パブロフは知っている
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1.
ふわりと緑色の髪がなびく。
開いたナイトメアのコックピット。憂える女の顔。
「ルルーシュ」
神秘的にも聞こえるその声は、だが次の瞬間尊大に命じた。
「起きろ」
瞳の奥で王の翼が羽ばたく。
その引力は脳の中枢へ、記憶の奥が引きずり出される。
思わず頭を押さえ、それから呻くように問うた。
「……なんだこれは」
さっきまでは無かったはずの記憶。どうして忘れていたのか、どうして今知っているのか、分からない光景。
記憶。そうこれは記憶だ。
この先に起こった過去の、これから起こる未来の、記憶。
「まったく……毎回毎回世話の焼ける奴だな」
苦笑するような、嘲笑するような、複雑な笑みを浮かべる女は忘れるはずも無い。俺の共犯者――C.C.という名を持つ魔女。
魔女の名を冠するに相応しい不思議な力を確かに持っていたが、記憶にある限り未来を知る力まではなかったはずだ。
「毎回?」
「私がおまえとこの会話をするのはこれで4837回目だ」
「……なんだと?」
それはつまりそれだけ記憶を改ざんされたのか。いや、シャルルのギアスも一人に一度という制約があるのか、それは知らないがC.C.が暗示を解いた今分からないはずがない。
残る可能性は。
「時間をループさせるギアスか……?」
「回答もいつもと同じか」
「そんなにか」
「おまえ案外頭の作りは単純なんじゃないか?」
「単純なのは俺の頭ではなく事実の方だろう」
そんなことも導き出せないのでは頭のつくりが単純どころではなく馬鹿だ。それなりに事実を把握する力はあると思っている。その辺り自分を過小評価はしない。
「まぁだが発想は間違っていないだろうよ……あの瞬間、誰かがギアスを掛けたんだろう」
「俺たちにか?」
「さあな。自分にかもしれないし、世界にかもしれない。いずれにしろ時は遡った」
「そして繰り返す」
何度も、何度も願うのだろう。
あの瞬間が来る度に。こんなものは嫌だと。
だから時は先に進まない。
死んだはずの自分が過去に居る。
それがどうして記憶を持っているのかは分からないが……
「C.C.おまえどうして俺が記憶を持っていると分かった?」
何度も何度も繰り返せば別だが、そこには始まりがあったはずだ。数え始めたときが。
「おまえと私は同じ時の流れを生きている」
C.C.に記憶があるのは精神がCの世界に退避しているからだ。あの世界には時間という概念はない。
だから覚えている。
そしてコードとギアス、契約を結び共にその世界に居たことのある自分たちはCの世界で繋がっている。
だから。
「私に記憶があるのならおまえにないはずがない」
「そうか」
つまり、父と母も記憶を持っている可能性がある。
全員を知っているわけではないが、他にも可能性はないわけではない。
案外、この先の展開を知っている人間は多いのかもしれない。
「だが、一体誰のギアスだ……?」
「おそらく引き金はおまえの死だ」
世界が巻き戻されるタイミング、それを考えるとそれしかないとC.C.は言う。とすれば大分候補者は絞れるだろう。
俺の死を強く強く悼んでくれる。そんな人間は限られる。
なんせ世紀の悪逆皇帝だ。
俺の死を喜びこそすれ、悲しんだりはしないはずだった。ゼロレクイエムの内容を知ってさえいなければ。
「コードとの接触を考えるとナナリーか……スザクか……」
「ジュレミアや咲世子、ロイドやセシルの可能性だとてあるぞ?」
その誰かが自覚があるのかないのか知らないが。
止めるならこんな世界は、現実は、結末は、嫌だと思わせなければいい。
そこまで考えてふと笑う。
止める、その思考が自然に出てくることが可笑しい。自分が死ぬならばその先などありはしないのに。
「C.C.おまえは何故俺の記憶を呼んだ?」
だからお前が好きだよ、彼女はそう言って。
「おまえは明日が欲しいんだろう?」
「ああ」
昨日でも、今日でもない――明日。
人の進む未来。
だからゼロレクイエムは生まれたのだ。過去を清算し、今日を生き、明日に進むために。
「この閉じられた世界から出て明日を手に入れないか?」
それは未来を変える約束。
ゼロレクイエムで得られたはずの明日を、その先に進めるために今を変える。
「いいだろう。交わすぞその契約」
人は進まなくてはならない。
やり直しの利く現実などありえない。
だからこれを最後にしよう。
そして二度目の契約は交わされた。
2.
