01.
着艦の動作をしながら、どこか動きの鈍い体に苛立つ。
精密な動作を必要とする着艦作業はオートでは出来ず、衝撃や激しいGの掛かる運動は無いが、集中力が必要だというのに中々上手くいかない。
だるい。
体の奥からくる不快感に顔を顰める。
疲れているのだろうか。
それほど過酷なミッションは無かったし、立て続けというわけでもないのだが。
とりあえず早くシャワーを浴びて横になりたいと思った。
*
デュナメスを問題なく着艦させ、そのままロッカールームに行くことはせずにエクシアが着艦するのを見守る。別段不安などそこには無かったが、先に行く必要もまた無かった。次のミッションはそう立て込んでいるわけではない。今回の宇宙待機は機体整備の為だ。
地上の設備も整ってはいるが、イアンを初めとする技術者の多くは宇宙が常勤であるし、必要物資も運びやすい。作業用のAIもトレミーの方が充実していて整備の効率もいい。
そんな理由から上がってきたため、刹那とは今回地上から別々に空へ上がっている。話すのはずいぶんと久しぶりだ。
「よっお疲れ」
その細い肩を知ってから、叩くのは躊躇われて手を上に挙げるだけで挨拶を口にする。
元々愛想の良い方ではないが(というか全く無いが)、今日はさらに機嫌が悪いのか鬱陶しそうに一瞥されただけで挨拶は終了。
もっともそれでめげていたら刹那と会話は弾まない。
「今日はずいぶんと乱暴だったな。エクシア大好きなおまえが」
「別に」
エクシアにも反応しない。今日は中々手強い。
少しうつむき加減の所為かもしれないが顔色が悪い。疲れているのかもしれない。だとしたら構い倒すよりは部屋に送ってやったほうがいいだろう。話すのは後だってできる。
そういえば、刹那のそっけなさとはまた別物だが機嫌が悪いのがもう一人。
「クリスの奴も機嫌悪かったなー」
「クリスティナ・シエラ?」
きょとんと首を傾げる刹那はけれどもしかめっ面が少女らしさを半減させていた。
もう少し柔らかい表情をすれば途端に可愛らしいだろうに。いやまあそれはそれで困るが。
「着艦のシークエンス。俺怒られたぞ」
「それはあんたがふざけた事を言ったんじゃないのか?」
「おまえな……言うか仕事中に」
ミッション、ではないがガンダムに乗っている以上仕事中ではあるだろう。というかそんなに怒られるようなことを言う男だと思われているんだろうか。
だとしたら落ち込むところじゃないか。というか何処を見てそう思われたんだ。何処を如何見たらそうなる。スメラギさんあたりなら女の子ひっかけてそうだものなどと笑いそうなものだが、刹那の前で色事じみたやりとりはしていないはずだ。
「だがあんたが何か余計なことを言ったんだろう?」
「おまえの信用って俺にはないわけ?」
その発言は彼女がそんなに不用意に怒るわけがないという信用なのか、俺がそういうことを言いそうだという信用の無さが原因なのか。どっちにしても俺の信用は何処に行った。
クリスの方はまぁ理由は大体想像がつくのだが、口にはしないのがエチケットだろう。
「おまえだってあるだろ?そういう苛々する時期ってのが」
「なんのことだ?」
えーとこれは表現が婉曲で刹那には伝わらなかったということでいいんだろうか。本当に分からないと言うオチじゃないよな。まさかな。一応16だろ?さすがにないと思いたい。
というかしまった。もしかしてこの話題はセクハラだろうか。
02.
部屋に戻ってシャワーを浴びるのも億劫でそのままベッドへダイブする。
身体が重く、疲れているはずなのにいっこうに眠りは訪れなかった。
(くそっ……なんなんだ一体)
こんな体調の悪さは初めてだ。ブルリと寒気に身を震わせる。
空調も整っているし、布団だって被っているというのにまったく温かくない。
いや、暑いのか?分からない。ただ寒気がすることだけは確かだった。
(他に暖を取る手段は……)
考えるがその手段を講じることすら億劫だった。もっと簡単に得られる熱は無いか。
そういえばあの男の手は温かかったと思い出す。
いつものようによく喋る。わざわざ俺に話しかけてくるあの男。
どうせ報告書を書くか休むかどちらかだろう。休むのならば同衾しても問題ないだろう。
その思考がある意味問題であることをまったく理解しないまま、暖を取るための手段として刹那は部屋を出、2ブロック先のロックオンの部屋の扉を叩いた。
「ロックオン」
コールすればどうしたとすぐに扉が開いた。
シャワーを浴びたのか髪が少し濡れているようだ。人には乾かせと口うるさいくせに、自分はやっていないなんてどういうことだ。時間がそうたっていないのか?
