「うっ……」
うめいて私は目を開けた。
倒れていた下が草だと知って意識する状況。
混乱はない。何故こんな場所にいるのか、不思議ではあったが心当たりはあった。
―――――ミリーナっ。
声で記憶が途切れている。気を失ったのだろう。
最後の記憶が彼の声だということに僅かに苦笑する――といっても顔が変わるわけではないが。
足音。
自然とかけてくれる声を予想して。
「ああ。気が付いたか?ミリーナ。」
声が違う。
彼ではない。
「ガウリイさん……」
視界の中に飛び込んできた知った顔に思わず息を吐いた。
念のために言っておくなら失望の息ではない。安堵でもないけれど。
ただ、思わず。ただ、それだけだ。
別に掛けられた一声に連れを想像して悪いことはない。ただそれを素直に知らせることに抵抗があるだけで。
所詮不器用な性格だ。
一応と剣を確認しながら立ち上がって。
「リナさんとルークは?」
半ば答えを予想して問いかける。
「別に飛ばされたみたいだな。近くにはいなかった。」
「そうですか。」
予想していただけにさして驚きはない。
自分と彼が一緒に飛ばされたことから考えて、リナさんとルークも一緒だと思っていいだろう。
リナさんが一緒ならば、彼もそう心配することもないはずだ。
……別の意味で心配ではあるけれど。
ふう、と一つ息をつく。
たとえ心配だと思ったとしても、まずは自分の状況をなんとかしなくては始まらない。
どこだろうか、ここは。
何か手掛かりでも欲しいところだが、生憎と目印になるものはなかった。
群生する植物からある程度の場所柄が分かることもあるが、目に付くのはありきたりの植物だけだ。
ちらりともう一人の男に視線をやるが、あまり期待はしていなかった。
けれど。
「セイルーンだ。」
「えっ?」
思いかけず返ってきた答えに思わず問い返す。
こんなときでものほほんとした人のことは言えないが、相変わらずの調子で。
こんな何もない場所でどうしたらわかるのだろう。
一度来たことがあるくらいでは分かりはしない。
ましてはこの男だ。
「見覚えがあるんだ。結構来てるんでな、この辺りは。」
この男のくらげっぷりはよくリナさんから聞いているし、実際やりとりを見ていれば実際そうなのだろうと思う。
どこまで信じていいのか。
それが分かったのか苦笑して彼は言った。
彼がこの場所を断言できる理由を。
「間違いない。ここは……リナが死にそうになった場所だから。」
とりあえず、落ち着けるところで今後の方策を立てようと歩き出したのが昼過ぎ。
実際正しかったようで、しばらく歩いて着いたセイルーン・シティの食堂で、私たちは無事にテーブルを囲んでいた。何度か来ていると言っても行きつけの店があるほどでもないらしく、数ある店の中からガウリイさんの嗅覚を頼りに入った高くもなく安くもなくというお決まりの食堂はさすが、というべきか。味はそれなりに美味しい。
「ミリーナたちはどこに行くつもりだったんだ?」
「イルマート公国です。」
「うーん。こっからじゃ遠いなぁ。」
ざくっとフォークでウィンナーを一つ。
リナさんが居ない所為か、そのペースは早いながらも目を見張るほどではない。
お皿の数も一枚、二枚と数えられるくらいの数である。
「ガウリイさんたちは?」
「リナ任せだからなぁ……今朝聞いたような気もするが憶えとらん。」
どきっぱりと答えることは、呆れるよりもみごとにガウリイさんらしいといえる。
やはりさっき憶えていたのはリナさんというキーマンがいたからだろう。
旅の連れが死にそうになるというのだからそうとうインパクトの強い出来事のはずだ。
……魔王と戦っても名前すら憶えていないようだったが。
ガウリイ・ガブリエフというこの男にとって、リナ・インバースという存在は単なる旅の連れではない。ただなんとなく、いつ離れてもいいくらいの連れならもっと問題のない人間を選ぶだろうし、そもそも一人でも十分にやっていける腕はあるのだ――――脳みそは分からないが。
おそらくそういうことなのだろう。
「メッセージセンターとか使えないか?」
「必ず見るとは限りません。」
「だよなぁ。」
そもそもメッセージセンターがない場所もある。
それはたいていは田舎だからあの二人がそんな場所に長く居るとはおもえないが。
「探すにしても行き違いになると困るし……」