ルートは二つ。
以前と同じように黒の騎士団を使うか、あるいは。
「どのみち、まずはロロの攻略か」
あいつを攻略しなければ不要な犠牲がでる。イレギュラー。ロロの力はそれにあたる。
「ゼロはどうするつもりだ?」
「おまえはここに来るのに黒の騎士団を使ったんだろう?」
「この状況が他に考えられるか?」
明らかに黒の騎士団を名乗る人間が混乱を起こしている。
記憶との差異はない。あるとすればこの女との会話だけだ。
「つまりおまえが戻ったのは作戦決行直前ということか」
「ああ、そういうことになるな」
「毎回か?」
「でなければ他にもやりようはある」
戻る時間は決まっているということだ。ギアスの制限か、それともこの時間に意味があるのか。
貴重な情報だが、考えるのは後でいい。
「利用したなら答えてやらねばならないだろう」
例え今ひと時だけでも。
後のことまでは今は面倒を見ることができない。記憶の中と今では状況が違う。
「ああ、そうだ。ずいぶんとおまえのことを気にしていたようだが、カレンはどうする?」
「それは今やるべきことではない」
彼女はついてくる。
例え疑っていても、迷っても。それでも彼女が持っているゼロへの信仰がそうさせる。
物事には順位がある。処理するための順位――順番。
いつ行っても問題ないものもあるが、時期を誤れば何かが手からこぼれてしまう。
今は、ロロのことをなんとかするのが先決だ。
「ロロはギアスユーザーだな」
「だとしても、記憶を持っているとは限らないぞ」
「確かめたことは?」
「ないな。そんなことに興味はない」
返答は至極この女らしかったが、一度くらい確かめればいいものをと思わずにはいられない。ロロにもし記憶があればことは簡単に済むのだが。
「ギアスが記憶に干渉しているわけではない」
あくまでもそれを成すのはCの世界だ。
ただのギアスユーザーに記憶があるとは考えられない。
「そうか」
不必要な期待はするな。
そう言われたような気がして苦笑した。
「では以前と同じように。おまえは仕掛けの方をやってくれ」
「カレンを行かせればいいじゃないか」
「カレンには前線で時間を稼いでもらわなければならない」
当然のことだ。それをこの女が分からないはずはない。
「つまりおまえのところには誰も残さないのか?」
「そうだ」
ロロに会うならその方がいいだろう。
あいつは結構プライドが高いのだ。他の誰がいるところでも弱みなど見せようとしないだろう。それではロロの拠り所である‘兄弟’の時間を上手く使ってもなびくか分からない。
それに今の時期なら俺に記憶が戻ったと知れば必ず殺そうとする。その事実は後々面倒なことにもなるだろう。
「分かったよ。だが、くれぐれも甘い期待はするなよ。おまえは身内に甘すぎる」
「分かっている」
ナナリーにも、スザクにも、甘かった。甘すぎた。だから失敗したことが沢山ある。記憶の中の自分はそれを学ばなかったわけではない。
C.C.を見送り、カレンと卜部には以前とは別の命令を下してロロが来るのを待つ。
やがて、次々に沈黙の連絡。
それ以上止めるような無駄な命令はせず、全体に向けて指示を出す。
「こちらに来させろ。正規軍ではない」
『どういうこと?』
「その機体にIFFの反応はない」
『そんなのっ』
ただIFFを外したのかもしれない。実際に過去にはそう思った。
理由にならない。
だが、知っているから。
「そいつには言葉が通じる可能性がある」
『駄目よ。私たちがなんのためにこんな作戦やったか……っ!」
「大丈夫だ。カレン」
ゼロの声で言えば決して逆らえはしない。そんな彼女に哀れみを覚えながら通信を切る。
(ロロだと分かっていればやりようはある)
幸い今はゼロの服装ではなく学生服のままだ。
ナイトメアから出ていれば話もせずに殺される心配はない。
話し合いでの解決を、とよく言うがそうなればこちらのものだ。言葉と言う武器にも強弱がある。
幸いにして自分のその力は強い。武力的な力を持たない子供が周囲から身を守るために強く、強く、なったのだ。
(……なんだ?)
妙に静かだ。こちらにはすでに放棄されたのか?
いや、そんなはずはない。
指示を出すならセキュリティルームがあるこちらに来るはずだ。
罠か、と思い始めたところで一つの影を見つけた。
「ロロ?」
振り返った黒い学生服の、男。
細いシルエット、画面越しに優しく見返される紫の瞳。
「……兄さん」
どうしてこんなところに居るんだ。どうして僕が乗っていることを知っているんだ。
その理由が自分が恐れていた通りなら。
探していた人を見つけたというのに、素直に喜ぶことはできなかった。
3.