だがしっかりと乱れなく服を着込んでいるところからしてコールに慌ててシャワールームから飛び出したなんてこともないだろう。
男と扉の奥に見える机の上の端末が光を発していたことに何をやっていたのか悟る。
「報告書を書いていたのか」
「ああ。ま、すぐに必要ってわけじゃないんだが後回しにすると溜まるからな」
まだ休む様子はないということか。
(……当てが外れたな……)
だが戻る気にはなれなかった。ベッドに横になって布団を被っても鈍痛で眠れやしない。
「あんた疲れてないのか?」
「そりゃ疲れてるさ」
ふむ、と考える。であれば問題ない。
疲れている、報告書も今必要なわけではない。ならばもう今日は行動をやめてしまっても問題ないはずだ。
「なら今日はもう寝ろ」
「だから……」
「今すぐ寝ろ」
足を部屋に踏み入れる。
ロックオンの身体がその一歩分部屋に部屋に入る。さらに一歩、一歩、一歩。
「おーい刹那さん?」
訝しげな顔で人を可笑しな風に呼ぶ男の腰をげしりと蹴って、そこまできていたベッドに倒す。
そのまま奥へと押しやって自分もベッドの上へと上がりこむ体制をとった。
「おまえまさか入って来る気か!?」
「ダメか?」
「ダメかって俺がダメというかおまえがダメというか……」
「あんたは疲れてるというし、報告書もすぐに必要ないなら問題ないはずだ」
「いや、あのな、そりゃな?これとは別問題だろうが」
何かごちゃごちゃと五月蝿い男の胸に身体を摺り寄せる。
やはり温かい。
少しだけ体が楽になった気がする。
「おいおいっ刹那!?」
「寒い」
宇宙は空気が無いから寒いのだと学習段階で学んだ。
それでも俺は夜の寒さを知っているはずなのに。
どうしてか今日は堪らなく寒かった。
03.
この空調で寒いというのはどうしたことかと思ったが、刹那はいよいよ本気で眠りそうだ。
仕方ない。
寒いというから手を抱きしめるように回してやる。
恐らく此処で抵抗しても刹那は出て行くまい。どうしてダメなのか説明するはめになることは必死で、居た堪れないことも必死だ。だってこいつは男の前で半裸でも何もおもわないような子供なんだ。
男の性がなんたるかなんて言っても分からないだろうし、説明するのは居た堪れない。そういうことは同じ女性から聞くべきだ。
―――問答無用で叩き出すなんて選択肢は勿論無い。
(それにしても”寒い”のか……?)
触れた手は冷たいどころか熱い。
体が熱くて、感覚は寒さを感じるというのならば。
「おまえ熱があるのか?」
「熱?」
可愛らしく首を傾げる仕草にやっぱり可笑しいと額に手を押し当てる。
刹那の方から寄ってきたとはいえ振り払われない手が、さらに可笑しいと悲しい事に確信してしまう。
女の子で、子供の体温はどの程度が平均なのか知らないが少し熱い気がする。微熱程度か。
何も感じないならともかく、寒いと感じるなら風邪の引き始めかもしれない。
(まぁ刹那は体力もあるし、とりあえず寝かせて……)
起きたときに熱が上がっていそうなら医務室に連れて行けばいいか。
眠れるときに眠ってしまったほうがいい。疲れた身体に鞭打ってまでいく必要も無い。体力のある人間なら微熱くらい寝れば治まることもある。薬に頼りすぎてもあまり良くない。
*
疲れてはいるが、熱い吐息をすぐ側で吐かれて熟睡できるわけもなく。
ちらりちらりと時計を見てはそろそろ起こしてもいいか、いやでもまだかと繰り返す。
「おーい刹那ぁ」
試しに小さく呼んでみるが、むずがるように嫌々と起きる気配の無い刹那にこれはどうなんだろうなと思う。
こんなに安堵されているとして喜ぶべきか。警戒されていないことを悲しむべきか。
せめて体勢を変えようと身を起こして。
「血……?」
べっとりと服に付いた赤黒い色に眉を顰める。
自分のものではない。痛みもないし、怪我をした覚えもない。であれば誰の物かは決まっている。
「おい、刹那おまえ怪我……」
してるんじゃないのかと口にしようとして、はたと止まる。
怪我でも血が出るし体温も上がる。
だが女の子にはもう一つ、血が出て体温が上がる現象がある。
ふと思い出した、帰投後の会話。
刹那の機嫌の悪さ。
クリスと違い、刹那の無表情やそっけなさはいつものことだが、逆にこの甘えは普段の刹那には無いものだ。
「怪我なんて無い」
「分かった……ならスメラギさんとこに行くぞ!」
一方的に宣言してシーツに包んで刹那を抱き上げる。多分これは確定だ。しかも何だこの反応はもしかして初めてなんじゃないか。まだきてなかったのか、十六歳だろう、いくら成長が遅いっていったって……
(まさかだったよっ!)
