に至る
【5.鬼は待ってる】




イオンと一緒に宿に向かいながらガイが来ないことにむっつりと腹を立てる。別にガイが居なくたって宿くらいとれるけれど、ガイは俺の使用人だろうと言いたい。ご主人様には付いてこいよ。
部屋の取り方は取り立てて知らなくてもぱっぱと向こうが言うのに答えるだけでよかった。金を払うということはエンゲーブで覚えたから、無事に部屋に入ってイオンを休ませられた。
ガイなしで出来たことにささやかな満足感を覚えて、ほんの少し悦に浸る。ティアとは違い体が弱く、戦う術を持たないイオンは庇護欲を充実させる。
「僕は一人でも大丈夫ですから、ルークもどうぞ休んでください」
「あ〜でもおまえ一人にしたらまずいだろ」
イオンが狙われていることも理解していたし、なんとなくこののほほんとした少年が気になっていた。
ガイとはまた違った安心感で、それは人柄なのだろう。
「ガイが来たときに部屋に入れないかもしれないですよ」
「あ〜そうだよな」
その一言でまだ来ていない使用人の事を思い出して気分が悪くなる。でも確かにこの部屋に鍵を掛けて二人して引きこもっていたらガイは入れないかもしれない。疲れているしベッドもちゃんと二つあるからそろって眠っている可能性もある。
「俺、隣の部屋に居るから何かあったら叫べよ」
「はい。ありがとうございます、ルーク」
部屋を出てニコニコと落ち着く笑みが見えなくなると途端にまだ来ないガイに思考が戻る。
(ガイの奴……)
苛々と歩きながら、ティアに引き止められてデレデレと話していたのを思い出す。
そりゃティアはメロンだし、ガイは女が好きだと言って憚らないけれど。
「約束は俺のが先だろ!!」
ばふんとベッドは少し弾む。屋敷のようにはいかないけれど。胸の圧迫感も屋敷より苦しい気がする。
なのにガイの奴は一向に。
「来ないし!」
どうして来ないんだ。何してるんだガイの馬鹿と罵る。
慣れないこと尽くしで疲れていた。
張っていた気がガイに会って緩んだのもあるし、約束した場所に辿り着いた事で我慢が出来なくなっていた。
「別にいいよな……どうせガイしか来ないだろうし」
ティアだとかジェイドだとかそんな奴らはもう考えてなんていられなかった。追って来るのはガイだとそれしか考えに無い。
不器用なルークでも着脱しやすいように二つしかない上着のボタンを外し、インナーも脱ぎ捨てる。現れた白い帯状の布の端を探して巻いてある方向と逆に回せば緊張と苦痛とが取れていく。
やがて全部が取れた後。
ベッドの下にぽいとそれも放って、今度こそベッドの心地よさを堪能した。