ランスロットの汎用機。
なるほど確かにスザクには及ばないだろう。だが、それを操る腕をみるとギアスがなくても、ロロならかなり使えるだろう。
使い道を考える。ロロはナナリーではない。ただ守るための存在ではありえない。
だが、ロロの最後を考えれば心臓に負担の掛かるギアスはあまり使わせたくはなかった。
それも全て今が上手くいったらの話だが。
ナイトメアから降りてはこないが、問答無用で破壊するようなこともない。距離を開けてロロの乗るナイトメアは立っている。
「そこじゃ顔も見えないな。降りて来いよ、ロロ」
「そんなのできるはずが……」
「おまえの腕と俺の腕ならギアスを使うまでもないはずだ」
ナイトメアを動かすことはできるが、スザクやカレンのような際立った腕はない。黒の騎士団の幹部というが、碌にナイトメアも持たなかったようなレジスタンスと同じ。精々そのレベルだ。
肉弾戦になればもっとその差は大きい。
「時間はあまりないが、話をしよう」
「話す必要なんてないよ、兄さん」
「違うな、俺たちはすでに話している……何故だか分かるな?それが必要な行為だからだ」
今回は演出のための仕掛けがない。
それでも、あの頃よりも確かなものがある。今はそれを使うしかなかった。それがあるためにできないなどと言えるわけがない。
ロロのことを真実弟だと思う気持ち。
嘘と策略しかなかったあの頃とは違う。
ロロが静かに息を吐き出す。
それはまるで全ての偽りを吐き出すかのように重い。ナイトメアごしに聞こえるほどに。
「思い出したんだね」
「ああ、思い出したよ」
ナナリーのことも、ゼロのことも。
そうしておまえがずっと俺の側に居てくれたことも。最後まで、俺を兄だと信じてくれたこと。
「ならC.C.を渡して。兄さん」
「そしておまえは未来を得られるのか?俺の弟ではなくなって?」
「そうだよ。僕は任務をこなすとで未来を得られるんだ」
「それはどんな未来だ?」
「どんなって……」
重ねる言葉にロロは言葉を濁す。
明確な答えなどありはしないだろう。教団がギアスユーザーに未来をくれるなどありえない。便利に利用され尽くされるだけ。
「それは今を繋ぐだけだ、ロロ」
未来ではない。
今は確かになんとかなるかもしれない。そうして繋ぐことが大切なことは確かにある。だが、今はそのときか。
「なにが言いたいの」
「おまえは家族をどう思う?」
唐突な問いに困惑したような沈黙。想定通りの反応に言葉を繋ぐ。
「俺にとっての家族はおまえで、ナナリーだよ」
おまえも、ナナリーと同じ俺の兄弟だと言ったらロロには伝わるだろうか。俺がナナリーをどれだけ愛しているか、見捨てられないか、それは俺を餌として監視している立場の人間なら分からないはずがない。
「おまえと俺は兄弟だった。あの時間は嘘じゃない……おまえの笑顔も」
そうだろう?
そんなに器用な性格ではないはずだ。写真に残った笑顔が全て偽りだったとしたら、どうして俺があげたロケットを大切に持っている。
違うのにしようと言ったら怯えるほどに。
「守ってくれるっていうの?」
ナナリーみたいに?
言外の問いにうなずく。ロロからは見えているはずだ。
「ああ、俺が守る」
「本当に?」
「嘘は言わないさ」
何度も、何度も、吐いてきた嘘。
死ぬ前に、兄さんは嘘つきだとロロは言った。酷いことを言っても、傷ついた顔をしたくせに分かってるよと言って笑った。
兄さんの言葉は反対なんだって。
だけどおまえはまだそれを知らないから。
「おまえは俺のたった一人の弟だ」
言葉通りの、真実。
そのまま受け取ってくれればいい。
俺はもう間違えない。
「もう死なせはしない」
4.
中華連邦の領事館まで前回同様に脱出を完了する。違うのはこれからの筋書きか。
「ディートハルトの仕掛けは流さないのか?」
「それはこの先を決定してからだ」
ロロは一先ず退けた。卜部は生きている――被害は格段に少ない。
攻略できたかというと微妙なところだが、そう簡単に落ちるはずもない。絶対の信頼など簡単に得られてしまえば心配になるだけだ。今は揺れるだけで十分だ。
あとはゼロの復活をどうするか。最終的なことを考えるとゼロでなければできないことはない。
「今まではどうしていた?」
「それを聞いてどうする?」
「パターンの中からそれは選択肢から除外できる。やり直しが利くとはいえ、情報を得なければいつまで経っても変わらない」
所詮人の好む思考パターンなど決まっているのだ。
消去していかなければすでに選んだ方法を取る可能性が高い。
「道理だな」
「だから早くよこせ」
「まったく何が有効かもわからないというのに」
「それはおまえが考えるべき必要はない」
彼女はただ、記憶をアウトプットさえしてくれればいい。
あとのことを考えるのは自分の役目だ。
「戦略目的は変わらない」
明日を手に入れる。
そのためにラグナレクの接続を止める。
シュナイゼルの仮面の世界を否定する。
「扇たちはどうするんだ?」
このままならば黒の騎士団が処刑だのなんだのと引っ張り出されてくるはずだ。最もゼロ復活の報がなければどうか分からないが。
あれはゼロを引っ張り出すため、あるいは偽者だと談じるための作戦だった。
それにこれから先黒の騎士団は必須ではない。
最終的に黒の騎士団は敵となった。
今、そこに到達するまで彼らの力は必要か?
