に至る
【6.地の子供】




やはり戻るころには眠ってしまったルークを朝少し早めに起こして進路の決定を伝える。
ふーんと言ってルークは文句も言わなかった。文句を言うほど地理を分かっていないのもあるし、なにより決められることなど慣れている。
我侭を押し通しているようで、実際ルークの思い通りになることなどあまりない。
ルーク自身がその事を知っているからできる所では我侭なのだ。
「で、なんでこんな早いんだよ」
あれだけ寝ておいても外が静かなのを感じ取れば不満と欠伸を零すルークに、寝る前に拾って畳んでおいた服の中からさらしを持ち上げる。
「こいつを巻き直さないとだろ?」
げっと顔を顰めるルークに苦笑する。
まあ相当苦しいのは想像も付くが、あからさまに嫌な顔をされるのも辛い。
なんせ今回はもう少し苦しくしてもらわなくてはならないのだから。
「ちょっと大人しくしてろ」
「痛い痛い痛いって!!」
悲鳴に内心すまんと思いつつも思い切り持っている方を引き締める。

「ぎゃー!!」

結び終えて一息。
やや汗ばんだ額を拭う。ぐったりとしたルークは半分涙目で見上げてきた。
「ったくなんだってんだよ……」
「ちょっと厄介な事になりそうでな……」
「はぁ?もしかしておまえこのために外していいって言ったのかよ」
「そういうわけじゃ無かったんだが」
結果としては良かった。
ルークも久しぶりに寝苦しい思いをしなくて済んだわけだし、緩んださらしを強く巻き直す必要があった。
これで何時まで持つか分からないが、フーブラス川を抜けるまでは精々もって欲しい。野宿の際に巻きなおすのは流石に恐い。扉というものがないと呼びに来られたとき遮る物が無い。ノックというタイムラグもないから昨日のようなことがあればアウトで、さらに宿に泊まっているときと違い、人の意識も離れづらい。ルークと少し離れた場所へ行けたとしても、不振がられる時間もやはり短い。
「気をつけろよ、ルーク」
「わーってるって」
秘密なんだろと小指を突き出して見せたルークにそうだと頷きながら、そっと指を絡める。

「嘘ついたら針千本のーますっ。指切ったっと」

勢いよく上下に振られ、ぶちりと切れる。
教えたのは自分のはずなのに、どうにもルークらしいやり方に変えられた気がしてならない。こんな乱暴には教えなかったはずなのだが。
「これでいいんだろ?」
「ああ。本当に……気をつけるよ」
「あーもう何度も言うなっつーの!」
ふんとそっぽを向いたルークを宥めながら、これから向かう先に厳しい視線を向けた。





穏やかといったって水辺はやはり滑りやすいし濡れやすい。
水かさが無いといっても落ちれば当然前身水浸し。服は肌に張り付くのが常識だ。
案の定ずるりと足を滑らせた子供の腕を慌てて掴む。
「ルーク、大丈夫か?」
落ちるのはまずい。寸前で阻止したことに安堵するが、ルークといえば人の気を知ってか知らずか能天気に大丈夫だよと人の手を振り払ってはスタスタと歩いていってしまう。危機感も何もあったもんじゃない。指きりまでしたのに。
「ルーク、あまり前に出るな!」
「はぁ?前衛が前にでなくってどうするんだっつーの」
言っている事はもっともなのだが、如何せんルークの行動を見守っているこっちの身にもなって欲しい。
それに自分の行動をよくよく振り返って欲しい。心配しない方が可笑しい。
日が出ているときはいいが、この時期まだ空気は冷たい。水に濡れれば風邪を引く事だってあるだろう。慣れない環境で疲れが貯まっているはずだから尚更。
そうして風邪を引いたとしてもどこかに逗留できるような場所はカイツールに辿り着くまでは無く、戦力を考えればおぶってもやれない。辛いのはルークなのだ。
「ガイってほんとうに過保護ね」
「大切なお坊ちゃんだからね」
呆れたようなティアに肩を竦めてみせる。
大切な、大切な、大切すぎる、お坊ちゃんなのだ
――――俺にとって。
「ルーク……!だからもうちょっと慎重に行けって……」
「うるせーよ!」
(五月蝿くない、五月蝿くない。五月蝿くないから止まれって!)
「はっはっは。お母さんは心配性ですね」
「あのなぁ……」
なんとでも言えばいい。言いたい奴には言わせておくのが処世の術だ。どうせ此処さえ乗り切れば会うこともない。そんな奴らになんと言われようと痛くも痒くもない。
そんな奴らでもばれてしまえば問題は山積みで。
(とくにジェイドの旦那には知られるわけにはいかない……)
ダアトはどうにかなるといえばなるのだ。例えばこの二人を消してしまえばいい。屋敷では遅れを取ったか、今度不意打ちをできるのはこっちであるし、まともにやれば負ける気はしない。導師など言うに及ばない。唯一強敵なのがやはりこの軍人だろう。
もっとも誰も彼もが消してしまうわけには行かない背後が存在するのだが。
(やっぱり俺が気をつけるしかない……か)
気が重いわけではないけれど思わず溜息は零れる。ついでにやや足を速め視界に置いていたルークの腕を掴もうと手を伸ばす。
「ルーク……頼むから大人しく……」
「ガイっ」
「うっわ!」
掴む直前、急に飛びつかれてバランスを崩す。
当然のように上半身を押され、水の中に尻餅をつくように倒れて水しぶきを上げる。ルークは死守だ。水が浅くてよかった。
「冷てぇ……」
それでもズボンは濡れてしまったようで苦い顔をする。
ズボンならまだ大丈夫だ。
「大丈夫か、ルーク」
「あっああ……おまえは……」
ごめんとも大丈夫かとも聞けずに口篭るルークの頭を撫でてとりあえず立てと言えば慌てて立ち上がる。
恐る恐る差し出された手を引っ張りすぎないよう捕まって起き上がれば。
「おやおや。華麗に濡れ鼠ですねぇガイ」
「何をやっているの?」
揶揄かうジェイドと呆れるティアの視線に晒された。
まったくと言う二人に面目ないと頭を掻きつつ前を譲ってルークと二人ほんの少し後ろを歩く。流石に懲りたのかルークも急ぐそぶりはない。
いくら譜術を得意とすると言っても二人とも軍人だ。多少の距離を駆けつけるまで持ちこたえる腕程度は持ち合わせているだろう。
「で、さっきはどうしたんだ?」
「えっ……?」
きょとんとするルークにほらなんで突然飛び掛ってきたんだと問い直す。
「あ〜別に大した事じゃぬぇーよ」
「でも嬉しかったんだろ?」
ルークの表情を、行動を、読み間違える事などない。
だからそれは確かで、ちゃんと聞いてやらなければならないと思っている。悲しい事も、嬉しい事も、言おうとした事は全て聞いてやらなければ。そんな機会などあまりないのだし。
おまえも前見れば分かるよと言われて、ルークから視線を移す。視界には入れていたけれど、改まった認識はしていなかったその情報。
水の切れ目。岩のない陸地。もう少しで川は終わりだ。
「もうすぐ帰れるな」
嬉しそうに言うから、つい顔が崩れる。
ああそうだな、ルーク。
このフーブラス川さえ抜ければカイツールは目前で別経路のヴァンと合流もできるだろう。そうなれば使える駒が増える。
またあの箱庭へ帰ろう。




