さあ、始めようとあいつは言った。

〜背約〜

思いきりそれらしい格好をして、それらしいというかそのものな台詞を吐いた魔王は紛れもないあいつなのだと何故か分かった。
いや、分かった理由など事前にそれらしい会話をしていたからに他ならないが……
ガウリイは気づいているんだろうか?
『魔王』の正体に。

「なにもガウリイまで巻きこまなくたって十分じゃない。」
ちらりと剣と杖とでやりあう二人に視線を向けて、意識があるんだか無いんだかわからないけど、と若干の希望的観測でぐちりつつあたしは大地に魔力付加の魔法を掛ける。詠唱要らずの呪文のなせる業である。
呟きはガウリイには聞こえなかっただろう。本人に言ったら何を今更とでも言われるのだろうか。
自称保護者さまはあたしに降りかかる騒動をどうやら自分のものとしてみているようである。
まあ、ありがたいとは思うんだが心苦しいというものだ。
――――そこ、らしくなーい。などと言わないように。
今回のことはルークとあたしの契約であって、彼には実は関係ないのである。ガウリイとあたしは二人で1パックでもなんでもないのだから。まあそんなことはガウリイは知らないし、魔王も人間の事情なんぞおかまいなしなのだろうが。

「あたし一人だってこんな至れり尽くせりなら契約くらい果たすってーの。」

くつり、と笑ったような気がした。
違和感―――――否。既視感。
ガウリイには聞こえないそれも魔王には聞こえたのだろう。耳からかは分からないが、相手は魔族である。伝わることにはなんら問題はない。
だが、なぜその言葉に魔王が笑む。
竜と同じく魔族の笑いの感性なんぞ知らないが、面白おかしい台詞を言ったつもりはない。
もちろんミルガズィアさんのギャグのあとのメフィのような笑い方や、シェーラの最後の笑みなどとは種類が別だが。
むしろあれは・・・・・・
おかしくてしかたがないという、あいつと同じ笑みだ。苦笑も含む。

「契約には保険というものがつきものだ。」

どうやってかやはりガウリイには聞こえぬよう返って来た台詞にしばし、あたしは考えて。
なんだ。と簡単な答えに行き着いて口を閉じる。
訝しげな気配を向けるガウリイは悪いが無視してびしっと魔王に指を突きつけた。

「あたしが契約した相手はあんたじゃないわ。」

あたしは魔族と契約したりなんてしない。
不死など興味もないし、限りある命だからこそ止まれないという感覚が人間だと思うからでもある。などとまあ色々と理由はあるが、あたしが交わす契約は依頼人との仕事関係と利害が一致するときだけだ。
つまり、それは人間と交わすもの。
だから『魔王』と契約したわけではない。それを果たすとき、もしくは破棄するときは契約相手がいるのが礼儀というものである。

「その悪趣味な仮面を取りなさいよ。
―――――まだ、あんたがルークであるなら。」


その言葉に驚くものはない。


契約をしたのは別にこうなることを予想していたわけではない。
確証などなかったし、闇に落ちる気配もなかった。ただ己が欠片を抱いているかもしれないという僅かな不安要素としてあっただけ。
でも、あの時から――――ミリーナが死んだ時から、ルークが暴走した時からそれは現実味をぐっと増した。
それでも一生無理であって欲しかった。あの言葉が確かならよかったと思う。
実を言えば今回その覚悟はあった。
あいつが本当に魔王になってしまったというのなら倒すという――――殺すという。
それはあたしから言ったことだ。戯れに口にしたわけじゃない。
でも……

「あたしのもっとーは悪人に人権はない、なの。」
ちなみにそれは魔族も然り。
人間を食事だごみだと思っているような輩にこちらも人権なんぞ認めてやる義理は無い。
けれど。
「目つきと口は悪いけどルークは悪人なんかじゃなかったわ。」
だからといって善人だとは言わないが、少なくとも人に無理やり低級魔族を憑依するような奴には怒りを覚えるし、きちんとけりをつけてやるような人道はある。……労働料代わりにお宝をくすねるくらいで悪人などといってはいけない。あれは正当な報酬であるし、そもそも悪人のお宝なのだからちょっとくらい貰っても問題ないはずである。
人のことを散々ガキだチビだとぬかしてくれるがとりあえず仲間と認めてくれているようなところもあった。