それとも重荷となるか。
「これが終わればスザクが来る」
それこそが問題だ。
スザクは手に入れたい。まだ何も知らないスザクを如何にして手に入れるか。
「それまでに計画は決定していなければ」
スザクの力は当てにできる。
記憶通りに事が進むのならば、黙っていても手に入るだろうが。
(……できることなら黒の騎士団よりもスザクを初めから手に入れたい)
だが方法がまったく思いつかない。
そもそもどうしてスザクは俺と共に来てくれたのだったか。
ゼロレクイエムは確かにスザクと思想的に対立するものではなかったが。
「なあルルーシュ」
ふと、考えに沈む思考をC.C.の声が掬い上げた。
「おまえは何を変えたい?」
「太平洋奇襲作戦は必要ないな。ナナリーは自分の意思であの場所に居る。それから……」
「そうじゃない」
そういう意味ではないと魔女は首を振る。
「おまえは何を望む?」
そんなもの、と笑おうとして、C.C.の顔を見て一度口を閉ざす。
簡単に笑い飛ばせない空気がそこにあった。
その表情を見ているうちにどうしても変えたかった事が素直に口に出た。
「シャーリーとロロを……死なせたくない」
「ならばそのために動こう」
ふっと笑う。その顔は確かにC.C.なのに。
「おまえは優しいな」
そういう彼女こそがまるで聖女のように、優しく映る。ありえない。
だが、時折見せるそれも彼女の顔だった。
「おまえは優しいな、ルルーシュ」
でも真実を口にしない。
「なあ、どうして生きたいと言わないんだ?」
5.
そこには昨日までと何も変わらない日常がある。
夕飯はルルーシュが作った。お茶は僕が淹れる。
一緒に作るときもあるが、そのパターンが格段に多く今日もそのパターンだった。つまり日常だ。
片付けを終え、差し出した湯のみに本をめくりながらそうだとルルーシュが思い出したように言った。
「ジェレミア・ゴットバルトという男を知っているか?」
「ううん。聞いたことないよ……教団の人間なの?」
こんな話が出ることだけが以前とは違う。
ルルーシュは変わった。記憶を取り戻した。
ならば僕との関係は。変わったのか、変わっていないのか。
「ああ、ギアスキャンセラーの持ち主だ」
ギクリとお茶を出す手を止める。
そんな力は僕たちには鬼門のものだ。
そんなものをなんに使うのか。使い道は沢山あるのだろうが、この兄がそう簡単に見通せる使い方をするわけがない。
「そんなものがあったら教団が放っておくはずがないと思うけど」
「正確には教団がそのように改造した機械による人工的な力だ」
教団の思惑ならば簡単だ。
僕らを制御するため。研究対象の上位に立つためにはそれを上回る力がなくてはならない。子供にばかり力を与えるのもその所為で、それだけでは不安になったのだろう。
「それで兄さんはどうするの?」
「みんなのギアスを解きたい」
「そんなことをしたら……!」
みんなの記憶にあるルルーシュ・ランペルージの兄弟はナナリーだ。
兄が溺愛し、心を砕いたのは妹のナナリーのみ。
弟は居なかった。いつから来たのか、どうしているのか。二つの記憶が残る。当然後者を偽りとするだろう。そうなれば自分はここにはいられない。
やはり約束を破るのか?この人は自分を救ってはくれないのか。
「おまえはおまえだろう?ロロ」
心配するな、と手を添えて止まっていた湯飲みを下ろさせる。
兄の笑顔は変わらない。だが、人は本心でなくたって笑えるのだ。特にこの人は嘘が上手い。
「この生活を崩す気はないよ。ただ、会長に俺の素性を思い出して欲しいだけだ」
「どうして?」
「あの人は俺の奥の手なんだよ」
あの男を止めるにはCの世界に行く必要がある。あの時と同様に神にギアスを掛けるなら、あの祭壇から向かうのが一番簡単だ。
アーカーシャの剣。
神根島からもいけるのかもしれないが、直接ブリタニアの王宮から行った方が早い。
そうなると本国に行くには貴族の後ろ盾が必要だ。
この時期に日本から何の後ろ盾もなしにブリタニア本土へ渡ることは難しいだろう。
そう、彼女はブリタニアへ渡るには現時点で最も頼りになるカードだ。スザクやロロでは軍が切り放せない。ブリタニアへ帰る余地のある没落したとは家貴族の家系。それも伯爵を婚約者に持つ。
記憶があってもなくてもその条件も彼女の好意も変わらないが、何も知らないまま巻き込むことはしたくない。
記憶のある彼女は俺たちの良き守護者だった。あの箱庭を作り上げ、守ってくれた。例えそれがルーベンの母さんへの忠義だとしても。
ルルーシュはうっすらと笑う。
「それに……」
「それに?」
「友達が皇帝のおもちゃにされているのは気に入らない」
何よりもその状態が気に入らない。
6.