***



一足先に宿に向かったルークが少し不安で早足に歩く。
とんでもないことを言い出したティアの誤解を解くのに少し話し込んでしまったから、多少足を速めたくらいで追いつけはしなかった。
不安はあったが、導師はルークほど世間知らずではないらしい。二人部屋を三部屋
―――アニスという子が合流するのを考えてだろう―――しっかりと取ってあった。
宿の主人に聞き、取った部屋へ向かう。
ルークがイオンが狙われているということをしっかりと分かっていれば手前の部屋にする可能性は低かった。
ルークは箱入りで物知らずだが知能が低いわけじゃない。七歳児と考えれば頭の回転は良い方だろう。
案の定一つ目の部屋で、ベッドに散らばる朱色の髪と側に落ちた服とが目に付いた。ベッドの一番近くにさらしも落ちている。
ガイを待つ時間も惜しいとばかりに外されたそれにそんなにも苦しかったのかと思った。さらしで胸を押し潰すなどという経験は勿論したことがないので想像でしかないが。
「ルーク」
ギクリと肩を揺らす。何を拗ねているのかそっぽを向いて顔はこっちを向かないが。
さっきもイオンに当てられそうになったばかりなのに、約束をちゃんと覚えているのだろうか。
「ルーク」
「まだいいだろ」
名前を呼んだだけで返ってくる拗ねたような答え。
どうやら分かってはいるらしい。
「いいけどな。俺じゃ無かったらどうするつもりだったんだ」
「ガイしかこぬぇーよ」
「ここは屋敷の中じゃないんだぞ?」
「どこだって同じだろ」
同じではないと言う事は簡単だった。言ってもルークは理解しようとしないだろうことも簡単に分かっていた。ガイというこの自分の存在が、今この瞬間も屋敷と同じであるとルークに錯覚させるのだ。
「なに拗ねてるんだ?」
「拗ねてなんかぬぇーよ!」
(やれやれ……こりゃ本格的に機嫌を損ねたな)
ひっくり返そうと肩に手を掛ける。ベッドの手前に引き戻そうと力を加えればごろんと転がってギロリと不機嫌そうに睨み付けられた。
「ルーク……」
「ずっと締め付けられてたんだぜ?ちょっとくらい良いだろ」
「あー分かった……分かったから服は着とこうな」
先回りの言葉に思わず適当に肯く。
サラシをとってから服を着るのが面倒だったのかインナーすら着ていない。成長途中なのかレプリカだからかもともとそういう体質なのか、未成熟な乳房が存在を主張している所為で目が合わせられなくて。
「……ばっか!」
他人に指摘されたのが恥ずかしかったのか、わずかに顔を赤く染めたルークが妙に少女らしくてどきりとする。
着替えなんていつもやっているくせどうしたっていうのか。
羞恥心というものが育っているのか。他者に
――俺に――何事も任せるだけの生活を送っていたルークには育つはずの無い感情だったのに。
「ティアと何話してたんだよ」
どうやら子供はそれが気に食わなかったらしい。
可愛らしい理由に自然口元が綻ぶ。所詮嫉妬という感情だろう。独占欲と言ってもいいかもしれない。自分の使用人が他者と話すのが気に食わない。それは屋敷に居てさえあった事だ。結局話の内容など一人のことしかありはしないのに。
「おまえの事だよ」
本当のこと。けれど懐疑的な視線を向けてくる子供に苦笑してみせる。
「俺が居ない間悪い夢でも見たのか?」
「……なんでだよ」
多少尻すぼみだけれど、確かな否定の言葉に見当はずれか、と思う。
ルークは嘘を吐けない。吐いたってすぐに分かる。
―――――だから検討はずれ。
(やれやれ。心配のしすぎ、か……)
そういうことなんだろう。そういうことで納得しなくてはならない。
「ティアが、さ。おまえに俺がいつも添い寝してると思ってたらしいぞ」
それでも弁解という概念はあるのか、バツが悪そうな顔をしてルークがまた反論を示した。
「夢なんて見てねーよ」
「そうか。なら良かった」
恐い夢を見たときにルークはベッドを抜け出し、態々使用人部屋に居るガイの下へとやってくるのだ。ベッドの中に居るよりよっぽど恐いと思うのだが。
知らない場所で泣いていることが無かったのなら、それでいい。
「ただ、さ……」
何かをルークが告げようとした瞬間、感じ取った気配にその口を塞ぐ。
――――――足音など聞こえなかったのに。

