を立てている。
人間食べ物を与えておけば静かになるもので
――――いや。リナには逆効果になりかねないが―――夜は静かにとの忠告に引きつった笑みを返してあやまるだけ謝ったのだった。

とりあえず奪い合う人間もいないのでゆっくりと、まるで迷いを掻き混ぜてでもいるように。
ぐるぐるぐる。
途中引っかかる具を口に入れもせず、せっかくの温かいシチューはただかき回されている。
ぐるぐるぐる。

「シェーラ、笑ったのよね。」
それがリナの気になっていること。
落ち着く暇が無かったためによくよく考えずに数日が経ってしまったが、ずっと気になっていた。
あの笑みは一体なんなのか……?
「あの時、あたしは特別な事は何もしてないわ。」
「覇王将軍倒すのが特別なことじゃないねぇ。」
「そーいうつっこみはしない!」
「ほっほ〜う。図星を指されて都合が悪いのか。」
「違うわよっ!!まっまぁ魔族倒すのは日常茶飯事だけどね。」
「やな人生だな、おい。」
「ほっとけ!ってーかあんたたちだって同類でしょーが。何人事みたいに言ってんのよ。」
決して自分だけが厄介ごとに巻き込まれているわけじゃないと主張すれば疑わしげな視線が返される。
たしかに厄介ごとは好きだが、こうもスケールの大きいものはリナといえどゴメンである。
やはりここは規模の小さなあたりでストレス解消、懐温かの盗賊いぢめに限る。
命を賭けるような戦いはレゾやフェブリゾだけで十分だ。
年中やっている高位魔族とことを構えるなどということはそれこそ命がけのような気がするが。

「話戻すけど。」
そういいつつ一口、シチューを口に入れる。
「とにかく今回シェーラの度肝を抜くようなことをやったのは……ルーク、あなたよ。」
ぴっとスプーンごと人差し指をルークに突きつけつつ言い放つ。
ガウリイがいれば人を指で指すなといらぬツッコミを入れるだろうが、幸いそういった点ではルークはシリアスな雰囲気を壊さない人間だった。リナの有無を言わせない雰囲気の所為もあったかもしれない。
思い当たることは、と赤い瞳が問う。

目の前に突き出された指をじっと見つめて、おもむろに取り上げた酒を流し込んでからひたとルークはその赤い瞳を意味ありげに見た。

「あんたの目、赤いよな。」

唐突なはずの言葉にギクリとリナは一瞬身を強張らせる。
――――その色は。

「思い当たることがありそうだな。」
口元に皮肉げな笑みを佩いて言うルークに、長い髪をくしゃりと掻き混ぜてリナは観念したように手を上げた。
軽い口調を装った、あまり信じたくは無い話。
信憑性はないようで、ある。途方も無いことだと言い切れないのは今までやってきたことと、その度に使ってきた呪文の所為か。

「昔、ミルガズィアさんに言われたことがあるわ。
―――欠片かもしれないってね。」

「赤眼の魔王【ルビーアイ】」

こくり、とリナは一つ頷く。

言われたのはそう昔でもない。
ガウリイと彼女と後二人。もう一人は仲間というには信用が置けなく――――その前に人間ではないのだが――――ともかくも冥王の企みにたてつく為に竜たちの峰に行ったときのこと。
あのときのフェブリゾの目的は違った。
魔王の王であり、人間の母でもある”あれ”の呪文を唱えさせ、暴走させること。
正確にはそれによる世界の崩壊。混沌に帰ること。
あれは終わった。
けれどそれを否定する要素は、ない。

「あんたがそうだっていうの?」
「さあな。けどあのおっさんの話だと必要なのは魔王だろ。それに赤ってーなら俺も持ってるぜ?」
「どこによ。あんたの髪って黒いし目だってセピアでしょ?」
「あーこれな。」
つんつんと立っている髪に手をやって。
「ミリーナが嫌いだってーから染めてんだよ。本来は赤毛さ。」
「そーかい。」
勝手にやってろとでも言いた気に天井を仰ぐ。
「にしてもたかだか魔法剣の話から話がずいぶんとでかくなったもんだな……」
「あたしが魔王を倒したときはいきなし話が小さくなって、突然巨大化したんだからましってもんよ。」
それもそーか、と言って会話は途切れる。
ルークの酒もリナのシチューも減っていないが、ちびちびと口をつけるかつつきまわすくらいしかやるきを起こさせない。話題が話題だから致し方ないが……