結局、ゼロ復活の報を流した。
それがなければスザクが日本に来ない可能性に気づいたからだ。
あのタイミングはおそらくそれがきっかけのはずだ。バベルタワーの事件だけならばもっと早く来たはず。スザクは今ラウンズだ。動くのにさほど煩雑な手続きはない。何なら来てからでも押し切れるだろう。
なにせ元から張っていた罠だ。その獲物の確認に来るのにどうして咎められることがあるだろうか。その上獲物は皇帝が最も必要とする魔女だ。
それに皇帝は世界に興味が無い。そんな瑣末なことに口を出すはずが無かった。
そうなればスザクには今他人を黙らせられる力がある。
帝国最強の騎士とはそれだけの力があるのだ。
(確かに、おまえの言っていたことは正しい)
中から変える。そのための力を得る。
それがスザクにとってのラウンズ――ナンバーズからしたら相当な出世だ。スザクほどの才能があったとしても、まずありえなかっただろう。それを手に入れるのに必要な手段を取った。その方法が俺には許せなかったことだとしても。
スザクが意思を貫くならそれは必要な手段だったのだ。
分かっている。今ならそう言える。感情論はもう唱えきった。
だからこそ俺はスザクと共にゼロレクイエムの実行ができた。
俺にはスザクが必要だ。そう、明日を迎えるための駒としてスザクが必要だった。他の何を手に入れるよりもずっと確かで強力な駒。共に明日を実現する力。俺の言葉に左右されない強さ。俺を切り捨てられる強さ。
方法は違うが、欲したものは確かに同じだったのだ。
だから例え黒の騎士団の団員が危険に曝されようと、譲れない事象だった。
「タイミングがずれたということは、早めに計画を修正しないとだな」
「……そうだな。あの男がギアスユーザーの可能性は高いしな」
C.C.の言葉に顔を顰める。楽しそうな顔はまったくもってその反応を予想している。もしかしたらいつも俺はそんなことを言っているのかもしれない。
「問題は誰がギアスを持っているのかでも、いつその力を手に入れたかでもない」
そんなことは瑣末なことに過ぎない。
「誰にギアスが掛かっているのか、だ」
誰に記憶があるのか。
それが一番問題で、それ以外についてはこれからどうにでもできる。
結局のところ生きているのは今この瞬間なのだ。ルルーシュが読むのは状況と大衆心理。一般論と言ってもいい。知らない情報に起因する行動までは読めない。
考える要素があった方が厄介なのは当たり前のことだ。
人は過去の記憶に縛られる。過去は過去だと割り切れる人間などそういない。あの記憶を持つ人間ならば、間違いなく俺に不信や恨みを持つだろう。今現在に関係がなく。
記憶のある人間に対してはそれなりに対応を練らなければならない。
それに二重の記憶は人を怯えさせる――シャーリーのように。
(もう、彼女のような思いをさせるのは御免だ……)
沢山傷つけて、泣かせて、最後には死なせてしまうなど許せるわけが無い。
それでも自分が作ってきた未来を変えたいと願うほど、曖昧に生きてきたわけではない。ゼロとして立ち上がってからそんな半端な覚悟はしていない。
殺した人間も、壊した物も、背負う覚悟はできている。それは壊される覚悟と言える。
だからゼロレクイエムの結末に後悔はない。その先に未練がないと言えば嘘になるが、それでも止めたいとは思わない。
何度だって俺はやるだろう。
「結末は変わらない。俺は明日を手に入れる」
そして迎えるのが死であろうとも。
7.
あの目は当に決めている。意志をひっくり返す気などさらさらないだろう。ルルーシュは複雑そうに見えて単純な男だ。
枢木スザクの方がよほど捩れた内面をしている。
(尤も素直、とは言えないがな)
そんな性格であればもっと早くに手に入れられたものがあった。あの男が最後まで捨てられなかったものだって、おまえが欲しいと一言”ルルーシュ”が言えばそれで済んだはずだ。何度繰り返そうとも上手くいったためしがないが。
(やれやれ、私もおせっかいになったものだな)
まだ薄暗い夜明け前の空の下を歩く。女が一人で歩くような時間ではない。
そしてまた、学生が学校に来るような時間でも当然無い。
それにも関らずアッシュフォード学園の制服を着た男が歩いてくるのを見る。
「来たな。枢木」
幾度もの過去を覚えているが故にC.C.は彼がいつどこに来るか知っていた。
いつか、この場所で会った。
幾通りの過去の、何度かの瞬間。今度はそれが意図的に起きただけだ。
それを知るはずも無いのに、目の前の男は驚いた顔の一つもしない。
ルルーシュの話の中で聞く枢木スザクとはいっそ別人かと思うほど淡々としている。
「C.C.……ということはやはりルルーシュの記憶は戻っているんだね」
「さあな。おまえに会いに来たとは思わないのか?」
「どうして君が僕に会いに来る?」
質問には質問を。それはマナー違反ではあったが許容した。
理由がない――当然か。現段階で我々に交流は無い。どんな人間かすら知らない。ルルーシュ越しに相対しているだけに過ぎない。
今でも、これから先でも。
「おまえなら知っているかと思ってな」
だから私はここに来た。枢木スザクに会うことを選んだ。
――ルルーシュにも言わず。
「私の過去を見、そうしてCの世界で時を過ごしたおまえなら……」
覚えていて欲しいのか、覚えていないで欲しいのか。
この男が覚えていないならすぐにゼロレクイエムが始まることはないだろう。その間はまだ猶予がある。今はまだ、その手段がない。
覚えているならきっと変えてくれるだろうと、それは願望にすぎないのか。