自分が考えたことがビンゴで頭を抱えたくなる。
白いシーツに血の痕は残るだろうが、そんなことを気にしていられる状況ではなかった。それにどうせ申請すれば支給してもらえるだろう。
とりあえず刹那にこの現象を説明してもらわなければならない。
男の俺には難易度が高すぎるし、刹那だって男に女性の身体の仕組みについて説明を受けるのは嫌だろう。
気にしないような確信があるが、俺はしたくないなのでそう思いたい。
「どうしてスメラギ・李・ノリエガが出てくる」
「初めてなんだろ?」
「何がだ」
(おいおいおいおいここからか!?)
本人が気づいてないってどうなんだ。
そりゃ刹那がそういった教育を受けていないというなら仕方ないが、血が出ていて怪我でもなくて病気とも考えないのだから刹那の思考回路はどうなってるんだ。
それともそんなに思考が働かないくらい刹那のは重いのだろうか?
「なんで俺のとこに来たんだよ」
そもそもの疑問として移動しながら首を傾げる。
体調が悪いなら医務室に行くべきだ。
「医務室は嫌いだ」
「……そーかい」
「それに寒かっただけだ」
確実にそれ以外の症状もあっただろう。少なくとも今の刹那は酷く身体が重そうだ。
だがやっぱりどうして俺のところなのか。刹那の答えは問の答えにはなっていない。
気になってさらに問えば。
「あんたは温かいだろう?」
それが何時のことを理由に示しているのかは明白で。
どうやらゆたんぽか何かと認識されてしまったらしい。
04.
「あーもう最悪っ」
スメラギさんが行って来てもいいと言ってくれたお陰で仕事中ではあるけれど、医務室に駆け込むことができるからちょっとはマシだけど。
壁伝いに歩きながらくそう悪態を吐く。
体が重い。下腹部を襲う鈍痛はトイレに駆け込みたくなるような痛みではないが、じわりじわりとくる痛みだからこそ余計苛立つし辛い。
普段ならこんな風になることはない。なる前にちゃんと対処をとっている。だのに。
「薬切れてるんだもんなぁ」
予定だと次の搬入までもつはずだったんだけど移ったかな。確かフェルトがなっていたはずだ。
女の子ってこれだから面倒だ。嫌いじゃないけれど、こういうときだけは嫌になる。
人の生理には周期があるが、それは一緒に居る他人に移ると言われる。
ホルモンの関係だとか聞いたことがあるけれど、都市伝説並みの根拠の無い話しか実は知らない。
「クリス?」
医務室まであと少し。直前。本当に目の前。
どうしたんだと声を掛けられて俯いていた視線を上げる。途端心配そうな不思議そうな顔で焦ったような顔をしたロックオンにぶちあたって首を傾げる。
うん、正直それはこっちの台詞だ。
「あれ?ロックオンに…・・・刹那?」
何故だかシーツでぐるぐる巻きにされた刹那を抱えたロックオンがなんだか途方にくれたような顔で立っていた。
「頼む、こいつに対処の仕方教えてやってくれ!どうも初めてらしくて」
抱えられた刹那の状況を一番簡単かつ手っ取り早くシーツを捲ることで示されて目を丸くする。
怪我ではない。それは確認した。病気でもない。だったらちゃんとドクターに見せるって。
つまり、私と同じ。
そりゃロックオンには辛いだろう。だって男だもの。男が生理の対応なんて知ってるかもしれないけど教えるのは気まずい。
別に構わないけれど。
「なんでロックオンがそんなこと知ってるの?」
初めて、だとか。普通ただの同僚で異性という関係なら知るわけが無い。
刹那が生理というよりもそこが凄く気になった。
*
「ロックオンは服の替え持ってきてくれる?」
「……俺に刹那のクローゼットを漁れと?」
「なあに、下心でもあるの?」
そんな会話をしてから叩き出してまず自分の薬を貰ってから刹那に向き合う。
ちなみにドクター・モレノは男だが、ドクターなら生理の説明だって問題ないだろう。でも残念なことに不在だった。
備品としてストックされているものから必要なものを勝手に拝借する。
「えーとこれがナプキンで、使い方はこうショーツに当てるの」
一応ちゃんと付けようかとも思ったけれど、元のショーツが大分汚れているので意味が無い。
(ロックオン、ちゃんと下着の換えまで持ってきてくれるかなぁ?)