一番原始的な方法はそれがネックだ。
一国でも相当な広さなのに範囲がなしだなどといったら何年掛かることだ。向こうも探したとして行き違いになることが多いに予想される。
だが範囲を絞り込むにも情報がなさ過ぎる。これが次の目的地が近ければ可能性があるのだけれど。
「せめてどんな理論で飛ばされたのかが分かればいいんですが……」
「分からないのか?」
「私は魔族についてそれほど詳しくはありませんから。」
リナさんを基準に物事を考えられては困る。
どうしたものか。
頭を抱えることこそしないが、八方塞がりの状況に閉口して黙々とただ手だけを動かて暫し。
「ガウリイ様っ!?」
唐突に叫ばれた目の前に座る男の名前に、聞こえてきた方へと顔を向ける。
声の主は黒い癖のない髪が腰ほどまで伸びる楚々とした美人だった。
付けられた”様”という呼称が妙だが、この女性にこの男というのは酷く似合うような気がする。
「シルフィール?」
珍しい、と思わず思う。彼が彼女のであろう名前を呼んだことが、だ。
世間一般の基準からすれば決して長いわけでも複雑なわけでもないが、文字数からすればその名前は長い。もちろん比較対比はリナさんだ。
彼のくらげ脳から一発でその名前が出てくるとは……
相当に付き合いのあった人なのだろう。例えば昔ともに旅をしていたとか。
想像できないことではあるが、男と女としての付き合いがあったのかもしれない。
などとつい考えてしまったりする。保護者と被保護者だと言っているあの二人の関係はそれなりに興味はあるのだ。
「あら?見えないようですが、リナさんはどうなさいましたの?」
そこにリナさんが居るのが当然、というように小首をかしげた彼女はガウリイさんの隣に別の女―――つまり私の姿を見つけて戸惑ったように問いかける。とすれば後者の可能性は違ったらしい。
「さっきまでは一緒だったんだけどな……」
「まあリナさんの食欲に嫌気がさしたとか、新しい魔力剣を手に入れたのはいいけれどそれを持ち逃げしてガウリイ様を売り払ったりとかしたんですか?」
――――――売れない、うれない。
どこかでリナさんの突っ込みが聞こえる。
ガウリイさんくらい整った顔をしていれば金持ちの奥様、お嬢様に売れるだろうし、彼ほどの腕があればどこぞの領主さまでも買ってくれるだろう。
ともあれどうやら彼女、中々にきついというかいい性格の人らしい。確かにリナさんの食欲は目を見張るものがあるけれど。性格もそれがないとは言い切れないところがあるけれど。
「さすがにそれはないな……シルフィール、いったい俺達をどんな目で見てるんだ?」
「普通の目ですけど……それでそちらの方は?」
「ああ。ミリーナだ。」
若干ジト目で問いかけたが、名前だけを答えてからちらりとこちらを見やってガウリイさんは問う。
「仲間といっていいかい?」
「今はかまわないと思います。」
少なくともルークとリナさんを見つけるという共通の目的がある限りは一緒に行動を共にすることになるだろう。
そうでなくても何度か一緒に戦った仲であるし。
「ということだ。ちょっとリナとミリーナの連れと逸れちまってな。」
「そうでしたの……」
そこに厄介な臭いを嗅ぎ取ったのだろう。深くは追求してこないでしばし考えるように睫を伏せる。
それからおもむろにこちらを向いた彼女はニッコリと笑った。
「シルフィール・ネルス・ラーダと申します。よかったらわたくしの家にいらっしゃいませんか?」
「わたくしの家と言っても叔父の家なんですが……」
「立派な家ですね。」
それを見上げて私は言った。
大きくは無いが、中々立派な門構えで趣味も悪くない。
王宮にほの近い立地条件から言ってもそれなりに地位のある人物なのだろう。
「魔法医をしているんです。」
なるほど。
セイルーンは聖王都と名高い。町自体が巨大な結界になるこの町では稀有ではないが憧れの職業だろう。
言いながらドアを開けるシルフィールさんの後に続いて私達は家へと入っていく。
結局、お昼を片付けた後私達は彼女の言葉に甘えることにしたのだ。
宿を取るよりも安いし、事情を知っている人ならば話すことにもあまり遠慮はいらない。さすがに魔族がどうのこうのなど人が普通に聞いていそうな場所では話せないし、かといって……このメンツで騒ぐ、ということもないだろうが宿屋ではあまり騒ぐと怒鳴り込まれることがある。