ルルーシュを殺した仮面の裏で、流した涙を知っている。
だが、同時にこの男は知っていながら実行した。つまり覚えているということはそれを実行する意思があるということだ。
覚えているかいないか、実行するかしないか、どちらにしてもこれは賭けと呼べるかもしれない。
だが賭けなら負けはしない。それがC.C.だ。
するりと手を伸ばす。
かつて私の記憶に触れたときと同じように接触する。その、瞬間。
記憶が流れ込むのが分かる。同時に引き込まれる。自分の知らないルルーシュが、二人のやりとりが流れてくる。そう、それは私一人の記憶ではない。混線する二つの記憶。
ルルーシュとは違い、その記憶の本流は枢木の足元をおぼつかなくさせる。ぐらりと傾いだ体をなんとか立て直す。顔色が悪いのは嫌なことまで思い出すからだろう。ルルーシュよりも立ちなおりに時間がかかるのは、彼の持つトラウマがルルーシュのものより重いのかもしれない。
「う……今のは……」
なんだ、とやっとと言った風情で口にする。
非現実的な現象は脳に与える負担が大きい。そして面白いことに現実主義なルルーシュよりも、理想家の枢木の方が非現実に対しての耐性が無い。
だが、これではっきりとした。賭けは一つ勝ちだ。
「やはりおまえも持っているな?」
「持っているって……」
「記憶を」
何をと問うような言葉を吐き出す男に、簡潔に答える。
言葉を失った枢木は目を見開く。
そしてその記憶を繰り返すように思考する時間。
「そうか……これは現実に起きたことなんだね」
そうだ。それらは全て現実だ。
ルルーシュのように最初の一回しかないのか、自分のように全て覚えているのか、枢木の持っている記憶がどれであったとしても。
真実を確認するように男はC.C.を見据える。
そこには別人のようだと思ったあの狂おしいほどの暗さは無い。C.C.の知っている、ルルーシュの剣たる枢木スザクの顔だった。
8.
背後の扉が開いて閉じる音にやれやれと溜息を吐く。
随分と遅い来訪だ。
C.C.が出歩くことに関して制限はしていない。そんなことを出来る間柄でもないし、女が出歩くような時間ではなくとも彼女については心配することではない。
もし指摘するとすれば、本来であれば中国領事館にいるはずの彼女が監視されている自分の周囲をうろついているのか。見つかっていないだろうと言われれば反論する余地はなく、今も見つかる様子は無い。幾通りもの記憶を持つC.C.はどこで監視されているかも分かっているのか、的確に接触してくる。
「どこへ行っていた?」
振り返って、女の顔を見るより先に視界が黒で埋め尽くされる。これはなんだ。
見慣れた学生服であることに気づくのに数秒掛かる。思考が遅い。
C.C.の存在がロロにばれたかと思ったが、それにしては腕の力が強い。いくらなんでも小柄なロロがこんなに馬鹿力なわけがない。ぐいぐいと己に押し付ける力で窒息しそうだ。
「ルルーシュ、本当に……!!」
予想外の人物。その声。
どうして、と思う。
どうしてそんなに嬉しそうな声で俺の名前を呼ぶのだ。おまえは今も、これからも、俺のことを卑怯で卑劣なユフィの仇だと思っているはずだ。許せない、そう思っているはずで。
(……すざく……)
声に出せない名前。顔が見えないけれど、他に居ない。間違えるわけがない。
それでも視界を塞ぐ壁をどんどんと叩く。動作に気づいて、少しだけ腕がゆるくなったのに腕を突っ張って顔が見られるだけの距離を取る(力技では引き剥がせない)。
深い緑の瞳が俺を見ていた。そこにあるのは暗い、敵を見る目ではなく。共に同じ目標を目指した冷たい瞳でもなく。
昔みたいに、純粋に友達に再開できた嬉しさみたいなもの。
見覚えがある。この瞳は。
「おまえまさか記憶が……」
たった一つの可能性に足元が揺れる。
けれども足だけが数歩動くだけで、スザクの腕で支えられた状態はまったくもってびくともしない。距離は変わらない。触れる至近距離。
「うん。覚えているよ。君を貫いたその感触も」
「ゼロレクイエムの終末も?」
当然だとスザクが肯く。
はははと乾いた笑いが口を吐く。おまえを、どうやって手に入れようかと思っていたのに。
「C.C.!いつもスザクは記憶を持っていたのか!?」
スザクを押し退けて、そこに居るもう一人の存在に叫ぶように問いかける。
スザクだけが自分で記憶を認識していたなどとと思えるほどお目出度い頭はしていない。自分の記憶を呼び覚ましたように、彼女が関っているはずだった。
そう、彼女はそこに居た。
抱きつくように俺の前を占領しているスザクの後方で、見ることを楽しむかのように佇む魔女は人の悪そうな笑顔で否定した。
「いいや。今回はスペシャルだ」
つまり、今までのスザクにはなかったこと。これはC.C.の記憶の中でも初めての事態だということだ。
自分にはC.C.とは違い、膨大な全ての記憶はない。
C.C.の言葉を信じるのならあるのは最初の記憶のみだ。その後繰り返された記憶は蓄積されていない。
時間が戻るときに同時にリセットされている。
それは膨大な量の記憶に容量を占領されないための脳の自己防衛なのか、ギアスの特性なのか。それともこうした”違う”未来のためなのか。
「どういうこと?」
「説明してやれ」
困惑したようなスザクのためにC.C.に説明を指示する。
どうせ碌な説明はしていないのだろう。俺もスザクの記憶については説明が欲しい。
「面倒事を押し付けるな」
「認識しているのはおまえだけだ、魔女」
俺では説明したくてもできはしないのだ。
求めた情報は吐き出せ。そのための契約なのだから。
9.