***




途中ライガとアリエッタの妨害なんてものもあったが、無事にカイツールまで辿り着いた。
ルークがアニスじゃないかと示した方を見ると、小さい女の子が検問所の辺りでなにやら揉めている。旅券がないのをごり押ししようとしていたのだろう、当然ながらお堅い検問所の兵士は絆されることなく突き放した。
(うわー月夜ばかりと思うなよって……)
恐い恐い。ルークに移らなくて良かったと胸をなでおろす。
いくらがさつと言っても大切に育てた箱入りが、ちょっと目を放した隙に恐いお嬢さんになっていたらたまったものではない。
「どうやって検問所を越えますか?」
旅券が無いというティアに、それはあらかじめ用意してあり大丈夫だと懐へ手を伸ばす。旅券が無かったら一体全体なんのための捜索隊だ。
「ああ、それなら……」
言葉を区切る。
「ルーク!」
突き飛ばして抜ききらない剣で受け止める。
黒い影。
重たい剣。
ルークの攻撃に似ているがそれよりも
――――重い。
だが対応できない腕ではなく、弾き、距離をとる。
影は剣を抜いているというのにこちらには興味もないと言いたげに背後を見せた。
影が向かう先には唯一つ。
己が突き飛ばした、無防備に尻餅をついた子供だけ。
「ルークっぼけっとすんな!」
あくまでもルークに拘る男に若干の危機感を覚え、鋭く声を投げかける。
正気であればルークなら十分に受けられる。だが……
「ここで死ぬ奴にそんなものいらねーよ」
顔は見えない。だが、心底馬鹿に仕切った声で言い切った男にルークは完全に萎縮している。
「ルーク!」
「退け、アッシュ」
ルークを庇うように剣を合わせた、見知った顔
――――ずいぶんといいところを持っていく。
だが助かった。間に合わなくも無いが、ここで本気を見せるわけにもいかないだろう。 
チラリと視線を合わせ、一つ頷く。よくやった。
ヴァンの言葉で舌打ちをし、素直にと言えなくもない速さで退いた男に小さく悪態をつく。
後姿ですぐに分かる。
そもそも名前を考えてみればいい。
アッシュ
――――Asch。
意味は灰。一体全体なんの灰だ。

ルークの、などとは言わせない。





魔物の声と人の喧騒、煙を頼りに港へと走る。これは、もしかしてとても厄介な事か。
煙を上げる船。累々と横たわる魔物と人。
少女に剣を突きつけたヴァンは悪役然としているが、これは正当な行為だろう。決して幼女虐待などではない。
現にアニスの意地悪と響く声がとても間抜けだ。どうしてこう緊張感の抜ける遣り取りができるのだろう……
若干の脱力感を感じつつ、内容だけは真剣な会話を挟み聞く。
「総長、ごめんなさい……アッシュに頼まれて」
ピクリ。こめかみが疼く。
今なんと言った、誰の差し金だと。
聞き捨てなら無い名前にギロリとその上司に当たるはずの、当然管理しているべきであるはずのヴァンを見る。
前回のアリエッタの時も思ったが、部下の管理が杜撰すぎやしないか。いっそヴァンの指示だと疑うべきか。
「船を修理できる整備士さんはアリエッタが連れて行きます。返して欲しければ、ルークとイオン様がコーラル城へこい……です」
(コーラル城……)
これもアッシュの指示か。そうだろう。そうでなければコーラル城など指定しない。ルークが作られた場所など……
「ヴァン謡将、船は……」
「すまん。全滅のようだ」
(ちっ……)
厄介な事だ。
やっと帰れると思ったものを。
ここまで、きて。
コーラル城ともなれば死霊使いに気づかれるかもしれない。
もしアレを見られたら。

(手間かけさせやがって……)

なんて邪魔な奴。
何処までも、何処までも。

――――――憎い。

それは昔本物に向けた感情だった。
殺せなくても、心の底に消えることなく沈殿していた感情が今。

―――――噴き出した。



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