そうじゃないともう一度、だ。
「痛み止め、飲む?」
「……必要ない」
少し考えたように首を傾げたけれど結局刹那はそのまま横に振った。
初潮は特に慣れないし酷いことが多いけれど、刹那は戦闘もこなすし痛みに強いのかもしれない。
(ま、この痛みは傷の痛みとかとは別物だと思うけどね)
「うーん、でもそっか。刹那って女の子だったんだ」
「生物学上そういう括りになっているはずだが」
「あははは。そっかー生物学上ねぇ」
多分それは本当に女の子なんだよっていうことで。
私は知らなくて。多分他の皆だって知らない。聞いた事が無い。でもロックオンは知っていて。
地上から戻ったばかりのマイスターたちは今各自休養時間になっていたはずだ。
刹那が頼ったのか、それともロックオンが世話を焼こうとしたのかは分からないがつまり、休むべき時間にも一緒にいたということで。
(そこに色っぽい展開を求めるのはうがち過ぎかなって思わなくはないんだけどねー)
それでも、面白いことになりそうだ。
05.
刹那の部屋のロックをハロで解除してから恐る恐るクロークに向かう。
部屋の作りは同じで、しかも刹那の部屋には余分なものが置いていない、殆ど与えられたものだけで生活している部屋だから辿り着くことは簡単だ。
「いやいやいや。頼まれて取りにきただけだ。別に疚しい事じゃないんだから」
そうだ。俺は正当な理由と、まっとうな動機があって此処に居るんであって、変態が下着を漁るような状況じゃない。
―――例えハロを使った無断開錠でも。
「ヤマシイ!ヤマシイ!!」
「だから違うって!!」
ハロが居なければそもそも部屋に入れず、クリスの要望に答えられないが、しかしやはり鍵無しで入って服を漁るのはどうなんだ。いや本人、同意はしなかったが拒否もしなかったがっ!それともあれか、マスターキーでも借りてくればよかったのか?
刹那にロックナンバーを聞いてくるのが一番だった。他人に教えておくのが嫌なら後でクリスに変えてもらえばいい。ソフト面ではめっぽう強いクリスがその場に居て、彼女の指示なんだからそのくらいやってくれたに違いない。
「あー失敗したよなぁ」
「ロックオン、ヤマシイ!」
「いい加減だまれハロっ」
そんなつもりはもうとうないのだ。
ただ、なんとなくこう居た堪れないというか、気まずいというか……気分的に後ろめたいだけで。
それだって自分の感情の上だけであって他人から見た場合問題はないはずだ。
「あーしかも着替えって下着もってことだよな……」
悪い、刹那。多分気にしないだろうが一言心の中で謝って上から順に開けていく。まぁいくらもないのですぐに見つかったが。
色気も何もない支給品らしい白い下着を手にとってはぁと眺める。
色気もそっけもないが、一応女性用の下着があったのか。良かったのか悪かったのか。
そんな妙な感慨に耽っていたのがいけなかったのかもしれない。
「……ロックオン?」
通路側―――背後からの訝しげな声。
その心理的なやましさから扉は開けたままにしていた。つまり通路からは刹那の部屋が開いてるな、何をしているのだろうと不思議に思うこともあるだろうし、思ったら覗き込むことも可能だった。
「なにしてるんですか?」
(タイミング悪すぎだろうっ!!!)
手に持ったものをどうすることもせずにポカンと立ち尽くした俺に首をかしげ、アレルヤの視線がその手の中のものに落ちる。
「誤解だぁぁぁぁぁぁ!!!」
さっと変わった顔色に軽蔑したような色を見て力の限り主張した。
人の噂も75日。だが、それだけの間この狭い艦内で不名誉な噂が流れるのはご免こうむりたい。なんだ、俺が刹那のクロークに女物の下着を入れてうすら笑っていただとか、ついにアイツは刹那を女と勘違いしはじめただとかそんな噂が流れるわけか。
刹那が否定してくれればいいのだが、きっと何も言わないだろう。馬鹿らしいと一瞥するだけだから、自分でどうにかするしかないのだ。