「確認しておきたい」
C.C.の話を聞いて、まず発言を求めたのはスザクだった。
スザクはルルーシュのように一度で全てを把握することはできない。だからこそその疑問は本質を捉える。
そんな状態の中でもこれだけは聞いておかなければいけないこと。
「君はこの状態でもゼロレクイエムをするつもりかい?」
「止める理由があるか?」
(……言うと思った)
平然と返される。僕がどれだけ辛かったかなんて分かってはくれない。
当たり前だ。あれは僕らが自身に与える罰なのだから。
辛くて当たり前なのだ。そうでなければ罰にはならない。けれど。
「僕は賛成できない」
その思想は、確かに賛成できる。
皇帝より、シュナイゼル殿下より、ずっとずっとユフィやナナリーの願う優しい世界に近づくだろう。
ユフィの最後よりもずっとインパクトは大きくて、悪名としての彼女の名前も霞む。
必要最低限で、効果的な悪。
全てはルルーシュの狙い通りだ。でも。
「君が皇帝を続けてもできたはずだ」
「ギアスで全てを従えてか?それではシュナイゼルと何も変わらない」
武力で制圧しようとした第二皇子。それと何が違うというのだ。必要な力を惜しむつもりはないが、それだけに固められた世界など何が楽しいものか。
「それに俺にはもうあれしか手段が残っていなかった」
大事に大事にしすぎて手のひらの上から零れ落ちてしまったもの。
大切なものがルルーシュには増えてしまった。切り捨てられるはずだった駒、それが切り捨てられなくなった。カレンもロロも。
だからこそ、彼らはルルーシュを守った。
嘘か本当か見分けるのが難しいルルーシュの優しさを、ちゃんと見つけて。
知っていたから見分けられた。
嘘ばかりの人間をただひたすらに信じることは難しい。僕だってルルーシュの手を取れたのはCの世界に行って真実を知ってからだ。
「そうなる前に黒の騎士団を切り捨てるか、”ルルーシュ”のものにするべきだ」
「黒の騎士団、か」
存続か、廃棄か。選択をするなら早いうちのほうがいい。切り捨てるならいつでもいいが、存続させるならその為の策を練らなければならない。
そうすればルルーシュは少なくとも裏切られることはなくなる。
「僕らが行ったゼロレクイエムも沢山の人を犠牲にする」
(君が、犠牲になる)
「悪は必要だ。犠牲もゼロとは言えない……だけどないことに越したことはないだろう?」
政治としての必要悪を否定できるほど僕は正義を語れない。
それだけではどうにもならないことを、何度も何度も身をもって知ってしまったから。
「確かに、な」
そんなことと言わないルルーシュに安堵する。けれどそれは他人の命だからだ。自分の命を惜しむことはしない。
だから絶対に本心は言えはしない。
「だとしたらまずはフレイアをどうにかするか」
となれば、今の完成していないはずの段階で尤も手を打ちたい次の一手は。
「……ニーナか」
その威力をリミッターと共に作ったのは彼女だ。
ゼロを殺すために科学の力を兵器へと向上させた。その恐ろしさを理解しないまま。今ならまだ、完成していないだろうか。前に学会で見たときはまだまだ課題が多いと言っていた。もしも完成が近かったとしても、今ならまだ廃棄することも可能だ。
実際に使われるにはまだ時間がある。
「彼女は今どこに?」
「シュナイゼル殿下の側には居なかった。おそらく本国の研究機関に居る」
それならばすぐに打つ手はない。本国へすぐにはいけない。
ルルーシュや黒の騎士団は勿論のこと、スザクだとて来て早々に帰るわけにはいかない。
だが、彼女とは遠くない未来に会う場所を知っている。
「ならばまずは黒の騎士団だな」
その順を間違えてはならない。
10.