コンコン。

誰だか知らないが今更間に合わない。
さらしを巻くという方法はどうしても時間が掛かるのだ。服を着る時間さえ不自然に思われる時間しかない今は無理だ……ならば。
「ルーク、布団に入れ」
低い声で命じられ、元々ベッドの上だ。大人しく布団を被ったルークを眺めながら伺う。
「本気で寝ててもいいから、寝たふりしてろよ」
「……ガイ?」
「大丈夫、俺が上手く誤魔化すさ」
丸まって布団に潜ったルークを確認してからドアを開ける。ジェイドかティアが来ていても可笑しくない時間が経っていたことに初めて気づく。
ルークと話していると時々時間の認識が甘くなる。
閉じ込められたルーク、その住み込みの使用人。二人にとって時間など意味を成さないものであったからかもしれない。
「おや、ルークは寝てしまったんですか?」
「やっぱり疲れていたみたいだ。お坊ちゃんだからな」
案の定顔を見せた軍人がとぼけた顔を見せた。一人、ただ呼びに来たからか、それとも合流できなかったのか。どちらにしてもこの軍人の顔では何かしらのコンタクトはあったと思われる。
「ティアは元気なようでしたが」
「彼女は兵士だろう?」
年齢の近い少女を引き合いに出されたが、ルークと彼女では育ちが違うのだと言ってやる。さすが貴族のお坊ちゃんと皮肉られたとしても、仕方が無い。むしろその方がやり易くすらあるだろう。
ルークも分かっているはずだ。秘密の保持のために必要であることを。
言外に貶されたとして、ルークがそう簡単に飛び出すとは思わなかった。
「ティアも戻ってきたのか」
「ええ。ですから予定を詰めておきたいのですが」
「分かった。ルークは寝かせておいてやってもいいだろう?ああ、ちなみに部屋は悪いが勝手に決めさせてもらったぜ」
「構いませんよ。適当な判断だと思いますし」
部屋を出、説明せずとも残りの二人で自分の部屋を察したジェイドはひょいと肩を竦めてみせる。
ガイとルーク、イオンとジェイド、ティアと合流する少女。女性はどうしたって一組だからガイとルークが同じ部屋に居るならば必然的にジェイドはイオンという仕組みだ。
ルークとティア二人の時はどうしていたのか気になるが、ばれていなかったところを見るとそれぞれ取っていたんだろうか。そんな余裕があるとは思えないのだが。
「アニスって子が合流するならティアと一緒に泊まれるように部屋を取ったが」
「アニスは先に向かったようです」
「そうか。じゃ、追いかけるんだな」
「ええ。次は国境での待ち合わせになりますね」
食堂を兼ねたロビーに出たところでやはり呼び集められたのだろう。ガイが来たときには居なかったティアとイオンの座るテーブルの椅子を引く。
「ルークは?」
「やっぱり疲れてたらしくて寝ちゃったんだが……任せて悪かったね」
ティアの隣に荷物が置いてあるのを見て申し訳ないと頭を下げる。
持てないほどではないのだろうが、やはり4人分ともなるとかなり重かっただろう。
「いえ。大丈夫よ」
生真面目にティアが首を振るのに好ましく思いながら、同じく席に落ち着いたジェイドが口を開くのを待つ。
「それで、アニスですが」
一通りの話
――――結果はティアたちも聞いていたのだろう。簡単なおさらいの後、明日からの行程を決める。
もっとも向かう先、という意味では一つしかない。
「ローテルロー橋は破壊されてしまいましたから……」
「フーブラス川を渡るしかないわ」
「フーブラス川か……」
ティアの断定に思わず呟きを溢す。確かあそこはあまり整備された場所ではなかったはずだ。そして水の流れもそれなりにある大きな川。
「何か都合が悪い事でも?」
「……いや?」
そらとぼけて笑みを作る。
都合が悪い、といえば悪い
―――ルークだ。
運動神経が悪いわけではなく
――むしろかなりいい部類だが――ヴァンが何かを仕掛けている訳でもないが魔物との戦闘も避けられないだろう。
そうなると水辺はあまり好ましくは無い。橋があるならまだしも、歩いて渡るのでは落ちる危険がある。いくらサラシで潰してるとはいえ、濡れそぼったときにあの露出の多い服では胸の膨らみが分かってしまうかもしれない。
今更服を変えるのは不自然すぎるし、装備を整えるという名目でルークの動きを阻害しないで隠しやすいものはここでは手に入れられないだろう。こんな事体は想定などしていないから手持ちもそれほどあるわけではない。
故に。

「でしたら明日、フーブラス川を目指すということでよろしいですね」

ニッコリと胡散臭い笑顔の元、決定の言葉に反論できる理由が無かった。



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