「だから却下。」
あっさりと言ったあたしの言葉に魔王は心底間の抜けた顔をした。





とりあえず戦い、という雰囲気ではない。まあ元凶があんなそんな顔をして、なおかつあたしがすっかり戦線離脱―――別の意味では戦闘モードである―――ではそうなるのが必死だ。残り一人、それもガウリイが顔を憶えているような相手に緊張感を彼に持ち続けろというのが無理な話である。
ガウリイは剣を収めることこそしていないが相手に敵意がないことを知っておとなしく引いて見守っていてくれるようだ。

「どういう意味だい?リナさんよ。」
声と口調だけがあたしの知るルークの物になり、それだけで『魔王』の圧力が和らいだ。
自然、上る笑み。
「あんたはレゾとは違う。」
七分の一を受け入れた今ならあのときの記憶もルークは持っているはずだ。言いたいことの意味を分かるはず。
賢者の石によって無理やり覚醒したわけではないからルークは魔王であってもルークでいられる。
そういうことなのだ。
いつかは飲まれるかもしれない。レゾは覚醒したときから『魔王』だった。
残っていたのは最後の小さな、魔王自身にも気づかれなかったような意識だけ。
そうなる前に、彼は闇を捕まえたのではないだろうか?
あたしとの契約を果たすために。

ゆらり、と『魔王』が揺らぐ。
赤い宝玉が輝くだけの白い仮面が剥がれ、顔もまた見慣れた―――立った髪に、目つきの悪い兄ちゃんに変わる。
唯一つ違うのは髪の色。なるほど、彼が言っていた様にそれは見事な赤毛だった。

「ったくせっかく人がやり易い様に慣れねえ口をきいたってのに。」
「そういうのを余計なお世話っていうのよ。」
「意外とお人よしみたいだからな。」
肩を竦めて言われた答えは、否定しづらい上に実際前にゼロスに言われたことのある台詞だった。
ガウリイに頼まないのかと言われたとき、あたしは情が厚いから無理だと答えた。
ルークは大丈夫だろうとあたしは言ったが……
どうやらあたしは無理だと判断されたようである。
「魔王がんな配慮するんじゃないわよ。」
おもわずぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜる。
わかってはいたが本当に彼のままなのである。
これのどこが魔王なのだというくらい、ルークのままだ。
そう。
あたしが彼は魔族なのだと割り切れないくらいに。
「んなことするくらいなら魔王になんかなるんじゃないわよ。」
「なっちまったものはしょうがねーだろ。」
今更封じ込めることも、分離することも無理なことは力ある魔道士なら分かることだ。
それ以外の道は共存か、消滅か、だ。
だがしかし―――――甘い。
「受け入れたのなら分離も可能なはずよ。」
「んな無茶な……」
「根性よ根性!」
どこぞのヒロイックおたくのお姫様が好きそうな言葉を力いっぱい力説する。
実際あの子はゼロスなどという結構な上級魔族と会うたびに真人間になるように説得しはじめるのが挨拶という子であった。
よもやこのあたしがそんなそんな真似をするとは思わなかったが……
正義を説くわけじゃないからましかもしんない。
「元々それってあんたの中にあったもんなんだからきっちりしまっておくってのが筋ってもんでしょ。」
「だから出てきたやつはしまえないんだって。」
「うっさい。あんたはまだルークなんだから。ただの魔王なんかじゃないんだから。」

だから。

「根性でどうにかしなさい。」

言い切った、あたしの言葉にルークは口元を吊り上げる。

「契約はどうしたよ。」
「あたしは今のあんたを倒す気はないわ。」

例えそれが契約を破棄することであっても。
例えそれで魔王が世に出たとしても。

溜息。
でもそれは疲れたものではなく。

「あんたにゃかなわねーな。」
―――――また、その娘のために我は眠るか。

それに笑ったのはどちらか。

「根性だしてやるよ。」

言葉とともに、ばさりと赤が翻り――――――

魔王の衣装は虚空に消えた。