懐はこの前オリハルコンを貰った事もあるからそこそこに温かい。けれど無駄遣いをできるほど今の状況は楽観できるものでもない。悠長に依頼など受けていられなくなるかもしれないし、そもそもあまり受けたくは無い。
理由はいくつかあることだが、相棒が違うという点は一応上げておく。
……別に深い意味はないけれど。
ガウリイさんは客間に落ち着いて、いくらもしない間にやおら質問を投げかける。
「おじさんはまだ神殿に?」
「ええ。」
「じゃあ、アメリアに連絡を頼みたいんだが……」
「わかりました。でもガウリイ様、アメリアさんに連絡をとってどうなさるんですか?」
「リナが大人しくしていると思うか?」
「そうですね。きっと何か暴れていますわね。」
なにやらさっぱり分からない話を始めたが、ずいぶんと大事な話をする。
神殿、連絡、『アメリア』、それに……
リナさんが暴れるならルークも暴れている確立が高い。彼は黙っていられるたちではないしリナさんに後れを取るようなことは断固として嫌がるだろう。もともと彼らは極端の走り方が妙に似ている。言ったら二人とも怒るのだろうが。
「情報を集めていただくようお願いしてきますね。」
何がどうしてどうすればそうなるのだという説明が欲しいのだが、シルフィールさんはでは、と一礼して出て行ってしまう。
後に残される私とガウリイさん。おじさんは仕事中だし、その奥さんも手伝いで出払っているというから完全だ。
いいのだろうか?怪しい傭兵などだけを家に残していって。
まあガウリイさんとはそのおじさんとやらも既知の間柄らしいが。
特に何かする予定もないのだし、いいのだろう。魔族さえ襲ってこなければ。
襲われた場合は応戦する。それで家の一部が壊れても責任は取りかねる。
それよりも、アメリアという人だが―――――たしかセイルーンの王族の一人に居たような……
第一王位継承者の二番目の姫君。噂では相当に活動的な人でデーモンの討伐にも身を乗り出そうとしているとか。
まさか、と思わなくもない。王族、しかもセイルーンほどの大国となると雇われて、という話ならあるだろうがそれだとて顔や名前を憶えてもらうにはそうとうの功績と時間がいる。よほど鮮烈に印象を植え付けたのなら話は違ってくるが。それに平和主義を掲げるこの国はあまり傭兵を取らないし。
でも、だ。魔族とエルフと竜族に知り合いがいるのだ。王族の知り合いがいてもおかしくはない。一応人間同士なのだから。
どの道憶測してみたところで人間関係というのは事情の知らない人間には理解できないものではある。
「ガウリイさんそのアメリアという方は?」
「昔旅した仲間だな。シルフィールも一時期は一緒だったし。」
「一時期はっということは彼女とはあまり旅をしていないんですね。」
言葉尻を捕らえて更に突っ込む。
「やけに今日は知りたがるなぁ。」
「ガウリイさんがシルフィールさんの名前を憶えていましたから。」
「……そんなに俺が人の名前を憶えてるのはおかしいか?」
「はい。」(きっぱし。)
答えた私にガウリイさんは盛大に肩を落とす。何か言いたげではあったが、聞いてはあげない。
そのボケっぷりを自覚をしていると思っていたのだが、実はしていなかったのだろうか。
……いや、していても嘆きたくなるのが人情というものかもしれないが。
なんにつけても不思議な人だ。リナさんの隣に居ればここまで不思議なこともないのに。
旅の連れとはあまり人のことをどうこう言える関係を築いてはいないのだが、だから気になってしまって。
それに。
「私も好奇心がないわけじゃありません。」
ガウリイさんは僅かに目を細める。そういう目をすると、まともな人に見えるから不思議だ。
後は戦っているときくらいだろうか?
リナさんの半歩下がった後ろから歩いているときもそうかもしれない。ただどれも受ける印象は全く違うが。
「それじゃ好奇心ついでに飲みに行かないか?」
何を考えているのか分からない。
いきなりそんなことを言い出したガウリイさんに無表情に私は眉を寄せる。
「酔うとまともになるみたいだからな。」
もっとも記憶がさっぱりないが、と笑う男に。
「いつものことじゃないんですか?」
そう返せばいつものように穏やかにただ笑った。
△▽