「もし……あたしが本当にそれだったら……止めてくれる?」
その意味は……
『倒せ』と。
それは殺すことと同義。
「相棒に頼んだらどうだ?」
「ガウリイにやれってーの?」
呆れたように返せば、当たり前の様に返る。
「あいつならできるだろ?」
本当に人間が敵うかどうかなど分からない。
でも一度、三人でとはいえ倒した。
人間としておそらく最高の部類に入るだろう技術と精神力と武器を持つ彼にできないのなら他の誰でも無理なのではないだろうか。
―――――リナの姉ちゃんは別とするが。
「ま、そうだけどね。
けどそれってあたしが死にたいって思ったときでしょ。」
そうでなければ仮にも魔王が倒されるわけが無い。油断をしていたとしても人間と魔族では器が違いすぎる。希望があるのは魔王になったとして、リナ・インバースの意識の欠片が残っていて、それが終焉を望んだときだけだ。
「それにガウリイは傭兵とは思えないくらい情が厚いのよね……だから圧倒的に分が悪いのよ。」
ガウリイは旅の初めがそうであったように人のことを子供扱いして、そのうえ心配だと護衛を買って出るような兄ちゃんである。
善人はいたら見てみたいと常日頃思っているが、彼以上のお人よしは生憎と見たことが無い。
もちろんあくまでお人よしなのであって善人だとは言わないが。そんなものは人の価値観で決まることだ。
「で、俺か?」
「そ。その点あんたならそんな遠慮しないでしょ。」
あまり常日頃仲の良い仲ではない。口喧嘩が耐えないし、そもそもガウリイと比べるなら一緒にいる時間というやつが極端に短い。ここ最近は一緒に行動していたが、以前のゼルガディスやアメリアたちと旅をしていたときの様な関係ではなかった。
だから、という訳じゃない。
似ているから。同じ理由をもっているから。
きっと割り切れるのじゃないかと思う。
そういう形の
―――――信頼。
「じゃ、俺がそうなったらあんたがやってくれるのかい?リナさんよ。」
「やってあげてもいいわ。」
面白そうに方眉を上げてみせるルークに唇を吊り上て答える。

「契約成立ってね。」

突き出したリナの右手に、自分の手の代わりに酒の並々と入った杯を渡す。

「へぇ?あんたは未成年は駄目って言わないのね。」
「俺が飲んでたのももっと餓鬼の頃からだしな。それにあんたこれが初めてってわけでもないだろ?」
「まあね。あたしの故郷は葡萄の産地だもん。葡萄酒くらいなら子供のときから飲んでるわ。」
「で、前後不覚になるわけか。」
「そこまで弱くないわよっ!ただちょっと呂律が回らなくなるけど意識はしっかりしてるもの。一見しっかりしてるように見えてまったく記憶が無い奴よりまともよっ!!」

「・・・・・・」
「・・・・・・」

「……ガウリイさんかよ……」
「よく分かったわね。」
「記憶が無いっていったらそれしかねーだろーが。」

そうかもしれない。というより確かにそんな器用な酔い方をするやつも珍しい。
身近に一人いれば十分かもしれない。

「意外だな。あの旦那は強いと思ったんだけどな。」
「強いのは強いんじゃない?」
「じゃないって……いい加減だな、おい。」
「少なくともあたしよりは強いわよ。」

ひょいっと肩を竦めるリナはなるほど酒にあまり強くないのだろう。すでに顔が若干赤い。
これでは一緒に飲むことがあるとしても相手の強さなど分からないものだ。

それでもちびちびと酒瓶を開けていき。

「あたしは殺してなんて言わないわ。」

ぽつり、と零した言葉にルークは何も言わずただ杯を傾ける。
だって言いようが無いではないか。

「死にたくないし、他人任せで終わらせたくなんかないもの。」
「そうやって言える内は大丈夫だろ。」

「あんたは?」
面食らったような顔でリナをまじまじと見てから考え込むその顔は妙に頼りない。
彼には彼女ほど確たるものを持って生きているわけではない。
だから酔っていても真っ直ぐに強い証を見つけて。

「まっ俺もそうだな。」

ほんの少し和らいだような笑みを浮かべ。

「ミリーナが素直に俺の愛を受け入れてくれるまで死ねねーな。」

なら、と笑う彼女の笑みも柔らかく。

「一生無理なんじゃない?」