「本日より復学することになりました。枢木スザクです」
ざわりと教室がざわめく。以前と同じ行動、同じ反応。
一言一句をあいつが覚えているわけがないが、その程度は考えれば同じになるのだろう。
当然だろう。帝国最強の十二騎士ラウンズの一人。
彼はその、枢木スザクなのだから。
「スザクの復帰祝いパーティーですか?」
生徒会メンバー全員が集まる放課後の生徒会室。うーんと一唸りした会長が、そうだといきなり言い出したのはいつもの光景であったし、何より何かやりだすのに格好の素材が居たのだから全員覚悟はできていた。
――多分。
「そうそう巨大ピザ・リベンジと……そうね、せっかく騎士様が居るんだもの。舞踏会の夜としましょう!」
「あんまり関係ないような……」
スザクが首を傾げてみてもそこは会長だ。まったく意に介さない。やろうと決めたら突っ走る。
尤も名目に使われるスザクにしてもそれが嫌なはずはなかったし、今も前も単純にツッコミを入れただけだろう。
ダンスといえば揶揄かうネタはあった。
「おまえちょっとは上達したのか?」
「……そんな機会なかったよ」
「スザク君、運動神経いいのにねぇ」
しみじみと言うシャーリーにおまえもだろと思うが誰も突っ込まない。
一番不器用な彼女に言われては苦笑するしかない。
「それじゃパートナー探しに苦労するな」
「あらーそれはないでしょ」
ふふふと笑う、会長の言葉は確かだった。
今のスザクはイレブンだからと忌避されるだけではない。それ以上の肩書きがある。クラスでの自己紹介の様子から察しても、それなりに女生徒からの人気は出るだろう。かつてのスザクを知る人間も居ない。
言外に『モテルだろうおまえ』という周囲からの圧力に、そんなことありませんよと焦るくらいしてみせるかと思ったのに。
「僕はルルーシュがいいな」
「は?」
「ルルーシュなら女性パートも問題ないし、上手かったし、僕でもなんとかなるかなって」
「まぁ、ルルちゃんはダンスもばっちり上手だけど……」
それにしたって何か可笑しくないか。
ダンスだぞダンス。
それも堂々と女の子を誘えるチャンスだというのに。
「男同士だと見た目的にちょっと嫌だから、ルルーシュは勿論ドレス着てね」
揶揄かってやろうと思ったのに、逆に揶揄われたことを察しむっとして頭を回転させる。
どうしてやろうか。
というか勿論てなんだ。
「なんで俺が着るんだ?おまえが着たっていいだろう」
「僕じゃ女性パート踊れないよ。それに僕が女装とかしたらばればれじゃない」
「……俺ならいいと?」
「ルルーシュ綺麗だもんねぇ」
シャーリーそういう援護射撃はいらないから、少し黙っていて欲しい。
横槍に毒気を抜かれながらも、たかがスザク程度に言い負かされるのはプライドが許さない。
「おまえら相変わらずだなぁ……」
心外だが、書き換えられた記憶の中でもそう思われるくらい俺たちは友達に戻ったらしい。
それを複雑な顔で見ているロロを横目に捕らえながら、今はただ笑っていた。
シュッシュッとリズミカルに皮を削る音が響く。
いつも料理をしているだけあって兄さんは手際がいい。僕はナイフの扱いは慣れているけれど、兄さんのような料理としての経験はあまりない。それはルルーシュに記憶が戻る前から同じで、刃物を持たせないのは自衛か、それともナナリーに向ける行為と同じだったのか。
手元のナイフ。
いつもはこんな持ち方をしない。逆手に握る。
それは人を殺す持ち方だ。今ならきっとなんの疑いも持たせることなく殺せるだろう。
この距離なら、時間を止める必要すらない。ギアスを使うより早く殺せる。
殺すか?
殺してどうなる。
あの日、どうして殺さなかった。
ルルーシュの記憶が戻ったあの日。殺そうと思えば簡単に殺せるはずだった。なのにルルーシュは話そうと言ってナイトメアから降りていた。機体性能も違い、ギアスの知識もないルルーシュが相手なら、例えナイトメアに乗っていたとしても負けるはずがなかった。それは確かだ。
それよりも遥かに容易いはずの生身のルルーシュを攻撃できなかったその理由は。
『俺にとっての家族はおまえで、ナナリーだよ』
その言葉の所為だなんて、認めたくなかった。認められるはずがなかった。
だから殺そう。
ナイフをいつものように握り変える。滑らせた手をルルーシュは気づかない。
コツン、と何かを蹴飛ばす足音。わざと音を立てたと分かる。悠然とした気配。
後ろから声を掛けられて兄さんが笑った。
「ルルーシュ、ジャガイモの準備どう?」
「誰に言っているんだ」
笑う兄さんの顔は完璧だ。これが嘘だなんて誰が気づくだろう。
僕に向けている笑顔も同じ。それが本当かどうかなんて誰にも分からない。
少しだけ話をして、それじゃあと出て行った枢木スザク
「……兄さん」
あの男はこの監視体制の、牢獄の管理者だ。
枢木スザクがルルーシュの情報を持っているからこそ、この監視体制は確立された。
ゼロ捕縛の功労者。
友達を売って、地位を得た男。
嘘つきなルルーシュ。だが、それは自分も、枢木スザクも同じなのだ。
ルルーシュに、アッシュフォード学園に、嘘を吐いて存在している。
「どうした?」
うん?と首を傾げて優しげに聞いてくる、その笑顔も。
嘘だらけの世界が酷く気持ち悪いものに見えた。
「兄さん、枢木卿は情報機密局を使って兄さんを見張ってるよ」
「知ってるよ」
ならどうしてそんな顔をしているのか。それが対外的な顔なのか。
「でも友達なんだ」
「え……?」
「それは、本当なんだ」
笑顔の理由などただそれだけでしかない。
ルルーシュが、ゼロが、そんなにも感傷的な人間だったろうか。
そんなこと、信じられるはずがなかった。